Shall we think?! -11ページ目

Shall we think?!

一個人、海賀大湧の自由な発想の記

(MSN産経ニュースより抜粋)



「首相、現地視察第2弾を断念」


2011.3.14 17:44

『枝野幸男官房長官は14日午後の記者会見で、菅直人首相が2度目の東日本大震災の被災地視察を希望したものの、受け入れ態勢が整わず断念したことを明らかにした。


 枝野氏は「首相には現地の状況を直接把握したいという強い要望があったが、現地と調整したところ、救援活動の状況から受け入れが困難な状況だった」と述べた。その上で「現地から官邸に上がる情報で当面努力する」と述べた。


 首相は地震発生翌日の12日午前、陸上自衛隊のヘリコプターで現地を上空から視察。東電福島第一原発も訪れたが、現場の作業を遅らせる一因になったとの批判が出ている。』



・・・・・



イメージする力が不足するリーダーが率いる組織は、本来は、弱い。メンバーの強さが、それをカバーする。




災害の発生時、ニュース映像で被害の大枠をイメージし、機敏な「初動」ができるリーダーと、



この緊急時にも、「自分の目で見なければ」と言って、72時間が勝負なのに、大切な時間を費やしてしまうリーダー。




停電が、民の生活・ビジネスに与える影響をイメージして、現実的な方法(例:「全地域」での日中のオフィス・家庭の無灯火や暖房の停止、そして夜間のネオン無灯火等=もちろん概算の計算をしないといけませんが)を描けるリーダーと、



「とにかく皆で耐えましょう」と言って、形式的に仕切って、民の生活・ビジネスに混乱を起こしても、姿を隠してしまうリーダー。




・・・・・



また、「現地視察第2弾」と言っていたようですね・・・・・・。この記事を見て、このブログを書こうと思いました。(見る前は、やめておこうと思ったのですが・・・)



たぶん、何かがわかっていらっしゃらないのだと感じました。総合参謀本部には、イメージ力は不可欠です。 ヘリ(飛行機)から降りてくる、「やっているぞパフォーマンス」は、もう十分です。指示・手配の的確性で、後にリーダーシップが評価されるのですから。




現代は、詳細なニュース映像があります。メディアの力は、すごいです。



視察パフォーマンスはいいですから、メディアの情報も信じて、周囲のブレーンとともに、企業トップとも連携を取って、「しっかりとした施策」を「矢継ぎ早」に出してもらいたいものです。



「自衛隊10万人投入」と言葉で言うだけで、その具体的なプランは描けていないとニュースで見ました。



ヘリで避難所を見つけたら、物資を投下した地点をGPSで記憶しておいて、総合的なMAPも作れるそうです。走りながら、全体把握をすることができるのです。



そういうことを繰り返して、落ち着いて、被災者が「暖」を取り戻した時に、視察に伺ってほしいものです。それまでは、とにかく迅速な救援物資の「現実的な手配」/救援の「落下傘チームの手配」等だと思います。




災害との戦いなのですから。



・・・・・



計画停電も、担当大臣は前面に出てこないで、東京電力が全てかぶっていますね。東京電力は、それに不満を感じているとも記事で拝見しました。国策ではないのか、と。



担当大臣も、またリーダーなのではないでしょうか。どこにいるのでしょうか?



・・・・・



今、明らかに賢民のこころ、知恵、忍耐が、この国を支えています。



車の渋滞も、電車の混乱も、賢民の「連帯感」で乗り切っています。



今は、皆で協力して、耐えよう、と。


皆の自主的な募金も、民の力です。



(でも、政治家は与野党とも、今、「東北ニューディール増税」も検討しているようですね・・・・。これは、「すでに自主的に募金をしている」民にどのようにアナウンスするのでしょうか・・・・?)



