奥州街道仙台以北ウォーク 六原→花巻 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

21.5.10(月)
奥州街道の次の区間を歩きに。前回と同じ盛岡 7:15 の在来線に乗った。

この日歩いたルートと写真

 

前回、迂回路の途中でのウォーク終了となったJR六原駅から 8:25 歩き始めた。国道4号に出てすぐ、北上ハイテクペーパー(株)工場前を通過。48年前に来たことがあることを前回の記事に書いた工場である。
国道4号から県道254に入った後、踏切らしきものが見えた。JRの線路を越えて旧街道ルートに戻れそう。で、8:55 踏切を渡ったところ、警報器も遮断機ある第1種踏切だった。3日前の渡った六原駅南の踏切は警報器も遮断機も無い第4種踏切だった。どちらも自動車は通れない幅だが、こちらは警報器,遮断機あり。
田んぼの中を通り、9:03 北上浄水場正門前に着いた。旧街道のルートは、この浄水場に遮られていて通れない。旧街道ウォークではよくあること。こういう箇所は迂回するしかない。ここから旧奥州街道のルートに戻ることになる。
9:15 Y字路に奥州街道の標識があった。少し戻るように鋭角に曲がる標識だった。事前に調べたところでは、ここから北上するルートだったが、この標識を見つけたので少し東の水路沿いに歩いた。どっちが正しいかは判らない。水路沿いに歩いていたら、小雨に降られた。

 

伊達・南部の藩境塚。資料によると本物ではないとのこと。


10:00 相去地区交流センターでトイレを借りた。中では地元の人が集まって何かを手作りしていた。相去は伊達藩と南部藩との境である。相去追分,相去番所跡,藩境塚,鬼柳関所跡などに立ち寄った。ところで事前に調べたところでは、藩境の塚は本物ではないとのこと。現地の案内板には本物であるかのような説明が書かれていたが、真偽のほどは私には判らない。
10:50 和賀川を渡って北上市内へ。11:35 サブウェイで昼食。六原駅からここまで 15,898歩,12.08km。


11:50 昼食後、ウォーク再開。北上市という名は市政施行時に付けた名で、それ以前は黒沢尻町と言ったそうだ。高校の名も「黒沢尻」で始まっていて、黒沢尻工業はラグビーの強豪校である。また、黒沢尻宿は奥州街道の正式な宿場ではなく、間の宿だそうだ。

成田一里塚


12:50頃に二子一里塚,14:05頃に成田一里塚を通った。どちらも両側の塚が残っている。13:50頃、2箇所の塚の間で、旧街道ルートがキオクシアの工場敷地で遮られている区間を迂回した。この工場の社員駐車場には三重ナンバーが多数あった。鈴鹿ナンバーも。三重県から転勤してきた社員が多いのかな。

14:50 国道4号のバイパスで分断された箇所を越えた。この付近は河岸段丘の淵の上を通っている。小学校があり、ちょうど低学年の児童が帰宅しているところだった。
花巻の中心部に入り、宮沢賢治生家,鐘楼などの前を通過。16:08 JR花巻駅に駅に到着。改札のすぐ前に、盛岡行の快速が見えた。16:10 発とのこと。地方では1本逃すと何十分も待たされることはよくある。スイカ区間ではないので、急いで切符を買って乗車した。
そういえば数週前、北上~盛岡の駅にスイカのシステムが設置されることになったというニュースを見た。再来年度23年度運用開始とか。


乗ったのは釜石線からの快速のため、電車ではなく気動車だった。車内でスマホのGPS記録を停止させた後、iPod のウォークメータを停止させようとしたところ、iPod が動かない。スイッチを押しても立ち上がらず、画面は黒いまま。ついに壊れたかな。スマホを持つようになったから、もう iPod を使う必然性もないかな。でも、iPod で記録したこの日の歩数と距離を知りたい。

翌日、iPod を USBに繋いで電源供給したら立ち上がった。歩数と距離は前日の16:00:00で停止していた。花巻駅に着く8分ほど前に止まったことになる。何故、16時ちょうどでiPodがダウンしたかはわからない。北上での昼食から、ウォーク終了の8分前までの記録は 22,734歩,17.17km だった。
快速のため最寄り駅仙北町は通過。盛岡駅から歩いて帰宅した。