昨年2021年は9月に奥州街道を所要46日で、10月におくのほそ道を所要105日で踏破した。もちろん2021年だけではなく、現役サラリーマン時代に歩き始めたことを、2021年に終えたものである。今年はどこを歩いてみようか。奥州街道とおくのほそ道の両方に関連のある主要街道といえば、羽州街道だろう。という訳で、羽州街道を歩くことにした。
22.4.23(土)
3月16日に起きた地震の影響で、東北新幹線は一部で速度を落として運転しているため、特別ダイヤとのこと。事前に調べたうえ、盛岡 6:01 の新幹線に乗った。仙台から東北線に乗り継ぎ、福島県の桑折へ。
↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で
9:04 桑折駅からウォーク開始。すぐに桑折追分に着いた。奥州街道と羽州街道との分岐点である。ここの道標はかつて三叉路の真ん中にあったそうだが、現在は傍らに移動されている。奥州街道ウォークでは14年5月03日,おくのほそ道ウォークでは18年6月24日にここを通った。
ここから羽州街道に入る。羽州街道を北上して再び奥州街道に合流するのは、青森市の旧油川宿となる。奥州街道ウォークでは、ここ桑折から油川まで所要28日で歩いたが、羽州街道経由では何日かかるかな。今年中に青森まで着けるかな? 来年になるかもね。
追分から少し先まで歩いたところで、昼食を買うのを忘れたことに気づいた。この先、しばらくコンビニ等はなさそうだな。と考えて、いったん引き返した。国道4号沿いのコンビニで、昼食用のおにぎりと飲み物を購入した後、羽州街道に引き返し、結局、桑折追分に戻った。出直しスタートだね。
10:12 半田銀山解説と、明治天皇行幸碑があった。3kmほど西の半田山に鉱山跡があり、江戸時代から明治にかけて繁栄したそうだ。半田山はハンダ付の「ハンダ」の語源になったという説があるが、異説もあって定説には至っていないらしい。
10:45 最初のの旧宿場、小坂宿を通過。この先の小坂峠に向って、上りの傾斜が大きくなってきた。廃業した釣り堀跡があった。35年ほど前、この先の七ヶ宿ダムが工事中の頃、七ヶ宿からの帰りに、この釣り堀に10人ほどで立ち寄った記憶がある。
11:16 弘法清水に到着。ここが小坂峠の山道入口である。清水で顔を洗った後、クマ除けの鈴を着けた。山道に入ってすぐ、産坂・慶応新道分岐点の標柱があった。藤原優太郎著「羽州街道をゆく」によると、ここの旧道には江戸末期の慶応年間に開かれた慶応新道と、それ以前の旧道の2ルートがあるそうだ。
産坂と呼ばれる旧道を上ろうとしたが、薮が深く、倒木も多かったのですぐに引き返し、慶応新道を上った。予報ではこの日の降水確率は10%だか20%だったのだが、上っている最中に少しパラパラ来た。
小坂峠から福島盆地を俯瞰
正午少し前に山道を上り終え、小坂峠に到着。バイクのライダー3人が昼食中で、クマ除けの鈴の音に気づいて、私の方を見た。5分あまり峠で休憩。福島盆地を俯瞰すると、ずいぶん急な峠道だったことがわかる。標高441mの小坂峠は福島と宮城の県境で、ここからは宮城の県道46号となる。舗装路で緩い下りなので、楽に歩ける。
12:30 2番目の宿場、上戸沢宿を通過。仙台藩五大番所が置かれていて、このあたりは、仙台平とも呼ばれるらしい。番所跡・検断屋敷跡があった。検断屋敷はこの先にある材木岩公園に移築されたとのこと。宿場の外れに、個人宅前に渡る木造のアーチ橋があった。個人所有の橋かな?
13:00 頃、雨が少し降って来た。しとしとという感じで、カッパは着ずにそのまま歩いた。すぐに雨は止み、3番目の宿場、下戸沢宿を通過。その先で白石川沿いに出た。ここから国道113号の旧道となり、川沿いに上りとなる。
13:34 サル2頭が民家のコンクリート塀を越えて敷地内に入るのを目撃。1頭とは視線が合い、10m ほどしか離れていなかったが、私のことは気にも留めず、塀を越えて行った。
13:45 材木岩公園に入ったら、小原の材木岩というのが見えた。案の定、柱状節理だそうだ。1761(享保16)年の地震でこの岩が崩れて街道を塞いだため、復旧までしばらくは大名行列も笹谷峠へ迂回したとのこと。
またこのあたりに、ヨコグラノキという木の北限があるそうだが、どんな木かな。この公園内には、先ほど通った上戸沢宿から移築された検断屋敷があった。
13:50 材木岩公園で、おにぎりと飲み物の昼食。桑折駅から 26,450歩,16.4km。
14:05 昼食後、ウォーク再開。ダム手前の坂を上り、国道113号の現道に出た。ここから5kmほどはダム湖沿いの付替道路を進むことになるので、旧街道の面影はない。左岸の国道113号、ダム湖の北側を進んだ。反対側の右岸、南側にも付替道路の林道があるようだが、どちらにせよ、旧街道を歩くことはできない。
14:55 4番目の宿場、渡瀬宿の標識があった。ダム湖に水没してしまい、今では訪れることはできない。35年ほど前、七ヶ宿ダム水没前にこのあたりに来たことがある。ネット検索したら、1991(平成3)年竣工,1992年運用開始だそうなので、それ以前ということになる。水没直前だったためか、傾いた電柱や穴だらけの道路舗装が、半ば放置された状態だったのを思い出す。
また、横浜に住んでいた頃、東丹沢の宮ケ瀬に何度か行ったことがある。30年近く前に宮ケ瀬ダムが完成して水没したが、水没前、水没後とも何度か行った。水没前の宮ケ瀬の集落のことも印象に残っている。
ダム湖に沿って歩いていたら、15:29 この日初めて陽が差した。1時間歩いてダム湖が終わり、公園に入った。公園を過ぎたあたりで、左足の裏に豆ができたような違和感を感じた。
16:42 5番目の宿場、関宿の中心部を通過。このあたりが七ヶ宿町の中心で、町役場もある。なお、七ヶ宿とは仙台藩内の7つの宿場を意味し、七ヶ宿という宿場があった訳ではないそうだ。予約していた個人経営の旅館に着き、この日のウォーク終了。昼食後は、16,742歩,11.0km。
部屋に入って靴下を脱いだら、左の靴下に穴が開いていた。左足裏の違和感はこのせいだな。ただ、豆ができるまでには至っていなかった。
宿泊客は私1人だった。前日電話で予約したとき「1人ですが・・」と言ったら、「羽州街道ですか?」と聞かれた。1人でここに泊る客は、たいてい羽州街道を歩く人だそうだ。前日予約した時は1泊の予定だったが、朝の天気予報を見て2泊に決めた。チェックイン時、2泊に変更してもらった。