ミニモラ夫だったのです1 | でも、私の心は死んでいたんです。

でも、私の心は死んでいたんです。

うちのモラ夫なんて、ほかの家庭に比べるとめっちゃザコなんですけど、でも、私の心は死んでいたんです。
まきやま(アラフィフ)は5年前に娘(当時中二)と下の子♂(当時年長)を連れて家出。
モラ夫との離婚協議は物別れに終わり、調停不成立を経て、現在離婚裁判中。

こんにちは

離婚裁判中アラフィフのまきやまです



まだ家を出る前(5年前)の下の子は

とても扱いの難しい子どもでした



生まれた時から

生きる欲求みたいなものが薄かったのかもしれません



今でも

生きるのに後ろ向きな発言が出ます




10年前


下の子は

38週で帝王切開で普通サイズで生まれました

5日後に普通に退院




よく寝る静かな子でした



飲みたくない時は

頑なに口を開けるのを拒む…

そんな子でしたので


1ヶ月後の新生児検診で

体重が減っていたので問題になりました


食に対する欲求を表せなかったのかも知れません

母乳育児でしたが欲しがらないので

足りてないのが分かりませんでした




成長するに従って

やりたくない事は意地でもやらない


新しい環境に突然入れられると

拒否反応がおこって

岩になる(動かない、喋らない)


何気ないことが気になって

突然不機嫌になる……


のが顕になってきました







無垢さのあるミニチュア版の

モラ夫のようでした




その当時のわたしは

家族の最低限の世話はするけど

モラ夫の機嫌を損ねないようにすることだけしか

考えられませんでした



娘や下の子のことを気にかけてあげることが

ほとんどできていなかったのです



幸い

子煩悩を対外的にアピールしたいモラ夫が

外に連れ出してくれたりしてましたので

ミニモラの言動に頭を悩ませることは

あまりありませんでした




わたしは

下の子が機嫌が悪くなると貝のようになることを恐れ

また

モラ夫に対し

子どもをそのようにさせた自分を

とても恥ずかしく思い

顔色を伺っていました




下の子の機嫌が悪くなっても

モラ夫は対外的に

(子どもがワガママ言ってて困ります)

アピールするのに必死


私が横にいたら


(ウチの嫁が子供の機嫌を損ね

子どもを泣き叫ばせてますね

私も困ってるんですが

すぐ黙らせますので

申し訳ありません)


アピールを周囲に向けて

行うのです

 



一人で

テニススクールに連れて行って

下の子が喚き始めた時は


◯◯(スクール)での大立ち回り、下手したら通報されそうな位のところ見られたから。

もう話しついていないなら連れてけないから。

(原文ママ)


ってLINEしてきて……


通報されるくらいの大立ち回りを演じたそうですが……




へぇー( ¯∀¯ )




わたしはその場にいなかったから

これがどのくらいの事なのか

想像がつきません



今思えば

どちらも診断を受けたわけではないですが

アスペルガーっぽいモラ夫も

その特性を受け継いだ下の子も

ちょっと難しい特性があったのだと思います




そのまま

5歳まで精神的に放置されて育った下の子は


 

モラ夫と同居している間は

精神的に成長できなかったのかもしれません




下の子が年長の時に

モラ夫を置いて別居してようやく

私ひとりで

下の子の難しさに向きあわなくてはならなくなりました



5歳だけど

精神的には

ようやく自我が目覚め始めた

3歳くらいのようでした



口が上手くない下の子は

気に入らないことがあると


家の中では

ただ泣きわめき

私も大きな声で怒鳴ったり

下の子を家から追い出したり



家の外では

黙り込んでその場に座り込み

(上の写真です。靴が脱げてますね泣き笑い)


気に入らない食材がちょっとでも入っていたら

お腹がすいてても

全く食べません


嫌いな食材を避けて食べることをせず

これを食べたら

食後にデザート食べれるよと

他のモノで釣ろうとしても


ならデザートも要らない!


と言い出す始末



頑固でやりにくい子で



ちょっと想定と外れることがあると

時間を気にせずに

体全部で

抗議を現しました




実家に預けても


私の父と喧嘩になって

下の子が貝というか岩になり

母が間オロオロして


その難しさに


はやくむかえにきて


(心療内科的な)病院で診てもらったら?


と匙を投げられる始末


そんなこと言われて

あんまり実家にも頼れなくなりました



つづきます