・・・・・



もちろん、乗り切った後、賢民は、冷静に今回の事態を振り返って、政府の対策は評価されることになるでしょう。野党の声も、あまり聞こえませんね。



(政党を評価するような気はありません。あくまでも、人事面からのリーダーシップ論です。)



皆、どなたが、一番、民のことを考えてくれているのか、を見ているのではないでしょうか。



東日本大震災



岩手沖


茨城沖


福島沖



昨日、3つ連続して発生。



・・・・・



そして、今日。



長野  震度6


新潟  震度6


(MSN産経ニュースから抜粋)


『東日本大震災の余震が続いた12日未明、長野県北部を震源とする別の地震が相次いで発生、同県栄村で震度6強、新潟県十日町市、津南町で6弱、同県上越市や群馬県北部でも5強を観測した。』


『3時59分ごろの長野県北部の地震で震度6強を長野県栄村で観測した。震度6弱の余震も観測しており、余震活動も活発だ。マグニチュード(M)6・7で震源の深さは8キロ。地盤の弱いところでは震度7を推定しているところもある。震源の直上では相当強い揺れがあったと推定される。平成16年の新潟県中越地震や平成19年の新潟県中越沖地震の震源に比較的近いところで発生している。今回は内陸の浅い時間なので、緊急地震速報は震源の直上付近は間に合っていない』



・・・・・



こんなことが、自然現象だけで、一時期に起こり得るのだろうか?


そういう理性的な感覚も、強く湧き起ってきます。


・・・・・



同時に、感情的な面も。もちろんですが。



・・・・・



昨日は、娘が私用で出かけて電車の不通に遭遇してしまったので、迎えに車で家を21:15に出ました。



本郷通りが渋滞で「全く動かない」状態でした。本郷三丁目に到着したのが、23:00です。普段は25分で着いてしまいます。

そこから帰宅まで、不忍通りが同じように渋滞で、帰宅が1:30でした。



「家族を想う」人々の車の列が、この渋滞を巻き起こしていることを考えると、他の車に「連帯感」さえ感じました。合計4時間の渋滞も、苦になりませんでした。



娘に、とても感謝されました。



・・・・・



私の両親の隣家に住んでいる若夫婦のご実家が岩手で、テレビで映っていた、津波にのみ込まれてしまった町の隣町だったそうです。



ご実家の両親の安否がわからなかったのですが、先ほど探しに行ってくれた方と連絡が取れて、避難所で無事だったそうです。


地震発生直後に、直感・経験的に、避難をしたそうです。そして、30分後に津波がやってきて、家は流されてしまったそうです。


お子様もいる若夫婦は、ゆくゆくは実家に戻って住もうと思っていましたが、もう無くなってしまったと落胆していたそうです。しかし、両親が健在だったので、とても喜んで、安心していたそうです。



本当に久しぶりに私の母親が、「でも、家が流されて無くなっちゃったのよ・・・」と泣いて電話して来て、全て話してくれました。ますます実感として、とても悲しくなりました。



・・・・・



個人として、こころから避難所の方々の健康を想っていますし、何らかの支援に少しでも関わりたいと思っています。





東日本巨大地震、ほんとうに胸が痛みます。



その映像は、この世のものとは思えない光景です。

(ハリウッド映画に目が慣らされてしまっていても、「これが現実」とわかると、・・・・、心が震えます。)



被災者の方々、ご家族の皆様に、心からの哀悼の意を表します。



・・・・・



政府には、既に数多く出ている「世界各国からの支援の申し出/表明」を「いち早く」受け入れて、一日も早い、被災者の「暖と食」の確保をお願いしたいです。



首相は、絶対に、頻繁に国民に顔を見せた方がいいですね/見せなければいけません。



こういう時のためこその「官」組織、税金です。民のためにあるならば。



・・・・・



海の災害です。空からの救援でしょう。


第一便(ヘリ100機)を、真っ先に飛ばす。




毛布:数万枚~十数万枚


水飲料:500mlペットボトル数十万本


携帯食料:数十万食(ソイジョイ、カロリーメイト、パン・・・・)


