今日で6月が終わる。



私は当初7月には父はもうこの世にいないって思ってた。



予想以上に高い黄疸の数値。



だけど、父は生きている。



今もベッドに寝てラジオでカープを聞いている。




最近の父はとにかく元気だった。



私が夜勤明けもしくは休みの日は必ずといっていいほどパチンコに行きたがる。



私は行かないって言うと、1人で行こうとする。



1人で外に出るのは心配だから、しぶしぶついていく。



パチンコ屋に行くと私もついつい打っちゃうので、一時は私ホントにお金が無くてなきそうでした。

(今はなんとか負けたのを取り戻せたから余裕があるけど・・・。)



こんなに頻繁にパチンコ屋さんになんて、父が行かない限り絶対いかないだろうなぁ・・・。



それにしても、パチンコに行くってなると父は異常に元気になる。



看護婦さんはとっても驚いている。



気力の何者でもないって。



ちょっと複雑だよね。気力の源がパチンコだなんて。




だけど、父いわく、パチンコしているときはすべてを忘れて過ごすことが出来るんだって。



家で寝ているとあちこち痛いし、気分も悪いし、死ぬことばかり考えてしまうらしい。



だから、気持ちのもって行き場所が無くって家族に当たってしまう。



パチンコに行くと、そんなこと考えないですむからとっても機嫌がいい。



この前まで、これで本当にいいんだろうかって考えていた。



パチンコに行く父は逃げてるんじゃないかって。



ケド今は、私はそれでもいいと思う。



最期をどう過ごすかは、父の人生。父の自由。



私の期待にこたえてもらおうなんてのがそもそも間違ってたんだから。



私はどこかで、ドラマやドキュメンタリーのような癌患者の姿を父に求めてた。



お父さんらしい最期を見せて欲しいって。



期待なんかホントいい迷惑だよね。



そんなことよりも、私は父の傍で何が出来るか。



私は一体父に何をしてあげられるか。



ただ後悔しないように、毎日を過ごす。それだけ。



今、思い浮かぶ後悔は絶対にしないようにそばにいる。



私が、生きているって事の感謝。



ありがとうっていうのを、そのときそのとき思うように形にしていく。




父は昔トラックの運転手だった。



仕事場まではいつも原付に乗って行っていた。



その距離がハンパない。



ローカルな話題で、県外の人にはわかりにくくて申し訳ないけれど、



向洋から石内まで原付で毎日通ってた。



雨の日も雪の日も・・・。



雪の日には、こっちは全然道路が凍結して無いんだけど、石内に近づくに連れて路面は凍結してる。



そんなときはかなりの距離をバイク押して歩いて通勤してたんだって。




しかも、リウマチも持ってるから、かなりしんどいはずなのに。



車で行ってもかなり距離あるんだよ。



ギャンブル狂で、決して胸を張って誇れる父親ではないけれど、



雪の日に原付を押しながら通勤する父を想像すると頭が下がる。



そして、決して仕事は休まなかった。




最近、いろんな昔の事を思い出す。



明日から7月になる。



あとどのくらい父が生きられるか分からないけど、



6月を越せて、おめでとうだ!!



