ずっと、
お母さんのことが嫌いというか
もどかしかった。
私の目に映る母は
いつも現実から逃げる
「弱い人」に見えていた。
昔から
母は自分の過去を
あまり語りたがらない人だった。
「おばあちゃんはどんな風に育ててくれたの?」
と聞いても
いつも言葉を濁す。
そして、
迫り来る不安から
無理やり目を背けるように
いつもバタバタと
忙しそうに動き回っていた。
どうしてこの人は自分の過去に向き合わないんだろう
20代の私には
それがひどく不自然に見えた。
自分の心と向き合うのが怖くて、
忙しさで誤魔化しているだけじゃないか、と。
でも、最近になって
あの「話したがらない姿」が
理解できるようになってきた。
母は、逃げていたんじゃなかった。
ただただ、
目の前の現実を生きていたのだと思う。
岡山の田舎で
3人兄弟の末っ子として育った母。
両親は共働きだった。
短大を出て結婚し、
見知らぬ大都会・東京で3人の子供を産んだ。
ここまでは、
どこにでもある普通の
幸せな人生のスタート
だったのかもしれない。
暗転したのは、
母がまだ29歳のときだった。
父がうつ病を発症した。
身寄りもなく、
頼れる人も誰もいない。
まだ手のかかる3人の幼子を抱え、
母のワンオペ育児が始まった。
けれど、神様は残酷だった。
追い打ちをかけるように
地元の兄が病気に。
実家は手一杯になり、
母が助けを求める場所は、
残されていなかった。
心が壊れてしまう手前で、
母はクリスチャンになった。
30代のことだった。
「疲れた者、重荷を背負う者は
わたしのもとに来なさい」
キリストの言葉。
自分の力では
どうにもできない過去の傷や
未来への不安を、
神様に委ねたのかもしれない。
母は母なりのやり方で
過去と向き合ったんだと思う。
娘たちの前で過去を振り返れば、
色んな感情があふれてしまう。
だから母は、語らなかった。
母のあの「前向きさ」は、
なんとか自分を保ち、
私たち3人の子供を育て上げるための
必死の戦いだったのかもしれない。
精一杯全うしようとする
「母の祈り」そのものだと思う。
お母さんごめんね
何も知らずに、
弱虫だなんて思っていた。
お母さんは
誰よりも懸命に生き抜いた。
ただ、信じて、
前にある希望だけを見つめている
そのお母さんの姿勢を尊重しようと思う。
