「瞑想するくらいなら、
東京でもできるじゃないか」
「わざわざ10万円も航空券を払って、
来る価値なんてあるの?」
そんな風に思う自分が、いました。
でも、ここには、
東京の代々木公園とも、
岡山のおばあちゃんちの
壮大な畑とも、
まったく違う「価値」が
あると思いました。
東京の代々木公園にいる人たちは、
みんな「何かをしよう」としてるように見えます。
ピクニックをしたり、
本を読んだり。
どこか目的地へ向かうために
公園を横切る人もいる。
私自身
公園へ行くと
一瞬リラックスはできるけど
頭の中では、
次の予定を考えていたりする。
一方で、
岡山のおばあちゃんちには、
地に足のついた「生活」がある。
農業をして、ご飯を作って、
今日を生きている。
じゃあ、
ここチェンマイのリトリートはどうか。
ここでは、
本当に「何もしない」。
タスクに追われる
日常から切り離され、
ただ流れる時間に身を委ねる。
これこそが、
何物にも代えがたい
「上質な時間」のように感じます。
だからこそ、いい。
世界中、
どこに行っても変わらない
「自分の軸」
それと同時に、
目の前の豊かな自然環境に、
そのまま境界線なく
溶け合っていける柔軟な自分。
その両面が、
いま私の中にいる。
鳥の鳴き声、
緑の色合いなど
同じ自然でも、
代々木と岡山とチェンマイでは全然違う。
その中にいる
自分の身体の反応も違うのです。
作家の中島らもさんは、
こういう。
「何事でもそうだが、
ある一定のレベルを超えると、
そこには違いがあるだけで
甲乙というものはない。
勝ち負けはない。
違いが存在するだけだ」
本当に、
その通りだと思う。
どちらが良い悪いではなく、
ただ「違い」があるだけ。
何物にも変えがたい
貴重な時間です。