11月に、初孫が誕生する。



孫を抱く父の姿を私は見たい。








点滴


















後悔しないようにって考えるけど、いろんな葛藤があって最近苦しかった。



だけど、やっとその葛藤とバイバイできた気がする。



無理はしない。



YESかNOか、はっきりと意思を伝えること。



出来ないことは出来ないってちゃんと伝えること。



私はこれが今まで出来てなかったんだ。




そんなことに最近気づくことができました。




父の状態といえば、緩やかに悪くなっていってる。


先週、看護婦さんに言われちゃった。



『もう何が起こってもおかしくない状況だから、覚悟をしておいて』 って。



これから起こる色々な出来事の予測は出来るけど、覚悟はきっと最期までできないだろうな。




モルヒネも、経口投与から、皮膚から吸収する貼付薬になった。



最近、少し血圧が低くなってきているし、少しずつ痙攣も出てくるようになってきた。



時間の流れが速く感じる。



苦しそうな父を見ていると、はやく楽にしてあげたいって思う。


そう思う気持ちと、まだまだ生きていて欲しいって気持ちが混ざり合って、毎日とても複雑な心境です。






















久しぶりの更新です。


最近の父はというと・・・。



今日はエコーとレントゲンと血液検査をしに病院へ行ってきました。


しかしながらとっても機嫌が悪い・・・。



父を病院に連れて行くのはとーってもパワーを使う。


待つことが大嫌いだから、いつも病院へ行く時は先に予約を入れておいて、病院に行ったらすぐに診察してもらえるように手配しておかないといけないから。



まぁ、お母さんが毎回看護婦さんに頭下げてるんだけど。



今日は15時の予約。


家からすぐなんだけど今日は5分くらい遅れてしまった。



名前が呼ばれていくなり、『気分悪いけぇはよしてくれ』って。



最近ほとんど食事も水分ものどを通らないから、脱水症状を起こしてて、いつも微熱がある。



今日はいつもにまして午前中ボーっとしてたから、点滴をして欲しかった。



先生が点滴をして帰りましょうって言うのに『いい』の一点張り。


きっと病院で点滴をして横になってるのは嫌なんだろう。


だから、点滴の針を入れてもらってそのまま家で点滴することにした。



点滴のバックもって車で帰ったんだけど、さらに機嫌が悪くって・・・。



ハンガーで作った即席のフックをカーテンレールにかけて、それに点滴を吊るす。



お父さんをベッドまで連れて帰って、早足で再び病院へいって血液検査の結果を先生から聞きました。



黄疸の数値が前回は9.8だったのに対して、今回23.8に上昇してることが分かった。



おばあちゃんが同じ病気で亡くなる前の数値は18だったから、一瞬頭が真っ白になった。



病院をあとにしてそのままの足で自分の働く施設へ行って、夜勤の数を減らしてもらうことにした。



家に帰るとまだ点滴が終わってなかったんだけど、もちろんこの点滴が終わったら、看護婦さんが来てくれて抜いてくれるわけじゃない。


私が針を抜かなきゃいけない。



実はこの注射の針が苦手な私だけど、いつの間にかなれちゃってた。


最近は全然平気。



点滴で水分を体に入れることが出来たからかな、数時間すると機嫌もよく、表情も柔らかくなった。



けど、また夜になって発熱。



痰もちょっと緑っぽい。



モルヒネに加えて抗生物質も飲んでもらった。



抵抗力も弱くなってるから、すぐに感染症を起こしやすい。



だから、そのときのために、抗生物質の薬も処方してもらっている。



それからまた数時間してようやく容態は落ち着いて今に至る。



こんなことが毎晩続きだすと、やっぱり夜勤はできないなぁって思うし、もう少ししたらお仕事もお休みさせてもらわないとって思う。



だけど、まだ父の意識がしっかりしているうちは、仕事に行かないと父が変に思うから我慢。



父は、自分がもう長くないのはうすうす分かっている。


だけど、余命1ヶ月って言うのは知らない。



この間、看護婦さんと『告知』の話になった。



今の状態で、真実を話すと生きる意欲を失ってしまうんじゃないか。


いや、逆に少しの間は落ち込むけれど、受け入れられるんじゃないか。



いろんな考えが交差する。



先生と、看護婦さんは、もういまさら言わないほうがいいという。



