おくのほそ道ウォーク 黒部→滑川 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

20.10.02(金)
新魚津駅から富山地鉄の電車で電鉄黒部へ。9:15 ウォーク開始。県道314号を南下。

↓この日歩いたルートと写真

 

片貝川の橋の手前に「有賴柳 越中国守館跡」という石碑があったので立ち寄ってみた。橋を渡った先には、大伴家持の句碑があった。万葉仮名で全部漢字で書かれていた。

親不知を越えた後の曾良日記には、黒部川までは途中の地名、市振,玉木,堺,泊,入善,黒部川と、こまめに書いているのだが、その後は「昼過 雨為降晴 申ノ下尅 滑河ニ着」で、滑川まで跳んでいる。「雨為降晴」で、記録しづらかったんだろうか。途中の魚津が抜けている。
魚津には魚津埋没林というのがあり、保存・展示されている。2014年に見たことがある。一風変わった展示物だった印象がある。
電鉄魚津駅前で昼食。電鉄黒部駅から昼食まで、13,984歩,10.73km。

昼食後、米騒動の発生地へ行った。大正デモクラシー時代に起きて全国に広まった事件である。その頃は二大政党政治がそこそこ機能していたのに、それから30年後には軍部が強権支配する全体主義国家になってしまったのだから、民主主義とは脆い物だな。
魚津からは県道1号とその旧道を歩いた。早月川の橋を渡った少し先から県道138号に入ったが、これは県道1号の旧道だろう。14:05 坪川一里塚の石碑があったが、塚は原型を留めていなかった。
15:05 中滑川駅に到着。昼食後は 15,873歩,12.33km。電鉄黒部からは 29,857歩,23.06km。

JRや、JRの路線を引き継いだ三セク鉄道では、駅が町の中心から外れていることがよくある。この日歩き初めの電鉄黒部駅,昼食を取った電鉄魚津駅,ウォーク終了の中滑川駅は、すべて富山地鉄の駅で、町の中心か旧市街にあるが、JR北陸線を引き継いだあいの風とやま鉄道の駅は少しずれた場所にある。
次の下り電車は15:24の特急で、特急料金\110。地方私鉄で有料特急は多くはない。乗ったのは記憶にある範囲では長野電鉄以来かな。新魚津で降りてビジホに戻った。