「食べるという日々の行為は、自然を文化に、そして自然界の一部をわたしたちの肉体と魂に変換することを意味する。

鳥がチキンマックナゲットになるまでの経緯は、いわば忘却という旅である。その旅は、動物の痛みだけでなく、私たちの喜びという意味でも大きな代償を伴う。」

 

アメリカ人ジャーナリスト、マイケルポーランの「雑食動物のジレンマ」を読んだ。

2006年に出版された食の安全をテーマにした壮大な本だ。

 

当時のアメリカでは、人口増加、工業や科学技術の発展が市民の食卓にも及んでおり、

遺伝子組み換えと除草剤の大量使用による販売促進の事実を明らかにしたドキュメンタリー映画「モンサントの不思議な食べ物」が注目を浴びていた。

 

このポーランの本も同じ時期に出され、食品保存技術や物流網が目覚ましく発達する中での歪みを刺激的に描いている。

広く言えば「食べる」という行為の思想書、より実用的な意味で言えば、著者の原始的食生活の実践体験本だ。

 

草食動物である牛に大量のトウモロコシを与えて(トウモロコシは安価だ)、ホルモン剤を投与し、劣悪な環境で育てることが、いかに望ましくないという感想は、誰もが抱くものだろう。

おそらく、この本に書かれている農場現場の悲惨的実態は事実ではあると思う。ただ、それが人体にどの程度の影響を及ぼすのかという実験データはない。

いまいち説得力に欠ける。

 

さらに、この本が15年前のアメリカを舞台にしていることから、現在の日本の状況とは違うのだろう。

 

 

ただ、言えることは、工業化のために犠牲にしている「本来あるべき生活」については、考えなきゃいけないね。