​カズオ・イシグロさんのデビュー作

『遠い山なみの光』を読みました。


​もともとイシグロさんの作品が好きだったこと

そして「戦中戦後の人間の心理状況」に

興味があったことから手にとった一冊です。

 

舞台は戦後の長崎。


​読み進めるうちに

どこか登場人物たちの

心が通わない不自然さがつきまといます。

「なんなんだろう、この不穏な感じ…。

物語が深まる気配が一向にないし、

もう読むのやめようかな」


そんな風に挫折しかけていた私を待っていたのは

やはりカズオ・イシグロでした。

終盤、物語は一気に形を変えることになります。

​今思えば、

あの中盤に感じた「不自然なほどのつまらなさ」

「違和感」に、

もっと寄り添って探求しながら読んでいたら

さらに楽しめただろうなと、

少し悔しい気持ちもあります(笑)。

 

序盤のつまらなさから衝撃のラストへ


​物語の現在地はイギリス。


主人公の日本人女性・悦子は、

長女の自殺直後、

かつて自分が暮らしていた

戦後まもない長崎の記憶を回想します。


​悦子が思い出すのは、

当時出会った「佐知子」という女性と、

その娘「万里子」のこと。


佐知子はアメリカへ渡る夢のために

頼りないアメリカ人男性に依存し、

娘が嫌がってもその目の前で飼い猫を川に投げ捨てるような

冷酷で自分勝手な母親です。

 

万里子はそんな母親に傷つき、

心を閉ざしていました。

​悦子は回想の中で、

自分は佐知子に「もっと娘のことを考えてあげるべきだ」と忠告した

一歩引いた親切な友人であったかのように語ります。


​しかし、終盤。

 

悦子がふと口にしたある言葉によって

衝撃的な「真実」が浮かび上がります。

​「勝手な理由で娘を連れ回し、

無理やり異国へと連れていった母親」とは、

実は悦子自身の過去の姿だったのです。

​悦子は戦後の長崎からイギリスへ渡るため、

前の夫や日本での生活を捨て

幼い長女・景子を連れて異国へ向かいました。

 

その結果、景子はイギリスに馴染めず

心を閉ざし、やがて大人になってから自ら命を絶ってしまった。


​「自分の身勝手な決断のせいで

愛する娘を死に追いやってしまった」
​あまりにも重すぎる罪悪感と苦痛に、

悦子の心は耐えられなかったのでしょう。

 

だからこそ彼女の脳は、

「あれは私ではなく、佐知子という別の女性がやったことだ。

私はむしろ彼女を心配していたのだ」と、

主語を他人にすり替えて記憶を再構成(防衛)したのです。

 

​私たちが心を守るためにすること

 

​悦子がやっていることは、

まさに私たちが心を守るために無意識に行う「

記憶の防衛反応」そのものです。
​人間は、あまりにも辛い現実に直面したとき、

  • ​記憶の主語をすり替える。
  • 辛い部分を切り離して、愛されていた記憶だけを抽出する。
  • ​引き出しを完全に閉ざして、二度と語らない。

    ​そうやって「今の自分」が崩壊してしまわないように
    必死で心のバランスを保とうとします。
     

  ある登場人物と私の母が重なった

​以前

私の母が過去を語りたがらないことについて

アメブロに書きましたが、

それもきっと、

母なりの一つの防衛反応だったのだろうと、

今なら分かります。

 

ずっと「弱い人」だと思っていた母が、誰よりも強かった話。

 

 

​泥臭く力強く生きる「藤原さん」と、私の母

​この物語にはもう一人、

印象的な人物が登場します。

うどん屋を営む中年女性、藤原さんです。
彼女は原爆で夫と子供を失ったという

壮絶な過去を持ちながらも

決して卑屈にならず、

前を向いて泥臭く力強く

生き抜こうとしています。


​地に足をつけて生きているその姿は

専業主婦を経て離婚し、

自らの道を歩んでいる私のお母さんの姿と、

少し重なりました。

​そんな藤原さんが放ったこの言葉が、

今も胸に深く響いています。


​「あなたの心構えで違うのよ。

子供を育てるには積極的な生き方をしないとね。」


​辛い過去に記憶を書き換えて囚われるか

それとも現実を踏みしめて前を向くか。

 

人間が生き抜くための本当の「強さ」ってなんなんだろう。