「ある気功師は想中・1997」 「迷説幸福論・10」 「康の項・1」この字は意味深いぞ。やすらか。たのしい。おおきい。五方に通じる大きな道。そして、むなしい。幸の指標になりそうな意味が多い。まず、やすらか。これは「健康」の康だ。身体は「健やか」に。心は「康らか」に。落ち着いている状態。静かで、楽な状態。安定している状態。やわらかく、温かい状態。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
「ある気功師は想中・1996」 「迷説幸福論・9」 「好の項・5」だから、好き同士も別れる。気分で変わるのだ。それが、いい。幸は固定されないところに有るようだ。幸は固定されない自由と共にある。好きは増やせる。固定されないから、増やせる。一夫一婦制じゃないのだ。縛られないから、幸になる。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
「ある気功師は想中・1995」 「迷説幸福論・8」 「好の項・4」好きが増えるのはいい。好きは、生きていると、勝手に増えるようだ。嫌いを濃くすると、嫌いも勝手に増える。心は焦点を当てると増え、広がるようにできている。ならば、コツは簡単だ。嫌いを薄めればいい。苦手を薄めればいい。無くそうとは思わなくていい。この世にあるものだもの。好み。何故だかわからないが、いい。何となく、いい。好き、は固定されてない。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
「ある気功師は想中・1994」 「迷説幸福論・7」 「好の項・3」嫌いを無くそう。それが正しい生き方だ、なんて思ってない。正しい生き方は・・・苦手な方だ。正誤にこだわると、自他共に不自由になる。ワシは 根性が無い。嫌いがあると、克服なんてしない。避ける。すると、その分、自由になれない。だから節操の無い生き方になる。嫌いを克服するのではなく、薄くする。まぁ、いいかぁ。好きを増やす。多分、幸の方向だろう。だが、嫌いも増えたらメンドウだ。好き、嫌いがハッキリしている。そういうのは、結構不便だ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
「ある気功師は想中・1993」 「迷説幸福論・6」 「好の項・2」女を推しはかる。・・・解らない、推測不能・・・女は推測不能の生物なのだ。女は生命とダイレクトに繋がっているからだ。生命は(人間の段階では)推測不能。解らないモノに対する感情。まぁ、性格によるけど・・・そこに嫌いという感情が生まれる。理解できないモノは嫌い。そういう人達は結構多いぜ。ワシは節操の無い方だ。更に節操の無い生き方を目指している。だから嫌いなモノが少ない。好きなモノは多いし増えている。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
「ある気功師は想中・1992」 「迷説幸福論・5」「好の項・1」(以降全て、こうのこう、です)好き。女の子が好き。ワシの趣味ではないぞ。漢字をバラすと、女と子になるのだ。(注:ワシはオナゴは敬うし好きだが、女の子はワシ的にはオナゴじゃない。オンナと女の子は差があるのだ)好きという段階。オンナではなく、女(オンナ)の子。未だ成熟していない。軽い段階の惚れ。楽な段階 の感情や方向。ついでに嫌いという字も考(こう)する。嫌いは、女を兼ねると書く。この場合の「兼ねる」は「合わせもつ」ではない。推しはかる、という意味だ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
「ある気功師は想中・1991」 「迷説幸福論・4」「はじめに・4」消極的なモノはノリが悪い。同じ方法でも消極的にしなければいい。堂々と努力しない。でも、気まぐれで、時々する。好きな事には根性出す。たまには、頑張る。考える事も、持続しない。考えから空想へ。更に妄想へ。ゆったり夢想へ。脳があるなら、考も愉しもうぜ。コツは「こだわらない」だ。考える、って、愉しみの一つだ。ということで、考も幸。(本館は、HP「 気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
「ある気功師は想中・1990」 「迷説幸福論・3」「はじめに・3」いろいろな「こう」の文字。それで「幸」の道標にする。まぁ、それが今回の指令だ。(指令だったのかぁ・・・)考える。おっ!これも「こう」だ。だが、何を考えるかが問題だ。ワシは、考える。如何に楽をして愉しく生きられるか。消極的な選択がある。努力しない。根性出さない。頑張らない。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
「ある気功師は想中・1989」 「迷説幸福論・2」「はじめに・2」幸に生きたい。だけど、幸ってアイマイすぎる。範囲が広すぎる。個の感覚や考えで違うかも・・・もっと判りやすい「幸」があるだろう。日本語は同音に同意味の文字を用意している。音が同じなら、意味も同じところに根ざす。例えば、神と上と守。火と日と陽。幸も同じ意味や方向の文字があるだろう。もし無くても、デッチ上げればいい。どうせワシは口から出任せで書いている。言葉遊びも人生の愉しみの一つだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
「ある気功師は想中・1988」 「迷説幸福論・1」「はじめに・1」幸、高、功、効、行、交、好。まだまだあるぞ。香、孝、恋う、康、恒、興、昂。ただ同音の文字ではない。生きる指標になりうる「こう」だ。ワシは青臭い年代ではない。だが、青臭い想いは常にある。想いはあるが、毎日に流される。元々、流されるのは好きなほうかも・・・それでも、ときに青臭い想いに呼び戻される。人生を楽しみに歩くには・・・とか・・・せっかく生きているんだ。漠然と流されるだけっていうのもなぁ・・・(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)