北国街道は当初、中山道の信濃追分から高田までだったらしいが、佐渡の金銀輸送のため出雲崎まで延長となり、最後は新潟湊までとなったらしい。
2012年10月から13年6月にかけて、中山道信濃追分から旧北国街道の内陸区間を直江津まで歩いた。そのとき事前に、信濃追分在住の中山道研究家が出版した北国街道に関する著書、岸本豊著『北国街道を歩く』を購入した。岸本氏のこの著書は、信濃追分から高田を通って、出雲崎までの解説となっている。おくのほそ道と重複するこの区間の旧宿場の情報や距離については、この著書からも情報を得られる。
19.09.27(金)
長岡駅前 9:10発の越後交通の路線バスに乗り、出雲崎・良寛堂前へ。
↓この日歩いたルート & 写真
10:05 良寛堂前からウォーク開始。前日も行った道の駅出雲崎の隣にある、天領出雲崎時代館・出雲崎石油記念館を見学。時代館はやはり佐渡の金銀や海運のことが中心。一方、石油記念館は近くの油田のことが中心。実はここには7年前、2012年の7月に車で来たことがあり、その時も見た。海岸から数十メートルほど離れた場所に人工の島があり、櫓がある。何でも、石油を掘削した跡だそうで、世界初の海底油田という触れ込み。
11:05 時代館・石油記念館を後にし、海岸沿いの国道352号を南西へ。11:25 綱堀式油井保存施設を見学。11:35 獄門跡。「パワースポット」とか書いた幟があったが、処刑場跡にこういう幟を立てるのは適切だろうか?
12:10 旧石地宿を通過。岸本氏の著書によると出雲崎宿→石地宿 4.4km。出雲崎で陸揚げされた佐渡の金銀は、この道と北国街道,中山道を通って江戸へ運ばれたんだな。牛の背に載せて運んだそうだ。金銀の運送だから当然、護衛の侍が何人も同行したに違いない。
旧椎谷宿の手前、椎谷崎トンネルに差しかかった。海岸側に旧道が見えたので、旧道のほうを通ろうと行ってみたが、地を這う蔓がぼうぼうで断念。トンネルを通った。14:15 旧椎谷宿に着いた。岸本氏の著書では石地宿→椎谷宿 7.9km,出雲崎宿から 12.3km
出雲崎・椎谷間の路線バスは平日3往復の柏崎駅発着だけだが、椎谷から先は平日7往復になる。
14:35 旧宮川宿に着いた。岸本氏の著書では椎谷宿→宮川宿 2.5km,出雲崎宿から14.8km。ウォーキングメータでは出雲崎・良寛堂前から 17.9km,22,940歩。
宮川の海岸へ行ったら、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の送電塔が見えた。
15:04 発の越後交通の路線バスに乗り、柏崎駅へ。柏崎から信越線の電車で長岡へ戻った。