私と北朝鮮との関わり | 100回行こう、ヨーロッパ 

100回行こう、ヨーロッパ 

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  100 回行こう! と勢いはよくても、実際の訪欧はまだ約40回。欧州その他への
  これまでの 100 回超の海外旅行で 体験したことや、思ったこと ・ 感じたことを
  つれづれに記してみる。  【タイトル背景はプラハ】

30年近く前に、諸外国から子どもを招き フォーラムを開催するというイベントをやったことがある。

招待国は欧米と近隣アジア国を中心に 20カ国140人に及んだ。招く子どもの選定事務は、各国の大使館や領事館に頼んだが、どちらかというと楽しい仕事なので、その依頼を断る国はなかった。対象国のひとつに北朝鮮も含まれていたが、こことは国交がないので、子どもの選定手続きは地元にある朝鮮総連に頼んだ。

 

滞在中のプログラムに ホームステイも組み入れられていたが、そのホストファミリーは広報を通じて広く募った。受入れ国の好みが偏るので、募集に際して ホストは国や男女の指定はできないこととした。幸いに 多くのホスト応募があり、事務的に各国の子どもを割り当てた。

 

(欧米系の) お人形さんみたいな可愛い子を受け容れたいというのは ホスト共通の想いだろう。その対極にあったのが 北朝鮮の子である。北朝鮮を割り当てたホストの全員から 辞退したいとの連絡が入った。どうしようと困っていたら、前後して朝鮮総連からも 子どもの選定ができなかった旨の連絡があった。泥縄で北朝鮮に代わる国を設定し、なんとかイベントの体面は保ったが、この経験から北は信頼ならん国だ、という印象が植え付けられた。

 

南アジアのB国(の子)も人気ゼロなのが分かっていたので、ここの子は皆 私の知人にホストを押し付けた。 子どもに罪はないものの 親世代の責任が問われるだろう。