野菜ジュース:250ml数十万本


簡易トイレシート:数十万枚  


トイレットペーパー/ウェットティッシュ:数万個      等々



正確な数値の分析などは後回しです。大枠の感覚の集約です。


まずは「税金」で、主要な避難所に空輸して、民の良識で人々に配分するのです。必ず、分け合います。



今の時点で、もう『三便(ヘリ100機、延べ300機)』くらい飛んでいないと、始まらないのではないでしょうか。


市民活動家の意欲も大切でしょうが、「民の生活をイメージしつつの、巨視の政治のリーダーシップ」とは、そういうものです。



今の政治対応は、遅いと感じます。



・・・・・



皆さんも、くれぐれも気をつけて、しばらくは安全な場所(広場、大通り等)を選んで生活を。




いつ、また揺れがくるかもしれません。





難しい時代です。



歴史を後で振り返ると、今の時代が何かの分岐点になってしまっているのかもしれません。それほどの、バトル(攻防)を繰り広げていますね。



過去を振り返ると、よくわかります。



・・・・・



どなたかが、「国家が民に『お国のために死んでこい』という時には、その国家は民を愛していない」と書かれていました。その通りだと思います。(本当に、民を大切にしているならば、民の命も大切にするはずだと思います。)



しかしそれは、国の民を背負ってマッカーサーに面した、愛情深い、責任感の高い昭和天皇のご意志だとは思えません。しかし、現実に、戦前にはそういう社会風潮ができてしまった。


そこに、天皇を取り巻いている、天皇以外のこの国の支配階級の課題が潜んでいるようです。この国の政治を、一層、見えにくくしている要因のようです。



・・・・・



戦後、アメリカの自由の風潮が世を覆い、おそらく私たち民にとっても、過ごしやすい時間が流れてきたのだと思います。


自由と成長。


社会を信じて、過ごすことができてきました。


これからも、そうありたいと信じています。



・・・・・



ポイントは、ただ一つかもしれません。


「お国のために、この危機を・・・・」


「お国は変わる、□□維新だ、改新だ!」



これらの掛け声で民を煽(あお)り、官はほとんど負担をせず、民に負荷を強いる/付け替える政治こそ、私たちは警戒をしなければなりませんね。



・・・・・



個人的には、メディアにひどく叩かれている「減税日本」のほうが、官と戦う姿勢が見えて好ましいです:笑。



この危機に、自らの身を削っていますね。おそらく、命を懸けていらっしゃると思います。もしかしたら素晴らしい方々を、私たちは現実に見ているのかもしれませんね。



・・・・・



石原慎太郎都知事も、都の職員の給与ダウン等を断行して、財政を立て直されました。


民間企業でも、トップ層、管理職層も給与・賞与を削り、社員も給与削減・ワークシェア等で乗り切ろうとします。(もちろん、例外もあるでしょうが)





