シェアハウスの同世代の女の子のオススメで読み始めた。 

吉田修一さんの「パレード」、5人の男女の共同生活を描いた、前半は青春、後半につれてミステリーの要素が強くなってくる小説だ。

 

人って他人について判断したがる。

「この人はこういう人だ」って決めつけたがる。 

そこに余白があれば、人間は勝手に想像力を働かせて、何か判断したい生き物なのかも。

 

本当のところ、自分が見てるその他人は、真実でもなんでもなかったりする。 

自分だって自分のことなんかわからないのに、他人についてはさっぱりだよな。

 

例えば、この小説に出てくるニートの女の子は、人気俳優である彼氏からの連絡を毎日待ち続けている。

この女の話を聞くと、読者は、「遊ばれているだけじゃん」とか「恋愛依存だな」とか、勝手にその二人の関係を創り上げてしまうだろう。 

2人の関係をより真摯に大切に捉えているのは、女性を待たせてしまっている男性の方だったりするかもしれないのに。

 

 

人間関係は、一義的じゃないから面白い。水の入ったペットボトルのように形があって手触りを感じることはできない。

常に変化するし、一つの人間関係に真実なんてない。

親子だろうと、完全に相手の全容を捉えることなんて不可能。 

自分が好意でしたこと、相手の幸せを思ってしたことは、実は相手にとっては悪でしかない場合もある。

自分の利益優先で行動しているだけなのに、結果周りにいい方向に働いて「いい人」のラベルを貼られる人だっている。

 

こういうのが、この世の中のカラクリなんだと思う。

この本はそういうことを話してると思う。

 

 

自分の正義に基づいた他者への介入は、軽率でしかなく、みんなに疎まれる。 

地雷を踏みたくないし、自分の地雷を見つけて欲しくないから、ゆるい付き合いで留めておく。

居心地がいいから。

 この小説には、「介入しない無関心」の功罪が描かれている気がする。

クライマックスにつれて、その罪側の実情が明らかになっている。

「世界を変えたい」と願いながら、インディペンデント映画の配給会社で激務する30歳直前の男性の本心に、同居人は誰も真剣に向き合わない。

その恐ろしいクライマックスをみなさんにも知って欲しいな。