前回、奥州街道を七戸まで歩いたので、次は七戸から野辺地までの区間が順当。手元の資料「奥州街道」無明舎出版,2002年初版によると、七戸宿から数km先の天間林から野辺地宿までの奥州街道には、上道と下道の2ルートある。どうせならやはり両方歩いてみたい。
上道と下道、別々に行こうかとも思ったが、往復の交通費を考えると、現地で一泊するほうが安くなる。あとの問題は天候で、このところ2日続けての好天は少ない。
21.6.19(土)
この日、東北地方に梅雨入り宣言が出たが、翌日,翌々日の天気予報では大丈夫そう。明朝行くと決めた。
21.6.20(日)
朝、盛岡から新幹線で七戸十和田駅へ。この駅の周辺に泊ろうと考えていたので、到着後、駅前のビジホ風温泉宿に電話したところ、「日曜にお泊まりのお客様は少ないので・・」,「マネージャが来てからでないと、私は何とも・・」と、明らかに迷惑そうだった。マネージャが 9:30 頃に来るというので、「じゃあ。その頃、また電話します。」と言って電話を切ったが、これは考えもの。宿泊客が一人だけでは利益どころか損失になるので、やんわりと断られることはよくある。「満員です。」などと見え見えの嘘も時々あった。でも新幹線駅前の宿でこういう応対をされるとは思わなかったなあ。
↓この日と翌日歩いたルートと写真→大きい地図で
9:00 七戸十和田駅からウォーク開始。まず上道を歩くことにした。下道のほうが本道だそうだが、現在の国道4号は上道沿いなので、この上道のルートでは、途中でコンビニや昼食を取れるところが期待できる。また、七戸十和田駅と野辺地町を結ぶ路線バスも平日8往復(土日祝日は7往復)運行されている。距離も20km未満で短めなので、あまり苦痛にはならないだろう。とは言っても、一気に歩き切るのが基本である。
9:15 青森県営農大学校前付近には、線路の痕跡らしきものがあった。かつてJR野辺地駅から七戸まで南部縦貫鉄道という私鉄があり、レールバスが走っていた。大学生の頃、撮り鉄の友人について行き、乗ったことがある。記録を調べたら1979年9月17日か18日に行ったようだが、当時の写真が見当たらない。
廃止されたのは2002年だそうだが、あんな路線がよくまあ21世紀まで持ったもんだ。七戸駅は七戸の町の中心からかなり離れたところにあったそうで、42年前に行った時も、こんなところに? というような印象だった。
9:38 下道との追分を通過。10:31 国道4号の情報板に気温17℃の表示。夏日の先週より10℃も低く、歩き易い。11:01 柳平一里塚の説明板。「北東160メートルほどのところに一里塚があった。田圃の区画整理で消滅した。」と、書かれていた。また、「上道」ではなく「近道」としていた。11:24 「右千曳 左野辺地」と刻まれた追分石。
壺の碑公園の碑
11:55 尾山茶屋跡,12:02 壺の碑公園。どちらも壺の碑に関するものだが、壺の碑については諸説あるようだ。
12:35-12:52 旧街道推定ルートの一部を迂回。地図に載っていなかったので迂回したが、入口,出口を見たところでは通れそうだった。迂回せず、こっちを歩けばよかった。13:25 ラーメン屋があったので昼食。七戸十和田駅からここまで 25,759歩,16.7km。13:55 昼食後ウォーク再開。
14:10 下草刈り作業中の人に話しかけられた。奥州街道を歩いていると言ったら、「今日はヤマセ。ここらは涼しいけど、青森は暑いよ。」とのこと。青森県は津軽側の西部と南部側の東部で気候がかなり異なっている。14:35 野辺地駅到着。この日のウォーク終了。昼食後は 4,545歩,2.9km。
この日どこに泊るか、歩きながら考えていた。七戸十和田駅前のビジホ風温泉宿は、今朝電話した時に迷惑そうな応対をされたので、やめることにした。野辺地駅周辺にも宿はあるが、翌朝七戸十和田駅方面へ向かう路線バスに、ちょうどいい時刻の便がない。で、前回、五戸から七戸まで歩いた時に途中で泊った十和田市のビジホに電話して、部屋を確保。
15:00 の路線バスで十和田市内へ。16:15 1週間前に泊ったビジホに再びチェックイン。
21.6.21(月)
