おくのほそ道ウォーク 佐々木→沼垂 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

築地から新発田川まで前日歩いた。新発田川から先のルートであるが、この新発田川をネット検索したら、江戸時代初めに、初代新発田藩主が新発田城を築いた時、この水路を開削して造らせたもので、昭和に入るまで、新発田・新潟間の人や物の交通手段として役目を果たしてきた。とのこと。
現在の形ではないにせよ、芭蕉と曾良の頃には既に新発田川の整備が始まっていたことになる。二人が新潟まで水路で行ったんならこの新発田川を通ったかもしれない。という訳で、ここから先は新発田川沿いに歩くことにした。

ただ、ジオシティーズの「いこいの広場」のように、それより5kmほど南の現在の福島潟へ出たという人もいる。福島潟から流出して阿賀野川に合流する新井郷川は、わりあい自然な流路の形に見えるので、そっちのほうが妥当かもしれない。いづれにせよ、曾良日記の記述だけではルートは特定できない。おくのほそ道をたどるウォーキング自体、自己満足でやっている以上、概ねあっていればいいさ。

いろいろ地名を出して水路のことを書くより、地図で見るほうがわかりやすいので、この日のウォークルートを下↓の地図にまとめました。写真も貼り付けてあります。

(半日後追記)ありゃりゃ。貼り付けた写真が消えちまった。んな訳で、再度貼り付けました。今度は大丈夫かな・・


19.09.19(木)
ビジホを出て新潟駅へ。8:05 の電車で佐々木駅へ。8:50 佐々木駅からウォーク開始。前日渡った新発田川に架かる県道3号の佐々木橋へ戻った。9:05 橋から新発田川沿いの土手へ。8:20 新発田川が太田川に合流している箇所に出た。この合流地点までは曲線でわりあい自然な川に見えたが、そのすぐ先で西へ別れ、直線で明らかに人工の水路となる。太田川から別れ、新発田川水路の南側を歩き始めた。
9:50 貨物線の線路に行く手を遮られた。後で調べたら、黒山駅から新潟東港へ行く線路らしい。近くに踏切が無いうえ段差も大きく、越えられそうがない。並行する細い道の橋を渡ったあたりは段差が小さく、そこで線路を越えた。踏切のない場所で線路を越えたのは久々だな。いつ以来だろう。
10:30 新発田川が他の川に遮断されている箇所に出た。派川加治川という川らしい。ただ、この位置を誤認し、500m ほど南の橋へ大回りしてしまった。
12:55 いったん新井郷川に合流。そこから1kmほど下流で新井郷川と別れ、西へ。阿賀野川に出る前、昼食をとれる店があり、13:25~13:55 昼食。佐々木橋から 18.1km,23,543歩。

昼食後、数百メートル北にある県道17号の阿賀野川の橋を西へ渡った。昨日から歩いたうち、新発田川を遮断している川の中で最も川幅が広い。そこから南下して遮断地点の向かい側に出た。ここからまた西に向かう水路があり、東からやってきたさっきの水路と続いていたことがわかる。新発田川の続きで、現在は通船川という名前だそうだ。
14:25 通船川沿いに西に歩き始めた。じきにS字曲線となり、いったん南下する。このあたりは、自然な川筋みたいだ。トイレを借りた後、西進へ。ここからはまた直線で、人工水路のようだ。貯木場のプールなどがあった。焼島潟の跡を通り、16:25 新栗ノ木川に合流。その数百mほど下流で旧信濃川に合流するから、このあたりが新発田川水路の西端かな。
17:05 ビジホに到着。昼食後は 15.1km,18,926歩。