私も、今の父を見ていると、残された時間がそう長くないだろうから、



状況を受け入れられるようになるまでに死んじゃうんじゃないかって思う。



今の状況でさえ、メンタルな部分でかなりしんどい。


本人が一番しんどいのだけれど、苦しんでる姿を見る家族もかなりしんどい。



傍にいるのに何もしてあげられない。



これ以上私たち家族にしんどい思いはちょっとキツイ。



だから、多分父にはこれ以上病状の説明はないと思う。



今日体重はかったら45㌔になってました。



日に日に小さくなっていく。




今日は親戚がみんな集まった。


県外にいる従兄弟も、海外に出張中のおじちゃんも。



こうやって親戚がみんなで集まるのはいつ振りだろう。



いつものようにみんなでわいわい飲んで食べて、時間が過ぎるのはあっという間でした。



みんなが帰るとき、ベッドで寝ている父の目から涙がこぼれおちてた。



どんな心境なんだろう。



うれしいのかな。



それとも寂しいのかな。



そんな姿見てると私もちょっと泣きそうになりました。



先日お医者さんに血液検査の結果を詳しく聞きにいったら、



もって1ヶ月でしょうって言われました。



1ヶ月って早いよね。



1ヶ月ってすぐに過ぎちゃうよね。



今回日記を書き始めたのは、県外に住んでる従兄弟や、お父さんを心配してくれてる人にみてもらえたらなぁって思ったのがきっかけ。



あと1ヶ月って言われても、それはあくまでも余命宣告で統計の話しだし、



お父さんの気力次第だって思う。



諦めとかではなく、とにかく現実を受け入れて否定せずしっかりと向き合いたいな。



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結婚式が終わってから、いきなり機嫌が悪くなったお父さん。

『も~わしゃ~めし食わん!』

と言って、2日くらいほとんど口にしなかった。


こんな日はなんとなく家の中が暗く感じる。


そんな暗闇もやっと今日抜け出せた。


妹の旦那のおばあちゃんが三次からわざわざお見舞いに来てくれて、そこから今日はよく食べた。

昼にマック食べて、その後もおばあちゃんが炊いてきてくれたぜんまいやらふきやら。

そして夜にはハンバーグを完食!


お風呂にも入ってその後はケーキを1個!


お母さんが逆に心配してました…。


今の所吐いたりしてないし、寝たみたい…☆


こういう心配、久しぶりだなぁ。


食べ過ぎて心配なんて♪

あきちゃん結婚式

















6月10日 


この日は、忘れられない1日になりました。


父は、この日結婚式には参列せず、披露宴から参列しました。



披露宴が始まって、友達や親族の余興が始まり、


次は誰だろうって思ってた時に司会者から父の名前が呼ばれました。



歌を歌う予定にはしていたんだけど、最近調子がよくなくて父にキャンセルしてくれと言われて・・・。


そのことを司会者に名前を呼ばれるまですっかり忘れてて・・・。



どうしよ~と思ってたら父が席を立ち、母に支えられながらみんなの前へ・・・。


父は1曲歌を歌いきりました。


曲名は 『回転禁止の青春さ』 !?  (きっと知ってる人はいないと思う・・・。)



歌を歌ってる父の傍で母が泣いていました。


母が泣いている姿が目にはいった瞬間、私も涙がこみ上げてきました。




披露宴にずっと座っていることが出来るかどうか心配だったくらいだから、


まさか父の歌を聞くことが出来るなんて思ってなかったし、


こんな姿はもう見ることは出来ないと思ってたから・・・。



新郎新婦は地元同士。


だから参列者もみんな顔見知り。


父の状況をみんな知ってるから会場みんな涙。



久しぶりに号泣した。



披露宴は、すっごくよかった。


友人代表のスピーチ、カラオケ、新婦の両親の歌。


友達が歌を歌うから、前日は朝まで練習に付き合ってました。


練習の甲斐あって、レミオロメンの3月9日は大盛況☆


よかったぁ~!!




中でもすっごく感動したのは、新婦のお兄ちゃん2人の歌。


新婦のお兄ちゃんは、少し前までミュージシャンとして東京で活躍してた。



新婦はお兄ちゃんが歌を歌うことは知らない。


余興が終わって、キャンドルサービスが終わった後のサプライズ企画だった。



新婦も兄ちゃんたちも号泣。



本当にいい披露宴だった。


ZIONも大成功!!