もっともっと数多くの、自らの身をも削る「官(政治家・官僚・政府機関・・・)」を、見てみたいものです。


それは、社会主義とは言いませんね。立派な、資本主義です。資本主義を守るための、削減によるファンドの拠出です。


その上での、民へのお願いなのだろうと思います。




「官」が、ほんとうにこの国を愛し、未来永劫の発展を願っているならば。



もう身を守るための権益にしがみつかず、「官」自身も胸襟を開いて、全ての民とのチームワークで乗り切ってほしいものです。




以前、「タテ」と「ヨコ」のお話をさせて頂きました。



今のネット社会は、どちらかというと「情報をヨコにつなぐ」社会ですね。



世の中が平和で、平面的な「ヨコの広がり」「あるものをヨコにつなげること」で事が足りてしまうと、「タテ(高み・深み)への努力」を忘れてしまいがちです。



・・・・・



「二番じゃ駄目ですか?」「何故、ダメなのですか?」



このような主旨を、事業仕訳の場で、ある国会議員が発言し、世の中の大問題になったことは記憶に新しいですね。


この発言が大問題になる。


それが、この国の素晴らしいところです。




「一番を目指す気概」こそ、学習の源泉です。


品質への源泉でもありますね。


「メイドインジャパン」は、そこから生まれてきます。



・・・・・



何で一番になれないのだろう。


何が、自分(たち)には足りないのだろう。何が、一番の人(たち)と違うのだろう。



その「自己否定」が、自分を客観的に見つめる姿勢につながり、自己改革で「高み・深み」を目指す源泉にもなります。


また、自分の何らかの限界を知ることにもつながり、自分自身をよく見つめるきっかけになります。


そして、自分の可能性・適性=「向き・不向き」を探し出すことにつながります。



もちろん、どの段階においても、自分自身を好きでいること、自分自身を信じることは大切ですね。


自己否定をするから、自分が嫌い、ということではありません。


自分を信じているから、自己否定も、客観的に行える力。



それが「高み・深み」を目指す人生の学習には大切なのです。



・・・・・



その分野で一番になれなかったら、違う分野を創造して一番先に行う。


そのお客様で一番になれなければ、新しいお客様で一番になる。


そのサービスで一番になれなかったら、自分だけのサービスを作り出して一番になる。



そういう姿勢も、学びの源泉なのです。



・・・・・



国や組織のリーダーたちも、現状に驕らず、慢心せず、常に自己否定(「このままで良いのだろうか?」等)する意識で自身を顧みて、「リーダーシップの高み」を目指してもらいたいものです。



「自分が正しい、今のままでいい」と思い込むので、間違っても謝れず、軌道修正もできず、体面を保とうとしてしまうのですね。敗戦までの道は、確かにそういう方々が多かったのだと思います。




謙虚になれる強さを持った、学べるリーダーが、国際社会においても、人々の敬意を集めるのだと思います。



経済界では、特に製造業に多くのリーダーがいらっしゃいました。



早く政治の世界でも数多く出現してもらいたいものです。





昨日は、「六韜(りくとう)」の強烈なネガティブをご紹介させて頂きました。



政争の世界では、力が及ばないものが、強きものや聖なるものを崩すときに使用するノウハウなのだと言われています。


「生き残り」を賭けた時代だったとは言え、ほんとうに、寒気がしますね。



・・・・・



今日は、「聖なるもの」のお話を。



・・・・・



人事教育コンサルティングでは、下記のような①~③のお仕事も行います。



○組織の様々な職務の役割を、客観的に評価して、等級を設計します。


○職務に求められる業績を設定し、その評価の仕組みを設計します。


○職務に求められる行動規範(コンピテンシーモデル)を設計し、その評価や育成の仕組みを設計します。



年功的だった人事体系を、職務の役割に応じて、適切に評価を行ってまいります。


その職務を遂行できる人財が、その職務を遂行する体系を作ります。



それゆえに、一層、聖徳太子の功績に目が行きます。



・・・・・



聖徳太子の行った、下記の改革は、国家の「官」の改革ですが、実は人事教育の改革とも言えます。



①冠位十二階


②十七条憲法



①は、それまでの血縁・地縁などでの豪族の序列を、「能力主義」に変えて、「冠位」という等級を設計しました。難しい仕事ができる者に、従来の序列に関わらず、高い冠位を与えることができるのですね。



②は、「憲法」となっていますので、硬い内容かと思われがちなのですが、下記の口語訳を見てみますと、「官の心構え=行動規範」を説いていますね。


1和で、協調しなさい

2篤く三宝を敬いなさい

3王の命を尊重しなさい

4礼を持ちなさい

5訴訟を公正に裁きなさい

6不正を絶ちなさい

7悪行を善行でこらしめなさい

8賢者であれ

9真心を持ちなさい

10心穏やかに

11適正な評価を

12勝手な徴税をするな

13職務内容を理解しなさい

14嫉妬はするな

15私心、恨み、不和を捨て、親睦しなさい

16人民に無理な使役はしてはいけない

17みなで議論して決めなさい



ものすごく、素晴らしい想い・行動規範ですね。今でも「高み」にあります。


豪族たちに、「精神の筋」を通したかったのではないでしょうか。



・・・・・



先日、聖徳太子には蘇我馬子説、蘇我入鹿説があることをご紹介しました。(松本清張氏、関裕二氏、・・・)


