この週末の天気予報、首都圏は土曜午後から雨だが、福島は曇りだったので、ウォークの続きと決めた。
18.06.23(土)
朝5時過ぎ、最寄駅から相鉄で横浜へ。東京駅で新幹線に乗り、郡山から在来線に乗り次ぎ、二本松へ。
奥州街道-おくの細道の差分、福島県内3か所目は二本松→黒塚→安達で、この区間は6kmほどかな。
奥州街道のこの区間を歩いたのは、2014年5月1日で、その時は旧本宮宿からJR安達駅まで歩いた。
途中、二本松で霞ケ城に立ち寄ったら夕立に見舞われ、1時間近くトイレで雨宿りした覚えがある。
雨が止んでから二本松駅前に戻り、細道より北側の根崎を通り、
智恵子抄で有名な高村智恵子の生家の前を通って、安達駅まで歩いたなあ。
今回は南側のおくの細道ルート。9:08 二本松駅からウォーク開始。
亀谷坂入口交差点で旧奥州街道から別れ、1kmほど先で阿武隈川の橋を渡り、黒塚・観世寺へ。
その昔、道に迷った旅人が灯りを見つけ、一人暮らしの老婆に頼み込んで泊めてもらったところ、
夜中に物音で目が覚め、見たらその老婆が包丁を砥いでいた。
という、安達ヶ原の人喰い婆で有名なところである。
芭蕉と曾良も、奥州街道から外れてわざわざ舟で阿武隈川を渡り、ここを訪れたらしい。
観世寺という寺に黒塚資料館があり、入場料を払って見学。
解説によると、安達ヶ原の人喰い婆のストーリーは、もう少し複雑だった。今まで知りませんでした。
ネット検索するといろいろヒットするので、ここには書きません。

人喰い婆の墓とされる黒塚からの出土品も展示されていた。
人を切断するのに使った包丁とか表示されていたものもあった。
たしかに金属器のようではあるが、ほんとに人喰い婆の使った包丁かな?
展示物が本当に出土品だとしても、人喰い婆が使った物だという科学的根拠はあるのかな。
観世寺・黒塚資料館のあと黒塚に立ち寄り、阿武隈川の橋を戻った。10:47 旧奥州街道に合流
10:56 安達駅着。二本松駅から、8.38km,10430歩。
4年前に来た時の安達駅は木造平屋のしょぼい駅舎だったが、
今回来たら、ずいぶん立派な新しい駅舎になっていた。冷房完備の待合室まである。
11:34 の電車で福島へ。次なる差分、4か所目は福島→文知摺→医王寺→桑折のジグザグルート。
東西にジグザグで奥州街道を跨ぎ、20km以上ある。
福島駅で昼食の後、ウォーク開始。13:28 旧奥州街道から右へ折れて中村街道(国道115号)に入った。
阿武隈川の橋を東へ渡って、14:05 文知摺観音到着。ここは20年以上前に来たことがある。
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに
俳句ではなく、百人一首の和歌です。
文知摺観音のあと、2kmほど北上。「じょうもぴあ宮畑」というところがあった。
縄文時代中期,後期,晩期の3つの集落の跡が複合している遺跡とか。
ただし、中期と後期は連続していない。とのこと。
集落がいったん滅んでも、住みやすい環境であればまた人が集まってくるということか。
後期の住人は、中期の痕跡に気づいただろうか。何人かは気づいただろうな。
我々の住む現代文明、そう遠くない将来、破綻するような気がしてならないのだが、
次の代の人類、もしくは地球の次の支配者は、我々の文明の痕跡に気づくだろうか。
じょうもぴあを見学したあと西へ向い、阿武隈川の橋を渡った。このあたりは果樹園が多いな。
阿武隈急行の瀬上駅に 15:54 着。福島駅から15.29km,19442歩。
16:08 の電車で福島へ。駅前のビジホにチェックイン。
18.06.24(日)
駅前のビジホをチェックアウトし、阿武隈急行で瀬上へ。8:45 ウォーク開始。
国道4号,旧奥州街道を横切り、東北本線,新幹線を過ぎたあたりから、
住宅地から田園風景に変わったが、果樹園が多い。
果樹園農家のみなさん。原発事故以後の風評被害に負けないでください。
福島交通の踏切を渡り、10:15 医王寺着。医王寺見学後、飯坂温泉へ。
11:15 温泉街の手前で、「福島片岡鶴太郎美術庭園」という看板が見えた。
「ランチタイム」の幟もあったので、ここで昼食をとることにした。瀬上駅から、9.65km,12473歩。
昼食後、福島片岡鶴太郎美術庭園を少し見た。タレントの片岡鶴太郎氏の
美術品等を展示しているらしい。その後ウォーク再開。飯坂温泉の温泉街へ。
芭蕉と曾良も浸かった温泉だが、泊まったのが貧農の家で環境がよくなく、芭蕉は持病を発したそうだ。
飯坂の温泉街をぶらり。旧堀切邸を見学。その後、共同浴場の鯖湖湯前を通った。
この鯖湖湯、30年以上前に浸かったことがあるが、かなり熱かったことを覚えている。
12:30 十綱橋を渡り、飯坂の温泉を後に東へ。この先の細道のルートは2説あるようだ。
現在の国道399号でJR伊達駅方面へ向かう南側ルートと、
奥州街道旧桑折宿へ向かう北側ルートの2つである。
北側ルートを選んだが、まっすぐで新しい県道。どうも様子が変だ。
福島市と桑折町の境を越えたあたりで、右側を並走する道へ入ったら、
「奥の細道 葛の松原」と書かれた杭が立っていた。こっちが正しいルートか?

手持ちの地図のルートから外れた所に立っていた杭
用水路沿いの道で、今の県道の旧道のようである。ただし自然の川ではなく、
比較的新しい用水路に見える。芭蕉の頃に、この用水路が既にあったかどうかはわからない。
「松原」の名称は、それなりの広い範囲を指しているだろう。入手できる資料では、
曾良日記からルートを推定しているのだろうが、どれが正しいルートかは断定できない。
東北本線の下を通る地下道をくぐり、14:08 旧奥州街道に合流。
奥州街道 - おくの細道の差分はこれで踏破。あくまでも差分だけ。どちらも全区間には程遠い。
14:14 旧伊達郡役所。見どころではあるが、過去に3回も見たことがあるので、今回はパス。
このあたりが、奥州街道旧桑折宿。4年前の奥州街道ウォークでは、
5月03日に、阿武隈急行福島学院前駅から越河まで歩いた時、昼前にここに着いた。
14:35 桑折駅着。次の上り列車は6分後の14:41発。すぐに切符を買い、JR東北線で福島駅へ。
新幹線ホームへ行ったら、臨時のつばさが来た。やまびことの併結なし。これで帰宅。