奥州街道仙台以北ウォーク 宮野→有壁 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

20.9.21(月)
前日は道を間違えてかなり長めに歩いたため、体のあちこちに影響が出た。湿布薬を貼って寝た効果があったらしく、筋肉痛はわりあい回復していたが、足の裏にできた豆は一晩では治らない。ウォーク開始前にテーピングをした。

↓この日歩いたルートと写真リンク

 

8:20 ホテルをチェックアウトし、ウォーク開始。前日は30kmの予定を35kmも歩いてしまったが、この日の予定は23~24kmほど。前日の影響もあり、急がずにゆっくり歩くことにした。
すぐに「下宮野大仏入口」という標柱を見たので立ち寄ってみた。奈良や鎌倉の大仏のような銅製ではなく、石仏だった。大仏と言うより、大きな石仏といったとこかな。
9:25 富野小学校の入口に、ドクターヘリ着陸場の表示があった。ドクターヘリ関連の表示は初めて見たな。

 

その表示から先は未舗装で田んぼの中の道。稲刈り直後で、稲が干してあった。刈り取った稲の束の干し方は、地方によって異なる。と聞いたことがある。宮城北部のこのあたりは、↑の地図からリンクされている写真のとおり。この干し方、岩手も同じような形だな。

歩行者用の橋を2つ渡った後、9:50 旧街道の推定ルートは田んぼの中。田圃の中を稲をかきわけて進む訳にはいかないので、畦道に入った。途中、用水路一本と交差。U字形コンクリートの樋を繋いで設置した用水路で、幅は1.5mほどか。助走をつけてジャンプ。飛び越えた。


畦道から車道に出た後、10:10 根岸下橋という橋を渡ろうとしたら、橋の四隅に銅像があった。橋の南詰両側に対の銅像。北詰の両側も同じパターンで、2種類の銅像が対で2組あった。↑の地図のリンク先写真のとおり、物語か何かのストーリーに拠る銅像に違いないが、何の物語かは私には分からない。根岸下橋を渡った後にはヒガンバナが咲いていた。前日見た羽黒山公園のヒガンバナはほとんどつぼみだったが、ここのは満開近く。


11:05 仙台以北10番目の宿場、沢辺宿を通過。11:15 くりはら田園鉄道の廃線跡を通過。40年ほど前「栗原電鉄」という名の頃、乗ったことがある。日本では岐阜の神岡鉱山に次ぐ規模の鉛・亜鉛の鉱山だった、細倉鉱山の鉱石輸送で賑わっていたという。採掘可能な鉱石をまだたくさん残しながら、1987年に閉山に追い込まれたそうだ。鉱物資源を利用しないのははもったいないけど、何事も経済的合理性にはかなわない。

学生時代、頻繁に行ったことがあるカレーハウスのマスタが、細倉鉱山のあった鶯沢村の人だったこともあり、印象が強い。鉱山の閉山で運ぶ物が無くなった「栗原電鉄」改め「くりはら田園鉄道」、ローカル私鉄としてはかなり最近まで残っていたが、ついに2007年に廃止。

その先、奥州街道は金成のイオンモールを通る。都会や大きめの地方都市のイオンモールに比べればかなり小さいが、昼食を取れるテナントがある。ここのとんかつ屋で昼食にした。朝ホテルを出てからここまで 、1.63km 15,594歩。
収穫時期限定ランチ「早乙女ランチ」というのがあり、メニューを見たら、通期のヒレカツ定食の味噌汁を小うどん(小そばも可)にし、茶碗蒸しを加えたものらしい。これと中ジョッキを注文。

昼食後、仙台以北11番目の宿場、金成宿にさしかかったら「金成歴史民俗資料館」の看板があった。行ってみたら左にキリスト教の教会が見えたが、十字架の形がカトリック・プロテスタントのとは違う。ロシアやボスニア,フィンランドなどで見かけた東方正教系のようだ。日本では少ない東方正教系。あれっ? と思ったので写真を撮った。
写真を撮った後、民俗資料館を見学。旧金成小学校の建物を資料館としたもの。館内を見学した後、説明の人に隣の東方正教会いついて質問した。日本で最初にハリストス正教会の洗礼を受けた人物の出身地がここ金成で、監獄暮らし2年,東京での正教会師事の後、この地に戻って堂を建てて布教を始めた。とのこと。

キリスト教の三大宗派、カトリックとプロテスタントは知っていても、東方正教を知らない人は多い。ミッションスクール卒の知人から、東方正教を知らないと言われた時は、半ば絶句した。まあ、私もキリスト教に詳しい訳ではない。金成にこういう教会があるとは知らなかった。本当に偶然ではあるが、こういう未知との遭遇が旅の醍醐味だね。

金成のすぐ先で国道4号から東へ逸れ、夜盗坂という坂を上っていたら小雨が降ってきた。夕立かな? と思ったが、土砂降りにはならず、すぐ止んだ。夜盗坂から下り始めた辺り、地図では左に折れる道があるのだが見当たらない。前日の間違え道で大失敗して懲りたせいもあり、途中から引き返したりして確認した。左に折れずに直進する道は、地図にははっきり載っているが、廃道同然とわかった。廃道同然の道が奥州街道の旧ルートであることにも、悩みを増長させられたかな。

その先、奥州街道の旧ルートは東北自動車道に遮られている。事前の下調べでも、この遮られた区間のルート詳細は不明で、実際に歩いてみて少し戸惑った。↑の地図で金成PAの南側で赤い線が右往左往しているのが、私が迷ったルート。3,4か所探して、高速の東側側道に入る地点やっと見つけたのは 14:45。ここから未舗装の上り坂。
高速の側道に着いてすぐ、右に奥州街道の標識があった。斜め右の草むらが旧街道らしい。蜘蛛の巣は覚悟したほど多くはなかった。草むらの旧街道を数分歩いて車道に出た。

15:00 有壁本陣まで4.3kmの表示があった。ここで事前に調べた電車時刻のメモを見た。有壁駅15:32の下り電車には間に合わないが、次の16:16には乗りたい。その次の17:31は乗り継ぎが悪く、そのまた次の18:17と到着に大差なし。
1時間15分で4.3kmなら歩けるだろう。途中に上り坂もあるが、やや速めに歩けば十分間に合う。この日はここまで急がずにゆっくり歩くことにしていたが、ここからは通常のペースにした。

16:00前、JR有壁駅着。昼食後ここまで 17.07km 21,965歩。朝からの合計は 28.70km 37,559歩。
この有壁駅は宮城県にあるが、両隣の駅は2つとも岩手県で、飛び地のような駅である。有壁から東北線の各停一ノ関行に乗った。有壁 16:16 → 16:23 一ノ関の後、一駅先の一ノ関で下記の乗り継ぎとなる。
在来線:一ノ関 16:28 → 18:02 盛岡
新幹線:一ノ関 17:14 → 17:54 盛岡
接続時間5分の在来線に比べ、51分待って新幹線に乗っても盛岡着は8分早いだけ。8分の違いに新幹線特急料金\2,500を払う価値はないだろう。在来線に乗り継いだ。

18:00 前、盛岡の1つ手前の仙北町で降りた。6月に盛岡に引っ越した後、自宅最寄り駅はこの仙北町駅となったのだが、これまで在来線に乗る機会はなく、仙北町駅での乗り降りはこれが初めて。駅から15分ほどで帰宅した。