(直感で考えても、「太子」の地位で、隋の煬帝に国書を書くのは、極めて不自然ですよね。私見ですが、そのレベルの国書は大王(=まだ天皇とは言っていない時代ですので)が書いたのだと思います。石渡信一郎氏は、「蘇我馬子は天皇だった」という本を書かれています。)

もし、上記の①②を蘇我氏が遂行していて、それを貴族の藤原氏が貶(おとし)めていたとしたら、・・・・・ウィキペディアには、「中臣鎌足は、六韜(りくとう)を諳(そら)んじていた」とありましたね。もし、それが事実なら、「聖なるものを打ち砕く風潮」で、この国は長い間走っていたことになりますね。昔のこととはいえ、悲しい話です。



その場合、「こころ」が豊かではありません。何とか、回復しなくてはなりませんね。



・・・・・



十七条憲法の口語訳を掲載させて頂きます。


本当にいい内容です。お時間がありますときに、是非!


(金治勇氏の著書からです。出典を最後に記載させて頂きました。)




『一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。



二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。



三にいう。王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがいなさい。君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。天が地をおおい、地が天をのせている。かくして四季がただしくめぐりゆき、万物の気がかよう。それが逆に地が天をおおうとすれば、こうしたととのった秩序は破壊されてしまう。そういうわけで、君主がいうことに臣下はしたがえ。上の者がおこなうところ、下の者はそれにならうものだ。ゆえに王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがえ。謹んでしたがわなければ、やがて国家社会の和は自滅してゆくことだろう。



四にいう。政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。人民をおさめる基本は、かならず礼にある。上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、下の者が礼法にかなわなければ、かならず罪をおかす者が出てくる。それだから、群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば国全体として自然におさまるものだ。



五にいう。官吏たちは饗応や財物への欲望をすて、訴訟を厳正に審査しなさい。庶民の訴えは、1日に1000件もある。1日でもそうなら、年を重ねたらどうなろうか。このごろの訴訟にたずさわる者たちは、賄賂(わいろ)をえることが常識となり、賄賂(わいろ)をみてからその申し立てを聞いている。すなわち裕福な者の訴えは石を水中になげこむようにたやすくうけいれられるのに、貧乏な者の訴えは水を石になげこむようなもので容易に聞きいれてもらえない。このため貧乏な者たちはどうしたらよいかわからずにいる。そうしたことは官吏としての道にそむくことである。



六にいう。悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである。そこで人の善行はかくすことなく、悪行をみたらかならずただしなさい。へつらいあざむく者は、国家をくつがえす効果ある武器であり、人民をほろぼすするどい剣である。またこびへつらう者は、上にはこのんで下の者の過失をいいつけ、下にむかうと上の者の過失を誹謗(ひぼう)するものだ。これらの人たちは君主に忠義心がなく、人民に対する仁徳ももっていない。これは国家の大きな乱れのもととなる。



七にいう。人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。世の中には、生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。



八にいう。官吏たちは、早くから出仕し、夕方おそくなってから退出しなさい。公務はうかうかできないものだ。一日じゅうかけてもすべて終えてしまうことがむずかしい。したがって、おそく出仕したのでは緊急の用に間にあわないし、はやく退出したのではかならず仕事をしのこしてしまう。



九にいう。真心は人の道の根本である。何事にも真心がなければいけない。事の善し悪しや成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。