本当に本当に心に残る式でした。



お祝いする立場なのに、なんだか受け取るものの方が多くって・・・。



新郎新婦や友達、私はたくさんの友達に支えられてるなぁって本当に思った。



私は妹と2人姉妹。


昔から、お酒が飲めるようになったら、私の変わりに「彼氏」と一緒にお酒を飲んでもらいたいって言う夢があった。


その夢は叶わなくって、私の中ですっごく心残りだった。



だけど、最近男友達が家によく来てくれる。


父と一緒にご飯食べたり、一緒に時間を過ごしてくれる。



男同士の付き合いを、こうして友達がかなえてくれてる。



披露宴の会場でも、父の横で飲んでくれたり、父を気遣って傍にいてくれたり、


『俺はちょうなんじゃけー。』


『俺は次男じゃけー。』


そういって来てくれる友達。



本当にありがとう。



私がしてあげたかったことを、今友達がしてくれてる。



気づけば、たくさんの人が私たち家族を支えてくれてる。



本当に幸せなことに、最近いっぱい気づく。


みんなみんな本当にありがとう!!!!



友達の結婚式は、ホント忘れられない結婚式になったなぁ。


















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明日は友達の結婚式。

私の両親も参列するの。


だから今日、父は点滴をうちました。


そして血液検査もしました。

検査の結果、黄疸の数値は9.8に上昇してました。

先月計ったときは5だったのに…。


通常私たちは1くらいかな。

この黄疸の数値(ビリルビン)が10を超えると様々な神経障害がでてくるって言われてる。

今ぎりぎりのラインにたってる父。


数値があがるにつれて、このビリルビンってゆうのは毒性が強いから意識障害もでてくる。


今日、先生の往診で肺にも炎症を起こしてる事がわかった。

肺にも癌が転移してるから、余計に気をつけないといけない。

だから新たに抗生物質も処方された。


病院はもう閉まってる時間だったから、薬を先生に直接取りにいった。


先生と話す時間は今ならある。


今なら私と先生だけだから、もっと詳しく父の状態を聞くことができる。


そう思ったけれど、聞けなかった。


聞くことが出来なかった。


聞く勇気がなかった。


明日は、結婚式でジャンベも叩くんだけど、父にザイオンを見てもらえるのも最後になるんだろうな。


あ~いけないいけない。


明日は友達の結婚式だ。


め~いっぱいの祝福をしよう♪

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父が好きなお酒。



人が来ると、このお酒をふるまう。



だけど誰にでもふるまうって言うわけじゃないみたい。



自分の心許せる人にしか、このお酒をすすめていない。



父にとって、『六代目百合』は、特別なお酒なんだろうな。



先日、また友達にお願いして2本買ってきてもらいました。



お父さんは今はもう飲めないけど、このお酒をおいしいって飲んでもらえるとうれしいみたいです。









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急にお弁当が食べたいと言い出した父。



お母さんの作るお弁当がおいしかったって。



仕事に行っているときに、持って行ってたお弁当がおいしかったんだって。



そのときのことを思い出すと、涙がでそうと言っていたらしい。



父は最近何だか涙もろくなったなぁ。




飯島 夏樹
ガンに生かされて

以前から買ってはいたけど手につけられなかった本。


今日、読み終えた。



飯島夏樹さんは、肝細胞癌。



余命宣告よりも半年も長く生きた。



最近私は、余命宣告ってなんなんだろうって考える。



余命宣告を受けたからといって必ずしも宣告どおりになくなるわけではない。



あくまでも統計の話。



飯島夏樹さんは、『命は神の領域』といっていた。


