奥州街道仙台以北ウォーク 小湊→野内 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

21.6.26(土)
前日に続き、奥州街道ウォークの続き。青森駅前のビジホをチェックアウトし、青い森鉄道で小湊へ。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

高橋竹山の記念碑

 

8:35 小湊駅からウォーク開始。8:38 高橋竹山の記念碑があった。津軽三味線の弾き手、高橋竹山はこの地の出身らしい。
8:40 チャシ跡の石碑があった。アイヌ語で砦を「チャシ」と呼ぶそうだ。このあたりも元はアイヌ人の領域だったんだね。和人の支配下になったのはいつ頃か。8:43 仙台以北34番目,盛岡以北13番目の旧宿場、小湊宿の中心部を通過。

9:10 少し手前の林の中を通る道のあたりから、賑やかな放送音が聞こえてきた。何かと思ったら保育園の運動会だった。熱中症になりませんように。
11:00 頃、旧街道は線路の反対側を通っていたそうだが、痕跡も見つけられなかった。11:27 ホタテ広場の解説板に、さっきの旧街道ルートが描かれていた。
11:53 浅虫の温泉街に入ったあたり、青い森鉄道の制限速度標識に「95,583系120」と書かれていた。最高速度95km/h,583系(おそらく485系も)は120km/hまで可。という意味だが、鉄っちゃんなら、えっと思うだろうな。半世紀ほど前の標識そのままだろう。

12:00  浅虫温泉街の中の食堂に入った。ここで昼食。小湊駅からここまで18,721歩,11.84 km。「キハダマグロ丼」というのがあり、「山盛り大,中,小」の他に「食べ切り」があった。一番小さい「食べ切り」を頼んだが、これがまた量が多過ぎ。どこが食べきりじゃあ。食べきれなかった。山盛り大はどんな量かな。

 

12:30 昼食後ウォーク再開。すぐに浅虫温泉駅前を通過。浅虫温泉には1度泊ったことがある。たしか小学3年の時だったので1968年、53年前だと思う。私の両親は父母とも出不精なほうで、旅好きの私と違い、あまり旅行には出かけなかった。小学生の頃の数少ない旅行の記憶が、ここ浅虫温泉である。当時の駅名は浅虫だった。どこに泊ったかははっきり覚えていないが、駅前の旅館だったそうだ。今の浅虫温泉駅前は駐車場・広場のようになっていた。

 


温泉街を抜け、13:05 山側の坂を上る道へ。旧街道は海岸沿いの難所を避け、山側を通っていたようだ。陸奥護国寺の脇を通り、山側の道を通ったら、途中で湯ノ島などの島や海岸が見えた。
15:00 仙台以北35番目,盛岡以北14番目の旧宿場、野内宿に入った。15:20 野内駅に到着。ここでウォーク終了。昼食後は13,835歩,8.34km。15:45 の下り電車に乗り青森へ。新青森から新幹線で帰宅。


さて次の区間はいつ歩こうか。天気次第だが、秋まで待ったほうがいいかも。