十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。



十一にいう。官吏たちの功績・過失をよくみて、それにみあう賞罰をかならずおこないなさい。近頃の褒賞はかならずしも功績によらず、懲罰は罪によらない。指導的な立場で政務にあたっている官吏たちは、賞罰を適正かつ明確におこなうべきである。



十二にいう。国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。国に2人の君主はなく、人民にとって2人の主人などいない。国内のすべての人民にとって、王(天皇)だけが主人である。役所の官吏は任命されて政務にあたっているのであって、みな王の臣下である。どうして公的な徴税といっしょに、人民から私的な徴税をしてよいものか。



十三にいう。いろいろな官職に任じられた者たちは、前任者と同じように職掌を熟知するようにしなさい。病気や出張などで職務にいない場合もあろう。しかし政務をとれるときにはなじんで、前々より熟知していたかのようにしなさい。前のことなどは自分は知らないといって、公務を停滞させてはならない。



十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。嫉妬の憂いははてしない。それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。それでは500年たっても賢者にあうことはできず、1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。



十五にいう。私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。恨みがあれば、かならず不和が生じる。不和になれば私心で公務をとることとなり、結果としては公務の妨げをなす。恨みの心がおこってくれば、制度や法律をやぶる人も出てくる。第一条で「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」といっているのは、こういう心情からである。



十六にいう。人民を使役するにはその時期をよく考えてする、とは昔の人のよい教えである。だから冬(旧暦の10月~12月)に暇があるときに、人民を動員すればよい。春から秋までは、農耕・養蚕などに力をつくすべきときである。人民を使役してはいけない。人民が農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。



十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。』




[出典]金治勇『聖徳太子のこころ 』、大蔵出版、1986年






今日は、2句(川柳)を。



もちろん素人なのですが、細かい情報に触れすぎて:笑、そういう気分になりました。



ネガティブな内容で、おこられてしまうかもしれませんが、・・・・・ごめんなさい。



最後は、ポジティブな強さで締めくくりたいと思っています:笑。



是非。





予期せるも


官は関せず


時は過ぎ


崩る地盤に


震う草民



よきせるも


かんはかんせず


ときはすぎ


くずるじばんに


ふるうくさたみ




・・・・・




六韜の


魔を封じ込む


笑みと知恵


集めこの世に


信の絆を




りくとうの


まをふうじこむ


えみとちえ


あつめこのよに


しんのきずなを




解説:


「六韜」は中国の代表的な兵法書なのですが、その一部に、【第十五 文伐篇】というものがあります。それは、下記のように、人の「こころ」の信を打ち砕く計略を説いています。



是非、ウィキペディアをご覧ください。暗唱していた方もいたようです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%9F%9C


六韜』(りくとう)は、中国 の代表的な兵法書 で、武経七書 の一つ。このうちの『三略 』と併称される。「韜」は剣や弓などを入れる袋の意味である。「文韜」「武韜」「龍韜」「虎韜」「豹韜」「犬韜」の6巻60編から成り、全編が太公望呂尚文王武王兵学 を指南する設定で構成されている[1]



