就職・転職活動って恐ろしいよな。

ふんわり足を踏み入れるような地帯じゃない。

一度入ると、そこにはルールが張り巡らされていて、「学歴」「外見」のフィルターで人間が評価される。

そのルールに一度入り込んでしまった学生たちも、まるで写し鏡のように、「年収」「有名度」という価値観で企業を測るように思考が慣らされていく。

 

最初は、「好きなことをやりたい」と思って始めた転職活動も、いつの間にか、「有名企業に入りたい」「周りが驚くような企業に入りたい」という欲望にすり替えられていく。

 

私は今、ニートで暮らしてて、幸せだ。

 

お金が尽きたらどうするんだろうね。

 

ベンチャーに入ってみたいという気持ちもあるが、結局そこに行ったって、売上目標に縛られて、個性の強いトップの思想が私に侵略しようとしてきて、自社製品への愛着などないことに気づいて…、

それも虚しいな。

 

だったら、一般企業に入って、ぬくぬくと誰にでも代替可能な仕事をこなして、空いた時間に文化的時間を過ごした方がまだマシなのかな。

 

でも、私は、嫌なことをしてる時間に耐えられない。(これは私の実体験から言えること)

 

お金がもらえることへの安心や、金銭的規模の大きいプロジェクトに関わってる優越感など、ない。

 

会社に所属すると、成長信仰に取り憑かれた人々や会社基準で生きる人たちと一緒に時間を過ごさなければならない。

嫌な人、嫌な作業、誰でもできることをしていると、なんで私がしているのだろう、と思う。

 

私にしかできないことがあると思っている。

 

1、嫌なことをして、お金を稼ぐ  (好奇心や楽しみ0でお金100)

2、嫌なこともせず好きなことに時間を使うが、お金も稼がない(好奇心や楽しみ100でお金0)

3、嫌なことをせず好きなことに時間を使って、お金を稼ぐ (好奇心や楽しみ100でお金100)

 

実際は厳密にこの3タイプに別れるわけではなく、グラデーションだろう。

 

 

一旦、「お金稼ぐ」という概念から離れた方がいいかもしれない。

 

お金を稼ぐどうこうを置いた世界を想像してみた上で、それで自分がどう生きたいか。

 

私は一人でも楽しく遊んでいけるな。

本を読んで飽きたらギターを弾いて、少しずつ消費しながら、永遠と悦に入る。

 

そう、本を読みたい。本を読む時間は確保したい。

 

本からもらう好奇心の芽を現実世界で大きくしていくのが楽しい。

例えば、先日マイケルポーランの「雑食動物のジレンマ」を読んで、自分が日々口にしているものに対してあまりにも無知であることに気づき、実際にいつもいくスーパーに出向いて、牛肉や豚肉がどこから来ているのか、誰に育てられて何を食べたのか、調べてみた。(本当は加工場や飼育場に行きたかったのだがコロナで一般見学は中止)

そういう活動が楽しい。

 

あとは、好きな人と語りたい。小説の細かいシーンについてユーモアを交えて語りたい。

オタクな人々と一緒に、他の人にとっては無意味でつまらないように聞こえるような話に夢中になりたい。

自分のルールで(ルールなんてないが私のルールだけど笑)、楽しい人たちと、楽しい会話を楽しんで、それ以外の時間は一人で文化的時間を嗜む。

 

 

自分の庭で経済を回して、困ったら周りに助けられたり、助けたり、そういう輪を広げていきたい。