相手に責任を押し付けることに、相当に慣れている様子ですね。
(何かで「よく言い合いをしている」と読みましたが、首相ご夫婦の喧嘩ではないのですから・・・・)
「他人に失政を押し付けて」、「恥の文化」等とおっしゃるとは:驚・・・・・。
こういうやり取りを、自身の姿を相手に映してしまう「投影」というのでしょうね。
こういう発言をするならば、事故直後に、「原発事故は、政治家全員の責任だから協力してくれ」と与野党に頭を下げてお願いするものでしょう。失政の色が濃くなってきてからおっしゃる言葉ではないですね。
真のリーダーシップであるならば。
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(時事ドットコムから引用)
原発事故「自公にも責任」=首相、協力迫る-衆院本会議
『原子力損害賠償支援機構法案の質疑を行った8日の衆院本会議で、首相が福島第1原発事故について、2009年まで政権与党として原子力政策を推進してきた自民、公明両党にも責任があるとして、収束に向けた協力を一方的に迫る場面があった。
自民党の額賀福志郎氏が、東日本大震災などへの首相の対応を批判したのに対し、首相は「原子力事故に関して言えば、これ(原発政策)を長年進めてきた中心的な政党は自民党だ」と応酬。「ぜひ責任を分かち合う姿勢で問題解決に当たっていただきたい」と同党を挑発した。
また、公明党の佐藤茂樹氏は復興担当相の辞任に触れ、「失政を重ねながら地位に執着しており、恥知らずだ」と首相退陣を要求。しかし、首相は退陣要求に直接答えず、「失政との指摘だが、原発事故は公明党にも責任の一端はある。他人に失政を押し付け責任を免れようとすることこそ恥の文化に反する」と気色ばんだ。(2011/07/08-20:28)』
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やはり、ご自身のリーダーとしての責任をしっかりと認識していなかったようですね。
このような「他責意識」でなければ、これほどの未曽有の大災害に直面しているにもかかわらず、長い間平然と、かつ堂々と国会を歩いたり、平然と質疑への応答はできなかったでしょう。やはり、「これは自公のせいだ・・・」もありましたか。
記事のようなことは、皆、わかっています。しかし、津波が想定外の威力だったのだと思います。
皆、わかっているけど、被災地への想いや救済への願いが先に立っていますし、今までそうは言っても電力の恩恵を受けていたのですから、徐々に「責任追及や方針転換」ならわかりますが、急に「手のひら返しの全否定」をすることには???です。それは、単なるパフォーマンスと言われても仕方がないでしょう。
このような他責認識は、周囲が「十分にリーダーとして頑張っている」と認めてから発するものです。
やはり、自分がリーダーとして批判されることが、とっても嫌いなご様子ですね。
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「これは、革命だ」というようなことをおっしゃっているとメディアで見たことがあります。
ほんとうに民のための革命であるならば、リアルタイムで見ている私たち民が強く共感できるように、何かを訴え続ける姿勢があってもいいと思うのですが・・・・。
記者会見もやりませんし・・・。
従来のものを全否定すれば、それは革命なのでしょうね。こんなに情報共有が進んだ今は、そんな時代なのでしょうか?民も、ある程度、安心して暮らしてきたと思うのですが。この時代にも、何かを全否定しなければ、社会が成り立たないのでしょうか?
部分否定でもいいのではないですか?あるいは、時間をかけてしっかりとした計画を立てた中期的な全廃方針でもいいのではないですか?もちろん日本語には「交渉」・「譲歩」等という、合意を生み出す過程の言葉があるのですから。
未だに150年前の思考をしているのでしょうか。
何のための、誰のための革命なのでしょうか。
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エネルギーと同時に、巨額の財政赤字の問題も残っています。
それも他責にしてしまうのでしょうか。今の野党と同じ政治家だったのでしょう。責任と言えば、私たち民から見たら、「当時の与党の放漫を止められなかった野党にも責任はある」と思います。
まさか、革命で独裁的な権限を握った上で、国家財政非常事態宣言なるものを出して、民に「国家財政の緊急時です。是非、増税と拠出をお願いします」と押し付けてくるのでしょうか?それに従わなければ、「国を愛する気持ちがない」とするのでしょうか?(戦時中、国家総動員法を出した方々に近そうですから・・・・危険です:笑)
今回の計画停電のやり方を見ていると、電気をお金に置き換えたら、「増税・拠出を我慢してください」と想像がついてしまいました:笑。それが、着地だとしたら、それも「財政赤字の責任のすり替え」ですね。
まあ、もしもの話ですが・・・・・今の与党を見ていると、当たっているような気もします:苦笑。
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いずれにしましても、様々な課題を覚悟でリーダーになった/なりたかったのですから、全て他人に責任を押し付けるのではなく、自らの目の覚める「共存の知恵」で解決に向かってほしいものです。