【第十五 文伐篇】

文王が呂に尋ねた。

文王「武力を使わないで目的を達するには、どうすればよいか」

呂尚「それには次の12の方法が考えられます。

第一は、相手の欲するままに要求を聞き入れてやれば、やがて驕りの心が生じ、必ずや墓穴を掘るようなことをしでかします。

第二は、敵国の寵臣を手なずけて、君主と権力を二分させるのです。

第三は、側近の者に賄賂を贈って、しっかりとかれらの心をとらえるのです。

第四は、相手国の君主に珠玉を贈り美人を献じ、女に溺れて政治を忘れるように仕向けたうえ、下手に出て、相手の言いなりになって調子を合わせるのです。

第五は、相手国の忠臣を厚遇し、君主への贈物は減らして、相手の結束に楔を打ち込むのです。

第六は、相手国の内臣を懐柔し、外臣を離間するのです。

第七は、相手国の野心を封じこめるために、厚く賄賂を贈って寵臣を買収し、利益で釣って職責を怠るように仕向けるのです。

第八は、相手国の君主に重宝を贈って、わが方を信頼するようにさせ、わが方に協力させるように仕向けるのです。

第九は、相手国の君主を褒め上げていい気持ちにさせ、手も足も出ないふりをして安心させ、政治を怠るように仕向けます。

第十は、謙虚な態度で相手国の君主に仕えて心をつかみ、頼りになる味方だと思わせるのです。

第十一は、相手国の有能な臣下に、内密に高い地位を約束し、重宝を贈って手なずけ、わが方に肩入れする人間を増やすのです。

第十二は、相手国の乱臣を手なずけて君主の心を惑わし、美女や歌舞団を送って関心をそちらに向けさせるのです。

以上の12の策をすべて試みてから武力を行使するのです。つまり、天の時、地の利を考え、これなら勝てると見極めてから、はじめて軍事行動を起すのです」



・・・・・



ほんとうに、おそろしいものです。


こういう相手と戦う場合、ほんとうに骨が折れます。今や、どんな組織・会社にもいるのではないでしょうか:笑。こういうことを身に着けると「頭がいい」と勘違いをしているのかもしれません。「こころ」豊かな繁栄とは対極の思想ですね。



しかし、こういう計略の手の内を知り尽くし、その計略に乗らない「こころ」の強さ(=自分を信じ、人を見抜く目を持ち、お互いに信を持って接する関係を築くこと)こそ、大切だと思います。



ポジティブに、知を、信を、磨きたいものです!



かぐや姫たちの出番です!



社会における貢献。



自身は、何らかの職について、またはその分野の才(タレント)を高めることで、何を社会に貢献できるか。



まず、社会を永続的に発展させる原動力とは、そうやって「真摯に生きる民」の力であることを忘れてはなりませんね。



・・・・・



真摯に生きる民、とは。



一生懸命に、社会を学び、貢献する。


一生懸命に、逆境に立ち向かう。


一生懸命に、病気と闘う。


一生懸命に、歴史を学ぶ。


一生懸命に、美を磨く。


一生懸命に、芸能を磨く。


一生懸命に、スキルを高める。


一生懸命に、若者を育てる。


一生懸命に、社会福祉に貢献する。


一生懸命に、仕事に励む。


一生懸命に、家族のことを考える。


一生懸命に、チームや会社のことを考える。


等々、


何かに向かい合って、自ら苦労を重ねて、高み・深みに向かっていく方々ですね。



これは、そのプロセスを見るのであって、その方々の属性(地位等)を見るのではないですね。


「人を見る」とは、本来そういうものです。



・・・・・



何かのきっかけや、外部からの影響で、そういう一生懸命さが発揮できなくなってしまった方々も、特に最近では多くいらっしゃいます。企業でもそうです。属性・結果でしか人を見られない社会環境が、そうさせてしまっているのかもしれません。



そういう時には、信頼できるコーチ、スピリチュアルカウンセラーや心理カウンセラーにご相談をして、自己回復につなげられると良いと考えています。


もちろん、今よりももっと何らかの高み・深みを目指したい方々が、信頼できるコーチ、スピリチュアルカウンセラーに頼ることも多いと思います。心理カウンセラーは、どちらかというと、自己認識の深耕、健常への意識回復だと思いますが、その後の伸張が期待できます。



