とうとう廃車が発表されたJR西日本の12系客車。
1970年の大阪万博の前の1969年に登場し、万博輸送に活躍。
その後も増備が続けられ臨時列車や急行列車で全国で活躍しましたが、今年で登場から50年。
このたび廃車が発表されました。
残念ですが、今までよく活躍したなと思います。
来年の関西万博で12系の臨時列車が走ると2つの万博で活躍したことになったのですが、そうはなりませんでした。
この後、解体されるのか、それとも某私鉄に引きとられるのか。
ということで、我が家の12系客車を引っ張りだしてきました。
細かくタイプ分けすると登場時期により細かい仕様は違いますが、大まかには12系は3形式です。
TOMIXの#2584 オハ12 です。
12系で一番両数が多い中間車で374両が登場。
同じく#2585 オハフ13です。
こちらは12系では一番両数が少ない電源用のエンジンを積まない緩急車で76両が登場。
#2586 スハフ12です。
電源用のエンジンを搭載した緩急車で、12系では欠かせない存在です。
スハフ12を連結しないと冷暖房が使えなくなりますと。153両が登場。
TOMIXの12系の歴史は古く、初期のTOMIXの頃から発売されていましたが、今のものとは比べ物にならないくらいの製品でした。
今回紹介しているものはTOMIXとしては2代目の製品で、TOMIX25周年で発売されたモデルです。
初代の製品が香港製だったのに対し、2代目は中国製になっています。
中国製と言えど、初代と2代目では雲泥の差のクオリティです。
初めて買った12系がTOMIXの初代製品で、この時はスハフ12を1両買ったのが精いっぱい(お金が無かったので)
当時の客車製品はKATOの20系なども1両800円で、それに合わせてかTOMIXも800円でした。
それでも嬉しくて、よく遊んだ思い出が・・・
側面ルーバーの小さい初期タイプ。グレー成型の別パーツ化されたエンジン。
初代の製品は窓ガラスも嵌め込みでなく、成型されたサッシの奥にに平たい透明プラのガラスがありました。
ドアにも白帯が回っている国鉄時代の再現ですが、塗装も綺麗です。
幌枠がメッキシルバーでテカテカです。これはないやろーと思いました。
でも前面の形状的にはよく捉えてるなと思います。
ちゃんとテールライトも点灯しますし。
スハフ12のトイレ側。テールライトがありません。
クーラーもベンチレーターも別パーツでカッコよく再現されています。
KATO製品はベンチレータは屋根一体成型なんですよね、今の製品でも。
ガラス越しに見える窓際のテーブルも再現されています。室内は塗装されてはいませんが。
燃料タンクの裏には中国製の証が。
エンジンパーツは接着剤止めでした。接着剤が劣化して落下しました。
車軸発電機の付いたTR217台車。
車軸発電機の電源は車内の照明に使われていたそうです。
車番はインレタが付属していましたが、台紙のないインレタだったので貼り付けは苦労しました。
仕上がりは台紙なしのほうがいいんですけどね。
車内の様子。165系電車やキハ65に近しい感じです。
模型的には室内灯が点灯可能です。
懐かしの電球装備のテールライト。
屋根は車体と別パーツ。テールライトのレンズはガラスと一体成型でした。
台車はまだ旧集電タイプの台車で走行抵抗が大きめです。車輪は黒車輪です。
TNカプラー対応の床板になっています。
(カプラーはKATOカプラーに交換しています)
水タンクが床板から吊り下げの別部品になっていて形状がリアルです。
このあたりは同社の24系と比べて造りが丁寧です。
こうやって見るとよく出来てるスハフ12なんですが・・・
初期型にあったクーラー間の補強材が再現されていないのが残念ポイント。
まだそこまで厳密なモデル化されてなかった時代です(HG製品でもないしOKか?12系ではあるし)
今ならツッコミが入るところです。
12系の思い出と言えば、地元で見れたきのくに52号が印象に残っています。
EF58が牽いて阪和線を走ったんですが、運転頻度が低くかなりレアな存在でしたし。
(残念ながら写真はありません)
その後、紀勢本線の普通列車が旧客から12系に置き換わり、もっと写真を撮っていればよかったんですが残念ながら。
何度か乗りに行ってはいるんですけどね。
急行ならきたぐにの普通車とか、だいせんも12系だった時に乗っています。
全国どこでも見れる12系って当時はあまり興味が湧かなかったのも事実。
12系でなく12系を牽く先頭の機関車ばかり撮ってたと思います。
今となっては後悔しかありませんけれど。
東北旅行でもよく乗りました。
八甲田も12系でしたしね。急行列車もたくさん走っていました。
盛岡の12系も動員されていたんですね。
てっぱくに最後の12系を見に行くか考え中・・・