『人が生まれるのも奇跡なら、天に上るのもまた奇跡。』



神様が、お父さんに 『お疲れ様!』 ってGOサインをだしてくださるその日がいつやってくるのかはわからない。


けど、そのときの事を今考えられる。



世の中にはいろんな事が起こる。


今日、エレベーターの不具合ではさまれて亡くなった高校生のニュースを見た。


誰がその子が今日亡くなるって想像できてただろう。


あまりに突然過ぎる死。



父の癌が分かって今日まで、何度も 『もしお父さんがなくなったら』 って考えてきた。


だから、これまで父との時間を意識してきた。



こうやって、一つ一ついろんな準備ができて、


今までたったら話せなかったような話が出来て、


おたがいに死を意識しながら毎日を大切に出来て、



考え方を変えると、ラッキーなんじゃないかなって思う。


どんだけやっても後悔はすると思うけど、



自分の中で努力できること、自分の中でやりたいことはまだまだ出来るし。



だから、ラッキーだと思う。



余命宣告を受けて、家族の中で隠し続けながら当たり障りのないように最期を過ごす人たちもいる。


病院でスパゲッティー状態になって、


医師や看護師に家族なのに会ったりしゃべったりする制限をされてしまうのも絶対に嫌。



好きなように生きる父を見ながら、これまであったいろんな事を一つ一つ許せるようになった今が、


私の人生の中で一番居心地のよい家庭環境にあると思う。



私は、高校生くらいから父のことが嫌いになった。


ギャンブルばかりして、家に帰ってこない父のことが嫌いになった。



アルバイトをしてためたお金も全部父のギャンブル代に流れていった。



顔を合わせばお金をせびってくる父が大嫌いだった。



本当に殺したいって思ったことも2回ある。



区役所に離婚届をとりに言って、


お母さんに頼むから書いてってお願いしたこともあった。



いろ~んなことがあったなぁ。



父が包丁を振り回した事もあった。



けど、今までのいろんな事ってホントたいしたことじゃないんだなぁってつくづく思う。



だけど、そう思えるのもきっとお母さんのお陰だろう。


どんなにワガママな父でも、どんなに迷惑な父でも、お母さんはお父さんのいい所をしっかり愛してた。



ギャンブルさえなければ最高な父。



人を喜ばせることが大好きで、とにかく他人にはよく尽くす。



お父さんがお酒を飲んでいる席では笑いが絶えなかった。



自分のことより人の為に行動することが多い父。



そんな父のことを一番分かってるんだろうな母は。


お母さんのことは、ブログに何度と書こうと思ったけど、


大きすぎて、偉大すぎて、文章に出来ない。



苦労するのを分かっていながらその道を選んだお母さん。


周りから何度も離婚を勧められても首を立てに振らなかったお母さん。



そんなお母さんがいたから、今こうして父は幸せな終末期(ターミナル)を迎えられてる。


そして、私も父の終末期に寄り添えてる。



ん~やっぱり、お母さんは偉大だ。



お母さんが父の最期の時まで倒れずにより添えられるよう、私はサポートしなくちゃ。



なんだか、今娘として色々考える。


母をサポートしつつ、娘として父によりそいつつ、家族としておばあちゃんの様子を気遣いつつ、



私が一つにまとまらない。



だけど、それでいい。



私が、私ってものをしっかりもってしまってたら、きっと周りのことに気を配る余裕なんてないだろう。



自分がこうしたいって言うものはある意味必要ない。



おばあちゃんも、血圧が高くて、ゾウさんの足で、ひこずりながら店番してる。


おばあちゃんもいたわってあげなきゃ。



お父さんにばかり目が行ってしまうけど、おばあちゃんだって爆弾抱えてるんだもん。




考えが一つにまとまらなくてもいいんだ。



その日その日に必要なことに、一つ一つ対処していけられたら。




あれ~飯島夏樹さんの事書いてたつもりが、話が脱線してしまった。


ま、いいか。




お父さんも寝たことだし、私もねようかなぁ。