シベリア鉄道初日 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

13.7.28(日)

● ウラジオストク駅 ●
 ホテルをチェックアウト後、荷物をウラジオ駅の荷物預り所に預け、
 まずは、駅構内にある、シベリア鉄道のキロポストへ行った。

 シベリア鉄道終点の標識。モスクワから 9288km と書いてあるが、
 新線に付け替えられた区間がいくつかあり、実際にはこれより40kmほど短いそうだ。
 とは言っても9259kmで、世界最長の鉄道である。

イメージ 3

写真.シベリア鉄道終点の標識。モスクワから、9288km

● ロシアの海岸 ●
 市内を散策。街の北西側の海岸(スポーツ湾)へ。思ったより暑い。30℃あるだろう。
 海水浴場として賑わっているが、軍港も近いらしい。沖合いに軍艦や潜水艦が多数見えた。

 旧ソ連の4大艦隊は、サンクトペテルブルクのバルティック(バルト海)艦隊,
 ウクライナ・クリミア半島の黒海艦隊,ムルマンスクの北海艦隊と、ここ、ウラジオの太平洋艦隊。

● 隔世の感 ●
 30年前のウラジオストクは、外国人立ち入り禁止の閉鎖都市だった。軍事上の理由である。
 ゴルバチョフさんが外国人に開放し、現在では中国・韓国などからの観光客で賑わっている。
 中国語,韓国語のほか、日本語も聞こえてきた。

 その後、南東側の金閣湾から、市内を一望できるという、鷲の巣展望台へ向かった。
 ウラジオストクは、坂の町ですね。中国の大連に似ているな。

● 市内の車 ●
 右側通行の国なのに、市内の車の9割以上は右ハンドル車。そう、日本の中古車です。
 坂を上り、鷲の巣展望台に到着。ここにいた観光客の2/3は、中国人と韓国人だった。

イメージ 2

写真.鷲の巣展望台から望む金閣湾

● 海岸で昼食 ●
 展望台から繁華街を通って、再び北西側のスポーツ湾へ。ここで昼食。
 海岸沿いにバーベキューハウスがあり、バーベキューとпиво(ピーヴォ)(ビール)を注文。
 バーベキューが焼きあがるのを待っている間に、ビール1杯飲んでしまった。追加でもう1杯注文。

イメージ 1

写真.ウラジオ・スポーツ湾でのバーベキュー

● 渤海は・・ ●
 沿海州博物館へ行った。千数百年前、ここら辺は渤海国だった。渤海の資料とか期待していたが、
 ほとんどなかった。むしろ、旧満州での日本の資料が多かった。

 日本が朝鮮半島を植民地化し、満州に傀儡政権を樹立していなかったら、
 これらの地域は、ロシアのものになっていた。という説を聞いたことがある。
 それは事実だろう。とは言っても、日本のこの行為が侵略でないはずはない。

 結局は力のせめぎ合いで勢力範囲が決まったのである。
 数千年の昔から人類はそうして歴史を築いてきた。

● 夕方から雨 ●
 天気予報ではにわか雨だったが、朝から昼過ぎまで雨は降らなかった。が、夕方から雨になった。
 ショッピングセンタなどで雨宿りをして、時間が過ぎるのを待った。
 傘を差さなくてもすむ程度の雨だったが、さすがに涼しくなった。でも、半袖で十分。

● ついにシベリア鉄道へ ●
 旅人なら一度はあこがれるシベリア鉄道。ついに私もチャレンジする時がきた。
 最初は、ウラジオ21:25発ハバロフスク行き005列車。
 車両は2段式の2等寝台。同室者は、20歳前後の若い男性2人と、30代半ばの女性。