・・・・・



人事コンサルティングの経験で言えば、顧客の経営層・人事部や社員から信頼を得られるのは、「その組織の仕事内容をよく理解しながら」コンサルティングを行う場合です。



「普遍的な解決策」があったにしても、それをその通りに語っていては、顧客の「こころ」に届きません。


「相手を理解していますよ」というメッセージと、「そのメッセージが嘘ではない学習努力」が、必要不可欠になってきます。



・・・・・



私の人生経験では、そういうことができる方々や、コンサルタントやカウンセラーの方々は、


ご自身で、


「何かに、ものすごく苦しんだ経験」をお持ちだったり、


「社会の仕組みや歴史を、深く学んだ経験」をお持ちだったり、


「何かを成し遂げたり、掴み取っている経験」をお持ちだったり、


一時期でも、規格外の努力をされています。



その経験が、「相手への共感を大切にする姿勢」となって、自然と現れてきているような気がしています。


大きな包容力ですね。



私は、そういう方々が大好きです。



・・・・・


そういう皆さんは、引き出しも広く、多く、「こころ」の送受信が心地よく行えます。以心伝心のコミュニケーションも可能になってくるかもしれません。



本当に、ありがたいです。




何かに悩んだとき、



何の情報もなく、自分の心の中「だけ」をのぞき込めば、「自己認識・肯定」という着地が見えてしまいます。


「結局、自分を信じて、進まなくてはならないんだ」、と。



それは、それで大切ですね。


「自分を信じて生きる」、「自分は自分の応援団」。


そのことをアドバイスする側の方々が増えているのは、「他者を利用する/他者に無関心な」社会に本当に疲れている民が多くなってしまったのでしょう。

・・・・・



一方で、「学ぶ」とは、今の自分を「タテ(高み・深み)」に変化させること。


実は、「強いこころを持ちながら」の「タテへの自己否定」とも言えるかもしれません。



例えば、何かの芸術・スポーツを身に着ける方々は、「まだまだ」「何で、ここが上手くいかないんだろう」、と自分を責め続けます。自分を信じながらも、技量の壁との戦いで、「このままではいけない」と自分を否定しながら「壁を乗り越えます」。


そこに、「信じられる」「寄り添ってくれる」コーチは大変重要です。「こころ」を折らずに、しかし時には否定もして、一緒に高みを目指します。



決して、「楽しい人にしか出会わない」では、タテの真理(高み・深み)にたどり着かないことは、多くの民は理解されています。



・・・・・



最澄さん、空海さんは、何らかの「こころ」の真理を目指しました。



空海さんは、「広大な宇宙」を自分の「こころ」の中に取り込むことで、その解決を見出されているようです。大日如来ですね。


つまり、「こころ」の中に、すべての社会・自然現象を取り込んで人間・生物を達観し、すべての煩悩を祓うのでしょう。


最澄さんの、「山川草木、悉く、いのち有り」も、素晴らしい達観です。アニミズムの生命への優しさ、愛しみが、確かに存在します。


「社会=人の世とは、こういうもの/こうありたいものだ」、と。



最大級の「タテ」「ヨコ」「ナナメ」への社会への関心が、最終的には、こころの「達観」・「さとり」につながるのだと、私は感じています。



・・・・・



「ヨコ」への連帯、共感、それは大切です。


「こころ」ある方々で、連携して、つながっていき、「何かに」流されないことが大切ですね。



・・・・・

また、弁証法では、意見の異なる相手同士の、「何が違うのか」を、意見を出し合って、正確に理解します。


そして、「新たなタテ(高み・深み)への合意・発見」を見いだせれば、最高の知恵となります。



常に、「タテ(高み・深み)」へ変化する意識がとても重要ですね。


そして、「タテ(高み・深み)に突き抜けた方々」が、広く社会の民のための活動をされることが、ほんとうに大切です。


民を明るく「タテ」に導くことで、社会が明るく、幸福になると思います。


・・・・・



フィギュアスケートの荒川静香さんのトリノオリンピックの演技で締めくくりたいです。


○エキジビション:
「You raise me up (あなたが、私を高みに導いてくれる) 」



http://www.youtube.com/watch?v=H7hUsCtiYnI




苦労して、辿り着いた高み・深みに、感動です。



一歩、一歩、さらに一歩、「タテ」「ヨコ」「ナナメ」に、がんばります!