回顧録(2/2) - モスクワまで、飛行機にもシベリア鉄道にも乗らずに | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

● 4.27(日)
◆◇ 中国→カザフスタン 国境越え ◇◆
 8:00 阿拉山口火車站着。
 中国出国手続き。中国→カザフスタン国境越え。
 「阿拉山」とは、アルタイ山脈の意味らしい。
 
 11:00 (ここからカザフ夏時刻=中国時刻-1H=日本時刻-2H)
 ドルジバ駅着。カザフ入国手続き。

 カザフの税関職員はマスクをしていた。SARS対策でしょう。
 
 全員の入国手続きが終わったあと、私だけ部屋に呼ばれる。
 案の錠、賄賂の要求だった。私の申告書を見て、
 中国元を結構持ってるね100元くれないか。ということだった。
 "discount" とボディーランゲージをしたら、意外にあっさり引き下がり、
 賄賂を払わずにすんだ。
 
 隣のコンパートメント(部屋)の中国人が、電気炊飯器を取り出し、
 車内のコンセントに繋いで飯を炊き、そのあと炊飯器で餃子を茹で始めた。
 いくら餐車がないとはいえ、そこまでやるか?
 
 14:00 線路の幅が違うため、台車交換。
 中国は標準軌(1435mm=4フィート 8.5インチ),
 旧ソ連は広軌(1524mm=5フィート)
  注:1フィート=12インチ
 
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  写真5.ドルジバ駅での台車交換作業中に撮影。
     1両1両に切り離してから持ち上げ、台車交換。
 
 台車交換作業中、駅前の食料雑貨店で中国円をカザフスタン・テンゲに両替。
 この店でよく冷えたビール(ロシア語でпиво(ピーヴォ))発見。
 冷えたビールは上海以来久々。
 
 16:00 ドルジバ駅発。
 中ソ対立時代の名残か、出国手続き,入国手続き,台車交換で9時間もかかった。
 なんとかならないもんかね。
 
● 4.28(月)
 8:30 Алматы(アルマティ:阿拉木図)Ⅱ駅着。アルマティ2泊。
 
 アルマティはカザフスタンの最大都市で、1999年まで首都だった。
 同室の陳さんの奥さんと息子が出迎えにきていた。
 
 ホテルでモスクワまでの国際列車の切符を受け取った。
 ホテルから見える天山山脈(の支脈)は残雪でとてもきれいでした。
 山の向こう(南側)はキルギスタン。また別の国です。

 
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  写真6.アルマティ市内のホテルから、南の方角、天山山脈を望む。
 
4.29(火)
 アルマティ市内をぶらぶら。生まれて初めて現金強奪される。
 海外でぼられたことは多々あるけど、現金を奪われたのはこれが初めて。

 財布を開けていたとき、一人に気をそらされた隙に、グルの相棒に手を突っ込まれた。
 40US$ + 500カザフテンゲ(約\400) と少額だったのがせめてもの救い。
 2度とあの手口にはだまされないぞ。
 
 銀行でロシア・ルーブルを入手したり、博物館へ行って過ごす。

■□ アルマティ→モスクワ □■
4.30(水)
 8:02 アルマティⅡ駅発。モスクワ行き7国際列車。車中3泊。
 
 超ぼろい車両。これが国際列車か?
 中国国内列車の ほうがはるかにきれいで近代的。
 
 同室はロシア人女性。70歳前後かと思ったが、後でパスポートをみたら61歳だった。
 
 それより驚いたのが、湯沸し機。
 中国の列車の湯沸し機は電気式で24時間使え、朝食はカップ麺にこのお湯を入れてました。
 が、カザフの車両の湯沸し機は、なんと石炭!! コークスかな?

 夜間は火災防止のためでしょう、火を落としてました。
 毎朝車掌さんが火を入れてくれるのですが、湯が沸くまでは待たねばならない。
 
 しばらく走ったら天山山脈は見えなくなり、カザフステップの大草原となる。360度地平線の場所も多い。
 
 日中 食堂車へ行ったが、ほとんど客がいない。
 中国の餐車(食堂車)はメニューも豊富で大勢の客で賑わってたのに。

 国際列車なら食堂車に英語のメニューもあるかなと思いきや、
 ロシア語のメニューもカザフ語のメニューもない。
 ロシア語でメニューを手書きしてくれたが、
 旅行会話集と照らし合わせても、ほとんどわからない。
 
 途中駅でビール(пиво:ピーヴォ)を何回か買った。
 まったく冷えていないので、うまくない。

 車窓はひたすらカザフステップの大草原と地平線。
 夕刻、少し大き目の町、シムケント(たしかカザフで3番目か4番目に大きい町)の駅で、
 中国製カップ麺を売っていた。食堂車があてにならない以上、カップ麺とパンを多めに購入。
 
5.01(木)
 日中、ロシアの宇宙基地バイコヌールそばを通過。
 隣のコンパートメント(部屋)のロシア人女性の甥の少年が、
 少し英語を話せると判り、しばしば会話。
 退屈な車内で、少年は元気をもてあましているらしい。話していて疲れる。
 
 途中駅で買うビール(пиво:ピーヴォ)が楽しみだけど、冷えてない。
 車窓は相変わらずカザフステップの大草原と地平線。
 
5.02(金)
 朝起きたら喉が痛い。まさかSARS感染か?
 車窓はカザフステップの大草原と地平線だけど、だんだん木や森が増えてきた。
 
 日中、カザフスタン→ロシア国境越え。
  (ここから、ロシア夏時刻=カザフ夏時刻-3H=中国時刻-4H=日本時刻-5H)
 
 国境越えのあたりからなんだか熱っぽい。やはりSARS感染か?(^ ^);
 午後、大事をとって昼寝。2時間ほど寝たら熱は下がった。
 夕刻、ヴォルガ河を渡る。
 
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  写真7.ヴォルガ川の鉄橋。渡った後、右にカーブするので、こう見えます。
 
 ヴォルガ河を渡ったところにある町、サラトフで同室の婦人下車。
 
 入れ替わりに、20代後半の男性乗車。
 スウェ ーデン生まれで、アイルランドの首都ダブリン在住とのこと。
 サラトフで2週間、ロシア語の研修を受けたそうな。
 やはり北欧人は英語がうまいですね。少し難しい内容の会話にはちょっとついていけない。
 
5.03(土)
 10:27 モスクワ・カザン駅着。あのシベリア鉄道とはモスクワ市内でも合流しない。
モスクワは東京の3月くらいの気温でした。薄めの長袖ジャンバでちょうどいいくらい。
 クレムリン,赤の広場をぶらぶら。
 
5.04(日)
 昼から雨。結構降ってる。予定を切り上げ、早めだけど空港へ。
 19:10 モスクワ→成田 帰りは飛行機 機内1泊。
 
5.05(月) 9:40 成田着。帰国。