20.09.16(水)
大和のビジホをチェックアウトし、8:40 ウォーク開始。
↓この日歩いたルートと写真リンク
すぐに、松島へ行く街道との追分を通過。8:55 仙台以北3番目の宿場、旧吉岡宿の本陣跡、吉岡宿本陣案内所に立ち寄った。映画「殿、利息でござる!」関連の展示が多かった。2016年の映画で、数年前に飛行機の機中で見たことがある。映像を見ていたら、2015年に行った「スタジオセディック庄内オープンセット」が写っていた。フィギュアスケートの羽生結弦選手が、伊達の殿様役をしていたのも印象に残っている。
案内所の人の解説によると、映画「殿、利息でござる!」は実話がベースで、一千両(現在の3億円相当)の金を工面して伊達藩に預け、年1割の利子を受け取ることで吉岡宿周辺の農民が潤ったとのこと。
その経緯が「吉驛國恩記」という名で記録されて残っていて、それが歴史家の磯田道史氏によって「無私の日本人」という本の一編として紹介された後、映画化されて「殿、利息でござる!」になったそうだ。
その後、この制度は一時中断・復活したり、伊達藩が元本切り崩しを図ったりした後、明治維新まで100年ほど続いたそうだ。
今まで詳しいことを知らなかったが、意外に面白そうだな。「無私の日本人」を読んでみたくなった。1時間近く解説を受けたり見学したりした後、9:50 ウォーク再開。
10:15 出羽街道との追分を通過し、直後に富谷市から大衡村に入った。宮城県唯一の村だが、トヨタ自動車関連の工場があり、寒村ではない。10:20 国道4号のバイパスを横断。旧七北田宿からここまで概ね国道4号とその旧道沿いだったが、ここから次の三本木宿までは離れた所を通っている。
10:40 昌源寺に立ち寄った。この先、旧街道のルートは現在のトヨタ自動車の工場敷地内を通っていたらしい。この工場敷地は通れないだろうから迂回。11:00 大衡城跡に立ち寄った。このあたりから先は並行するバス路線が見当たらず、途中リタイヤできないので、歩き切るしかない。
11:50 県道57号から離れて山道へ。旧街道が山道として残っている区間とのこと。吉岡宿本陣案内所で聞いたところでは「この山道は通れるかどうか判らない。」とのことだった。多少草ぼうぼうで、蜘蛛の巣だらけだったがなんとか通れた。12:05 山道を抜けて県道に出た。
12:25 須岐神社に立ち寄ってトイレを借りた後、ウォーク用のステッキに絡まりついた蜘蛛の巣を、神社の手水で洗い落とした。12:50 県道16号を東北自動車道が跨ぐ地点から、高速沿いの側道のような道になる。跨ぐ地点の手前に旧道の痕跡らしき道があった。旧街道歩きで高速と交叉することはよくあるが、高速の側道沿いに歩くのは今まであったかな。初めてのような気がする。
13:45 「明治天皇鑾輿航渡聖蹟碑」という案内板があったが、肝心の石碑が見当たらない。周囲を歩いたら、案内板の後ろの草ぼうぼうの中に、石碑の頭だけが辛うじて見えた。こういう石碑は、地元近隣の人が草取りをしている場合が多いのだが、ここは草ぼうぼうだった。
その直後、三本木パーキングエリア付近を通過。この三本木PA、売店が無くトイレだけのPAで、東北道を走った時にほとんど立ち寄ったことがない。ただ、仙台⇔古川の高速バスがこのPAに停車してバスに乗降可能なので、念のためバス時刻を事前に調べておいた。
14:15 鳴瀬川を渡り、仙台以北4番目の宿場、三本木宿を通過。ここから先は、古川駅行きの路線バスルートと並行するので気が楽だ。調べたところではこのバス路線、平日の古川駅発が6本なのに古川駅行きは8本で、上り下り非対称。なんでこういう本数なんだろ。
14:30 国道4号と合流。15:00 バイパスと分れ、国道の旧道に入った。
15:40 万葉集にも名が記されているという歌枕、緒絶橋を越えた。おくのほそ道では「平和泉と心ざし あねはの松 緒だえの橋など聞伝て 人跡希に雉兎蒭蕘の往かふ道そこともわかず 終に路ふみたがえて 石の巻といふ湊に出」で、姉歯の松とこの緒絶橋を見に行きたかったが、道を間違えて石巻まで行ってしまったように読めるが、曾良日記によると、最初から石巻を目指していたらしい。
緒絶橋を越え、仙台以北5番目の宿場、古川宿に入った。16:05 JR古川駅着。吉岡宿からここまでのウォークは、37,928歩,28.97km。古川駅前には金色の郵便ポストがあった。この形の鋳鉄製郵便ポストは赤く塗られていることが多いが、何故かここのは金色。何でだろう。16:52 の新幹線で盛岡に戻った。