ある気功師・912

「相思」というと「思いやり」のイメージだが、
「双方が相手を思い浮かべてしまう場合」は、
残念ながら愛し合っている場合よりも、
憎しみ合ったり、嫌っていたりする方が多い。

上司と部下、ライバル、嫁姑、隣の人・・・。
だからこそ「相思」による「通路開設」は大事なのだ。
憎しみ、怒り、嫉妬、嫌悪なども「相思」なのだ。
好きじゃないのに「思って」しまう。
好きな相手より、嫌な相手を「先に思う」

相手は人だけではない。
仕事、食べ物、場所、出来事・・・。
「相思」の仕組みは、もう一段階ある。
この世の仕組みはヒネクレている。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)



ある気功師・911

「相思」によって「通路」が出来る。
見えない共通の「通路」が創られてしまう。
それぞれ違った「思い」であろうとも、
お互いが思い合ったなら「通路」は開く。

この通路は「氣」の通り路にもなる。
共鳴し同調した「氣」ではない。
それぞれの「思い」が呼んだ「氣」が流れる。
それぞれの「氣」だ。

恋しければ「恋の氣」。
心配ならば「心配の氣」。
憎しみならば「憎悪の氣」。
通路を一方的に流れる「氣」だ。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)



ある気功師・910

「氣」の共鳴に関しての話だ。
空間も時間も超える事は出来るが、ある条件が必要だ。
最初から「氣」を合わせる事ではなく、
(意識して「氣」を合わせるのは素人では無理)
「お互いが思う事」つまり「相思」だ。

誰でも「氣」を発する事は出来るが、
意識して自由に扱う事は出来ない。
意識してある種の「氣」を扱える人を、「氣功師」という。
だが「氣」の質や種類によって様々な氣功師がいる。
どの業界も同じだ。
ロクデナシから素晴らしい人までいる。

つまり、氣功師が介在していなければ、
「相思」によって共鳴するのは「氣」ではない。
それは「通路」になる。
「通路」が繋がる条件として「相思」がある。
「通路」には様々なモノが双方に流れてしまうのだ。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)



ある気功師・908

私は医療氣功師という立場で、
体や心を回復・調和する仕事だが、
物事を「氣」で観る、役目もある。
まだまだ、今の社会ではアヤシイと思われている。
(妖しいのは嫌じゃないけどね)

アヤシイところは実際に沢山ある。
(見えない世界の事はホンモノでも証明できないし、
インチキも結構多いし、勘違いも多い)
だから、世間は間違っていない、とも思う。
まぁ、世間を気にしていたらこの仕事はできない。
それでも私を信用する人は「縁」がある。
その人達は案外ラッキーかもしれない。

その(アヤシイ)立場からは、いろいろな事が観える。
いろいろな事に気づく。
とても活用できる。
認めるかどうかは、アナタ次第・・・


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)



ある気功師・907

「生命」は愛される事で幸せになる。
ただの綺麗事ではないのだ。
生命を大切にする、その先にある。
生命を愛する事。

この世(物質界)は時間、空間で出来ている。
空間というのは自と他の事でもある。
時間とは過去・今・未来でもある。
空間と時間は「生命を愛しむ」事で幸せになる。
この世は、凄い仕組みで成り立っている。

大丈夫。
何かを愛する事。
生命を愛しむ事。
人は誰でも出来るように創られている。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)



ある気功師・906

心に心を奪われないで。
心が迷い、苦しみ、疲れている時には、
何も出来ない、する気にならないと言うけれど、
それでも息はしているのだ。

それでも(少しは)食べる。
それでも(少しは)眠れる。
心臓は休みなく動いている。
体温も維持している。

「生命」の主人が体にいることを、
素直に事実として認めよう。
心に「生命」があるのではない。
そして「生命」は苦しむ事を嫌がっている。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)



ある気功師・905

心は体から「いのち」を分けてもらっている。
そして体に「いのち」の御礼をする。

どうしていいか、わからなくなったら、
体を愛しむ行いだけすればいい。

ひたすら「生命」を愛すればいい。
グジャグジャになった心の糸は、
柔らかく解けて温まる。

(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)



ある気功師・904

心を変えたいのなら体からだ。
体を愛しむようになれば、
心は喜ぶ側に変わっていく。
心は静かに落ち着きを取り戻す。

心が辛い時、
体に辛くあたっても、
心は喜ばない。

心が嬉しい時、
体に無理させては、
やがて心も疲れてしまう。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)



ある気功師・903

淋しい事、苦しい事、痛い事。
心が感じてしまう辛い思いは沢山ある。
嬉しい事、感動する事、楽しい事。
心が喜ぶ出来事も沢山ある。

でも、それは心の中の事。
「生きる」事と連動しているが、
「生きる」事と混同しないほうがいい。
心は脇役。体は主役。

心がどんな状態であっても、
体が生きてさえいてくれれば、
心は変われるし、必ず変わる。
心は不安定な幻なのだ。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)



ある気功師・902

私はアホだ。
謙遜ではない、本気だ。
私はいいかげんだ。
かなり、自信がある。

私はヒネクレている。
世間とか常識とかには素直に応じられない。
だから、だと思う。
気づいてしまった。
しまったら・・・しょうがない。
お節介でも言う。

世界の幸せは
自分の肉体を愛しむところから。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)