museさんのブログ -2ページ目

雲の意図

粉雪が降り注いだ瞬間、外にいたぼくは
結晶の冷たさを感じた

正義を紡ぐ心を
後悔と幸せを

苦しむ痛みを音に変え、言葉に表したぼくは
走り去る鼓動を感じた

妥協を味わう心を
懺悔と夜明けを

生きていくための冒涜を
突き進むための月光を

届かぬ指先に
真実と未来を

想わぬ願いを噛み締めて
一歩
また一歩

旅立つ景色

信じるということについて考える

信じると言う気持ち、言葉

結局、ただの願望ではないのか

あいつを信じる

自分が思う相手への感情や
あいつはこういうやつだからきっと大丈夫
いや、そうであって欲しいから信じる
という願望

宗教や信仰心は正にそんな気がする

自分の思い描く希望や自分に対する利益、自分にとって都合の良い事実を追い求める為に存在するのかもしれない

過去に裏切られたことがある
でも今考えると信じていたから裏切られたと勘違いしていただけなのかもしれない

願望は約束事でもないし、結局、他人の気持ちを100%理解することは不可能

かと言って裏切られたくないから人を信じないというわけではない
その感覚を言葉で表現できないことに腹立たしいけれど…


全てのものを正面からみる
固定概念にとらわれる

今はそれができないからいろんな見方、考え方ができるのだろう

だから自分を信じる

という願望を持ちながら

ぼくには何が見える??

依存について考える。

表面的な心理では何にも依存していないと思っていた。

でも今、自分の存在価値や俯瞰の自分から冷静に見てみる。

実際、ぼくは全てに依存しているのではないか。

人
仕事
性欲
物欲
食欲
環境
水
空気
地球

依存してしまってはその対象物を失った時に見失ってしまう。
でも結局、何かを失えばまた依存できる何かを見つける旅に出るのでは。
まさに相対性理論。

そう考えると依存するということは必然的なものであり、決して引け目を感じることではないのかもしれない。

また一つ、ぼくの中の細胞が変化を見せたのかもしれない。
何かを受け入れて分裂を繰り返すウイルスのようにいろいろな疑問がぼくの身体に侵入する。

これから何に犯されて
どんな分裂が起こるかはわからないけれど今は何でも受け入れる強い抗体を接種しておく時期なのかもしれない。

自分の中に思い描く自分はもう真っ黒
いや、
真っ白に塗りつぶしておこう。
どんな色でも描けるように。

どんな大きさのキャンバスにすればいいかはわからない。
それでも描かれる絵をしっかり見る眼をもたなければならないのだろう。

ただ、キャンバスの真ん中に描くもの。
それだけは太い鉛筆で描く必要があるのかもしれないな。