奥州街道仙台以北ウォーク 五戸→七戸 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

前回五戸まで歩いたので、順に進むと次は五戸からとなる。前回同様、主要駅接続の路線バスや歩く距離を考えると、次は五戸→十和田市で、その次は十和田市→七戸となる。この2区間、別々に行こうかとも思ったが、往復の交通費を考えると、途中で一泊するほうが安くなる。十和田市内にビジホがあるので、そこで一泊して2日続けて歩く計画にした。
あとは天候。2日続けて天候のいいタイミングを狙っていたが、梅雨入り前のせいか、このところ事前に予報が変わることがよくある。
21.6.12(土)
夕方、翌日,翌々日の天気予報を見て明朝行くと決めた。

21.6.13(日)
この日は五戸から十和田市まで歩く予定。前回歩いた三戸~五戸と違い、このルートに沿って路線バスが平日6往復(土日祝日は5往復)ある。距離も20km未満で短めだし、区間前半は国道4号沿いで、昼食を取れるところもありそうだ。あまり苦痛にはならないだろう。とは言っても、一気に歩き切るのが基本である。途中ギブアップで路線バスに乗るのはなるべく避けたい。
新幹線で八戸へ。八戸駅で南部鉄道バスに乗り、五戸駅バス営業所へ。


↓この日と翌日歩いたルートと写真→大きい地図で


9:55 五戸駅からウォーク開始。10:05 前回、バス時刻が迫っていて立ち寄れなかった五戸代官所へ行った。仙台以北28番目,盛岡以北7番目の旧宿場、五戸宿の中心もこのあたりかな。10:17 サイトウ坂という坂を下った。今はコンクリートの階段になっている。坂の下から左に折れて北上。10:23 日本酒の蔵元があった。
隣の工場も酒造所のようだったが、日本酒かどうかは判らない。
12:15 仙台以北29番目,盛岡以北8番目の旧宿場、伝法寺宿を通過。12:25 道の駅とわだに立ち寄り、ここで昼食。五戸から16,908歩,10.9km

13:15 昼食後ウォーク再開。少し南へ引き返し、13:22 国道4号から離れて西への未舗装道へ。地図にも書かれている道が旧奥州街道だが、途中から悪路になり始めた。スマホで位置を確認したら、だいぶ南にずれていたので、13:35頃引き返し。国道4号近くまで戻ったら、農家の前に40歳ほどの女性がいたので道を尋ねたところ、この先(西の方)、藤島(次の旧宿場)へ行く道はあるが、もう何年も通ったことがない。とのこと。


いったん国道に戻り、旧奥州街道の北側の舗装路を迂回することにした。「十和田燐寸軸木」という工場の前を通った。名前からして、マッチの軸を造っている工場かな。
舗装されている迂回路から未舗装路に入り、旧奥州街道へ。さっき通れなかった方へ行ってみた。畑のある所まではFF車でも通れる道だったが、畑が終わる所から先は草ぼうぼうで車は通れない状態だった。地図にも記載されている道なのにね。ただし、歩いて通れないことはないだろう。
さっき道を聞いた農家まで数百メートルほどかな。草ぼうぼうの中を強行突破しようかとも思ったが、やめておいた。引き返して先へ向かうことにし、未舗装の旧奥州街道を西へ。14:50 国道4号に合流。

15:05 仙台以北30番目,盛岡以北9番目の旧宿場、藤嶋宿を通過。一つ手前の伝法寺宿から藤嶋宿までは4kmあまりかな。距離は短いが、昼食を取りに寄り道したり、草ぼうぼうの悪路を迂回したりで、3時間近くもかかった。
15:13 十和田湖からの流出河川、奥入瀬川の橋を渡ったら、御幸橋の碑があった。説明板によると、明治天皇行幸に間に合わせるため、急遽6日で架けたのが最初の橋だそうだ。15:17 舟渡場跡。御幸橋が架けられる前の渡し舟は、このあたりにあったようだ。
舟渡場跡の近くに太子食品の工場があった。前々回の記事に、東北地方で豆腐や納豆の大きなシェアを持つと書いた食品会社である。豆腐の匂いがしたので豆腐や油揚げなどの工場かな。納豆の匂いはしなかった。

十和田市のマンホール。かつていた野生馬の絵。


15:42 一本木一里塚を通過。このあたりから十和田市街地に入ってきた。16:20 十和田市内のビジホに到着。ここでこの日のウォーク終了。道の駅とわだから17,456歩,10.7km。1泊以上の旅行は半年ぶり近く。まあ、コロナ禍だったから仕方がない。コロナが収まったらまた長旅がしたいな。

21.6.14(月)
この日は十和田市から七戸までの区間を歩く予定。この区間はほぼ国道4号とその旧道沿いで、十和田市中心部と新幹線の七戸十和田駅とを結ぶ路線バスも通っている。距離も約15kmほどと短め。

8:45 ビジホをチェックアウトしてウォーク開始。9:02 十和田市駅跡に立ち寄った。かつて十和田観光電鉄が通っていて、JR三沢駅と結ばれていた。高校生の頃、十和田湖へ行くときに乗った記憶がある。昔の写真を出してみたら、1975年10月10日の日付だった。46年も前になる。
検索したら廃止されたのは2012年と、わりあい最近のことで、地方ローカル私鉄としてはかなり長く持ちこたえた方だろう。46年前に私が撮った写真があったので、マイマップにアップしておこう。

 

9:34 土手山の大ケヤキ,9:56 真登地一里塚を通過。10:10「奥州街道」という新しい石碑があり、「至江戸日本橋百九拾参里拾八町」「至蝦夷松前只今測量中ニ付候」と刻まれていた。

 

「至江戸日本橋百九拾参里拾八町」

「至蝦夷松前只今測量中ニ付候」

 

日本橋から193里18町かあ。換算すると759.933kmとなる。私もよくこれだけ歩いて来たもんだ。ところでこの石碑に刻まれている「至江戸日本橋・・」の出典は何だろう? 伊能忠敬の測量隊が奥州街道も測量しているから、伊能隊の記録かな?


国道4号の七戸バイパス入口から旧道に入ってすぐ、歩道に積もった枯れ葉の除去作業をしていた。お疲れ様です。11:58 七戸橋を渡って、仙台以北31番目,盛岡以北10番目の旧宿場、七戸宿に入った。数え方にもよるが、江戸・日本橋からは100番目の宿場となる。町中には、醤油味噌の醸造元や日本酒の蔵元があった。
13:15 道の駅しちのへに到着。ここで昼食。十和田市のビジホから24,934歩,15.7km。
13:55 昼食後ウォーク再開。と言いたいところだが、道の駅しちのへは、新幹線七戸十和田駅にほぼ隣接している。14:05 2日間のウォーク終了。14:53 の新幹線に乗り、帰宅。