朝起きたら濃霧。昨日、下草刈り作業中の人に言われたとおり、ヤマセだな。それでも6:30 頃にはだいぶ晴れてきた。ビジホで朝食を取り、チェックアウトした後、まず近くのコンビニへ。前日は国道4号沿いだったが、この日歩く予定の道ではコンビニや昼食を取れる場所は期待できないため、昼食用におにぎりを購入。
7:45の路線バスに乗り、七戸方面へ向かった。案の定、路線バスには登校する高校生が何人か乗っていた。どこで降りるのかな? と思って見ていたら、七戸高校前で降りていった。スーツケースを持った乗客も数人いて、予想どおりその先の新幹線駅、七戸十和田で降りた。残った乗客は私を含めて3人。私はすぐ先の「中野」というバス停で降りた。前日歩いた時、上道と下道の分岐点に近いバス停を探したらここだった。こんなところで降りる乗客など滅多にいないだろうな。
8:30 中野バス停からウォーク開始。すぐに上道との追分を通過し、下道へ。こちらが本道とのこと。
8:38 「新型コロナワクチン接種会場」という立看板があった。七戸町の集団接種会場のようだ。何年か後には、「コロナ・パンデミックかあ。そんなこともあったなあ。」という思い出になるだろうな。
天間舘一里塚の先、70歳くらいの男性話し掛けられた「奥州街道を歩いているの?」「はいそうです。」区画整理された田圃の中をしばし通った後、9:59 地図に載っていない道の入口に。見たらFF車でも楽に通れる道だった。
10:35 蒼前平一里塚に着いた。東北電力の変電所敷地入口付近にある。塚の位置からして、旧街道は今の道より少し東、変電所側を通っていたようだ。また、ネットからダウンロードして地図上に表示したデータでは「卒古沢一里塚」という名前だった。現地の案内板や看板では「蒼前平一里塚」なので、こちらが正しいだろう。
ただ、「卒古沢一里塚」が間違いとは言い切れない。名前を決めて塚を造ったのではなく、造られた後で「・・の一里塚」という呼称が定着していったのだから、名前が複数ある一里塚はたまにある。
鳥のような形の木の瘤
旧街道が小川で遮られている区間を迂回した後、青い森鉄道の通る谷を通った。その先、旧街道のルートは地図に載っている道のはずだったが、道は見当たらなかった。廃道になったのかな。その後は、いかにも開拓地という光景の道を通った。酪農家も何軒かあった。
途中、リーシュに繋がれていない犬に吠えられた。3~4メートルほどのところまで近づいてきたので、ウォーク用の杖を突きつけるように見せたら、たじろいで後ずさりした。野良犬ではなく、飼い犬のようだった。
街道歩きで犬に吠えられることはよくあるが、屋外では繋がれている犬か、屋内の犬。屋外の繋がれていない犬に吠えられたのはたしか初めてだな。犬は繋いで飼いましょう。
山の中の一直線の道を歩いていたら、郵便配達の原チャリが追い越して行った後、再び戻ってきてすれ違った。13:10 長者久保という集落に到着。ここから地図に載っていない山道が2km以上続く。山道に入る前に、農家の倉庫脇で木の切り株に腰掛け、持参したおにぎりの昼食。ウォーク開始からここまで 27,252歩,17.5km。
13:28 昼食後ウォーク再開。地図に載っていない未舗装路へ。ただ、FF車でも難なく通れそうな道だった。途中、日本製紙と十條製紙の社有林の看板があった。原材料となる木の育成だろうか? 13:55 坊ノ塚一里塚に到着。現在の道より少し北側にあり、「奥州街道跡」と書かれた杭もあった。今の道とは少しずれているようだ。この一里塚を過ぎたあたりから小雨が降ってきたが、雨具は出さず、そのまま歩き続けた。
14:08 鳴子坂橋という案内板があった。最初、板橋(いたばし)と読みそうになったが、昔は鳴子坂という坂で、坂の途中が道路の切り通しで遮断され、陸橋が造られたとのこと。街道歩きをしていると、急な坂や長い坂で、・・坂という呼称が付けられていることはよくある。
仙台以北32番目,盛岡以北11番目の旧宿場、野辺地宿に入り、14:37 野辺地駅到着。この日のウォーク終了。昼食後は、7,013歩,4.4km。15:22 の青い森鉄道に乗り八戸へ。新幹線に乗り継ぎ帰宅。
さて次の区間はいつ歩こうか。梅雨入りして好天は少ないだろうし、梅雨明け後は暑いだろう。秋まで待つか、その前に1回くらいは行けるかな。