「高み」の行動規範 | Shall we think?!

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一個人、海賀大湧の自由な発想の記

昨日は、「六韜(りくとう)」の強烈なネガティブをご紹介させて頂きました。



政争の世界では、力が及ばないものが、強きものや聖なるものを崩すときに使用するノウハウなのだと言われています。


「生き残り」を賭けた時代だったとは言え、ほんとうに、寒気がしますね。



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今日は、「聖なるもの」のお話を。



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人事教育コンサルティングでは、下記のような①~③のお仕事も行います。



○組織の様々な職務の役割を、客観的に評価して、等級を設計します。


○職務に求められる業績を設定し、その評価の仕組みを設計します。


○職務に求められる行動規範(コンピテンシーモデル)を設計し、その評価や育成の仕組みを設計します。



年功的だった人事体系を、職務の役割に応じて、適切に評価を行ってまいります。


その職務を遂行できる人財が、その職務を遂行する体系を作ります。



それゆえに、一層、聖徳太子の功績に目が行きます。



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聖徳太子の行った、下記の改革は、国家の「官」の改革ですが、実は人事教育の改革とも言えます。



①冠位十二階


②十七条憲法



①は、それまでの血縁・地縁などでの豪族の序列を、「能力主義」に変えて、「冠位」という等級を設計しました。難しい仕事ができる者に、従来の序列に関わらず、高い冠位を与えることができるのですね。



②は、「憲法」となっていますので、硬い内容かと思われがちなのですが、下記の口語訳を見てみますと、「官の心構え=行動規範」を説いていますね。


1和で、協調しなさい

2篤く三宝を敬いなさい

3王の命を尊重しなさい

4礼を持ちなさい

5訴訟を公正に裁きなさい

6不正を絶ちなさい

7悪行を善行でこらしめなさい

8賢者であれ

9真心を持ちなさい

10心穏やかに

11適正な評価を

12勝手な徴税をするな

13職務内容を理解しなさい

14嫉妬はするな

15私心、恨み、不和を捨て、親睦しなさい

16人民に無理な使役はしてはいけない

17みなで議論して決めなさい



ものすごく、素晴らしい想い・行動規範ですね。今でも「高み」にあります。


豪族たちに、「精神の筋」を通したかったのではないでしょうか。



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先日、聖徳太子には蘇我馬子説、蘇我入鹿説があることをご紹介しました。(松本清張氏、関裕二氏、・・・)


(直感で考えても、「太子」の地位で、隋の煬帝に国書を書くのは、極めて不自然ですよね。私見ですが、そのレベルの国書は大王(=まだ天皇とは言っていない時代ですので)が書いたのだと思います。石渡信一郎氏は、「蘇我馬子は天皇だった」という本を書かれています。)

もし、上記の①②を蘇我氏が遂行していて、それを貴族の藤原氏が貶(おとし)めていたとしたら、・・・・・ウィキペディアには、「中臣鎌足は、六韜(りくとう)を諳(そら)んじていた」とありましたね。もし、それが事実なら、「聖なるものを打ち砕く風潮」で、この国は長い間走っていたことになりますね。昔のこととはいえ、悲しい話です。



その場合、「こころ」が豊かではありません。何とか、回復しなくてはなりませんね。



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十七条憲法の口語訳を掲載させて頂きます。


本当にいい内容です。お時間がありますときに、是非!


(金治勇氏の著書からです。出典を最後に記載させて頂きました。)




『一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。



二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。



三にいう。王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがいなさい。君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。天が地をおおい、地が天をのせている。かくして四季がただしくめぐりゆき、万物の気がかよう。それが逆に地が天をおおうとすれば、こうしたととのった秩序は破壊されてしまう。そういうわけで、君主がいうことに臣下はしたがえ。上の者がおこなうところ、下の者はそれにならうものだ。ゆえに王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがえ。謹んでしたがわなければ、やがて国家社会の和は自滅してゆくことだろう。



四にいう。政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。人民をおさめる基本は、かならず礼にある。上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、下の者が礼法にかなわなければ、かならず罪をおかす者が出てくる。それだから、群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば国全体として自然におさまるものだ。



五にいう。官吏たちは饗応や財物への欲望をすて、訴訟を厳正に審査しなさい。庶民の訴えは、1日に1000件もある。1日でもそうなら、年を重ねたらどうなろうか。このごろの訴訟にたずさわる者たちは、賄賂(わいろ)をえることが常識となり、賄賂(わいろ)をみてからその申し立てを聞いている。すなわち裕福な者の訴えは石を水中になげこむようにたやすくうけいれられるのに、貧乏な者の訴えは水を石になげこむようなもので容易に聞きいれてもらえない。このため貧乏な者たちはどうしたらよいかわからずにいる。そうしたことは官吏としての道にそむくことである。



六にいう。悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである。そこで人の善行はかくすことなく、悪行をみたらかならずただしなさい。へつらいあざむく者は、国家をくつがえす効果ある武器であり、人民をほろぼすするどい剣である。またこびへつらう者は、上にはこのんで下の者の過失をいいつけ、下にむかうと上の者の過失を誹謗(ひぼう)するものだ。これらの人たちは君主に忠義心がなく、人民に対する仁徳ももっていない。これは国家の大きな乱れのもととなる。



七にいう。人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。世の中には、生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。



八にいう。官吏たちは、早くから出仕し、夕方おそくなってから退出しなさい。公務はうかうかできないものだ。一日じゅうかけてもすべて終えてしまうことがむずかしい。したがって、おそく出仕したのでは緊急の用に間にあわないし、はやく退出したのではかならず仕事をしのこしてしまう。



九にいう。真心は人の道の根本である。何事にも真心がなければいけない。事の善し悪しや成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。



十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。



十一にいう。官吏たちの功績・過失をよくみて、それにみあう賞罰をかならずおこないなさい。近頃の褒賞はかならずしも功績によらず、懲罰は罪によらない。指導的な立場で政務にあたっている官吏たちは、賞罰を適正かつ明確におこなうべきである。



十二にいう。国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。国に2人の君主はなく、人民にとって2人の主人などいない。国内のすべての人民にとって、王(天皇)だけが主人である。役所の官吏は任命されて政務にあたっているのであって、みな王の臣下である。どうして公的な徴税といっしょに、人民から私的な徴税をしてよいものか。



十三にいう。いろいろな官職に任じられた者たちは、前任者と同じように職掌を熟知するようにしなさい。病気や出張などで職務にいない場合もあろう。しかし政務をとれるときにはなじんで、前々より熟知していたかのようにしなさい。前のことなどは自分は知らないといって、公務を停滞させてはならない。



十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。嫉妬の憂いははてしない。それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。それでは500年たっても賢者にあうことはできず、1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。



十五にいう。私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。恨みがあれば、かならず不和が生じる。不和になれば私心で公務をとることとなり、結果としては公務の妨げをなす。恨みの心がおこってくれば、制度や法律をやぶる人も出てくる。第一条で「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」といっているのは、こういう心情からである。



十六にいう。人民を使役するにはその時期をよく考えてする、とは昔の人のよい教えである。だから冬(旧暦の10月~12月)に暇があるときに、人民を動員すればよい。春から秋までは、農耕・養蚕などに力をつくすべきときである。人民を使役してはいけない。人民が農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。



十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。』




[出典]金治勇『聖徳太子のこころ 』、大蔵出版、1986年