21/04/26(月)
市内のレンタカー会社に行き 車を借りる。ニッサン車は初めてだったので操作に戸惑ったが すぐに慣れた。最初に島原市まで走り、武家屋敷を散策。水路が通り風情あるが、見学できる屋敷は3箇所しかない。90坪の均一区画で、現代へ持ってきても十分な広さのある屋敷にはちゃんと庭も付いている。それが江戸時代に作られたと思うと感心する。
そこから歩いて島原城へ。人の気配がない。現代のコンクリ造りの天守閣に関心はなく 入城しなかった。堀は空堀で手入れが行き届いていない。本来の駐車場には数台しか停められていなかったのが、城裏に周ると市文化会館の無料駐車場には車がいっぱい。そんな穴場は全然ガイドされておらず、地元民だけが知る。
次に普賢岳噴火の被災地を回った。最初は被災した小学校校舎へ。遠目からだとわからなかったが、近くに来ると爆風の凄まじさを知る。窓ガラスが飛び窓枠がひしゃげている。当時のままに保存されているが、見学者は誰もいない。防災工事のダンプが行き来するなか 目前に聳える普賢岳と水無川は迫力満点であった。
次に火砕流で埋まった11棟の被災民家を見る。立派な邸宅の1階部分が埋まっていて、これも目の前で見ると迫力がある。阪神淡路大震災で被災した野島断層跡を見学したことがあるが、こちら(噴火)の方が比べものにならないくらいに凄い。
島原半島を南下して原城跡を目指す。城跡は駐車場から遠く、ふだんは送迎のバスがあるらしいが、コロナ禍の今は動いておらず、そのため 20分の距離(坂道)を歩いて行った。
海岸段丘の上に広がる城跡は絵になるが、そう言われなければ見過ごしてしまうような城跡であった。いわば歴史の記憶の中に立つ城といえる。
水路流れる武家屋敷街 外面はなかなかのもの、島原城
被災小学校校舎と右奥に普賢岳 火砕流で軒先まで埋没した民家
原城本丸跡に立つキリシタン墓碑