宮古街道ウォーク5日目 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

22.4.17(日)
前日までの天気予報では、この日1日だけ歩こうと考えていたが、朝起きてあらためて天気予報を確認し、2日続けて歩くことにした。宮古市内のビジホを予約。例によって、盛岡駅前 7:40 発の宮古行106急行バスに乗った。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

9:20 川井バス停からこの日のウォーク開始。バス停近くの桜はほぼ満開に近かった。6日前、宮古市が夏日を通り越して一気に真夏日になった日は、つぼみもまだ見えなかったと思うが、一気に咲いたようだ。桜以外の花も開いていて、一気に春になった雰囲気である。気温は6日前の異常な高温と違って過ごしやすかった。
近くに数十人が集まっていて、選挙の集会かこの日の選挙カー出陣式らしかった。宮古市議会選挙があり、7日後が投票日とのこと。

川井から先も、閉伊川は大きく蛇行している。事前に調べた資料(*1)によると、この先、下川井を過ぎたあたりに「袰岩崎」という大難所があり、江戸時代後半、鞭牛和尚という僧が山腹に道を開いた。との記載があった。現在の国道はその下をトンネルで抜けている。迂回するように国道の旧道を通ったら、10:24 袰岩の道供養碑というのがあった、このあたりがその難所かな。

 

袰岩付近のフキノトウ

 

11:52 今年初めてヘビの死体を見た。死んだばかりでまだ生々しかった。車に轢かれたようでもなく、血もあまり出ていなかった。暖かくなったので出てきたのが、何かのハプニングで死んだのかな。

 

その先、三ツ石の狭窄部にさしかかったあたりで、小型ワゴンのパトカーが前方からやって来て、私のそばで停まった。運転していた二十歳くらいの若い警官が助手席側の窓を開け、「サルの大群が出たという情報があったので、注意してください。」と言われた。サルも急な陽気に誘われて里に下りてきたのかも。
事前に調べた資料(*2)によると、この先の旧街道は川沿いの狭窄部を避けて山越えとなっている。同資料には「三ツ石野」と書かれているがおそらく誤植で、正しくは「三ツ石」だろう。現在の国土地理院の地図を見ても、該当する山道は見つからなかったので、迂回して国道106号の旧道を歩いた。国道106号はトンネルで抜けていくが、旧道は川沿いにくねくね下っている。
12:10 「ようこそ宮古市へ」の看板前を通過。「宮古市」と書かれた部分だけ塗装が新しい。「ようこそ新里村」を上書きしたのだろう。宮古市に吸収合併される前、川井村と新里村の境はこの三ツ石の狭窄部あたりだったとのこと。

12:40 JR腹帯駅に着き、駅舎で持参したおにぎりの昼食。歩き始めから 19,759歩,13.1km。
13:00 昼食後、ウォーク再開。応永石塔婆というところに立ち寄った。旧新里村で最古の石碑とのこと。

14:45 JR茂市駅に立ち寄った。この駅からはかつて岩泉線という支線が出ていて、1日3~4往復程度の超ローカル線だった。東日本大震災の前年(2010年)夏、落石事故があって不通、バス代行となり、JR東日本はこれ幸いしめしめと(表だってそうは言わないだろうが)、廃止に追い込んだ。茂市駅のホームからは、廃止された岩泉線の線路跡が見えた。

15:20 鞭牛和尚供養碑に立ち寄った。鉄製の階段を少し上ったところにあった。その少し先に養蜂場があり、おそらくご夫婦であろう養蜂農家の人が2人働いていた。ご苦労様です。ミツバチも急な陽気で動きが盛んになったのかな。

16:03 蟇目バス停でこの日のウォーク終了。昼食後は 18,174歩,12.0km。宮古駅行きの次の106急行バスは定刻 16:06 と、すぐだったが、案の定、10分ほど遅れてやって来たので、余裕で乗れた。この日の朝早く予約した宮古駅近くのビジホにチェックイン。

*1:「東北の街道」(監修:渡辺信夫,無明舎出版,1998年初版)
*2:「宮古街道(岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十五集)」(岩手県教育委員会 昭和56年)