こんにちは、Mです。
某女優さんが某宗教に出家してしまい
契約中の仕事はどうするのかと問題になっています。
こんな記事を見つけました。
教団の弁護士さんは「宗教には『小さな善』『大きな善』という考え方がある」としたうえで、次のように言っています。
「確かに、身の回りの方の期待、自分に与えられてる責任を放棄することは一見、悪いことに思えますけど、1日も早く、1人でも多くの方が救われる、そちらの善を取るという考え方なんです。それを実践したのは、仏教的の開祖・釈尊です」
この記事を読んで、
「・・・どの宗教も同じだなぁ」
と感じてしまいました。
都合が悪くなってくると
「〇〇という考え方がある」
と、教義からうまく言い訳してくれそうな文言をひっぱり出してくる。
そして
「いや、自分たちは悪くない」
「むしろ良いことをしている」
と、思い込む。
えっと、
実際、迷惑している人たちがいるってわかってます?
善とか耳障りの良い言葉でフォローしようとしてるけど、
そういう人が「善」なんて言っても
あんまし説得力ない気がするんですけど・・・
って言いたいです。
・・・以下は、決して特定の人に向けて申し上げることではないです、
それこそ言い訳かもしれませんが(汗
今回のニュースについてだけではなくて、
宗教に携わる人へ
こういう疑問持っているやつもいるよ、というふうに受け止めてもらえればと思って、書きます。
信仰については憲法でも守られているから好きにしてくれていいけど
だからって人に迷惑かけていいわけじゃないでしょ、と思います。
善でもなんでも、するのはいいけど
迷惑かけてる時点でそのこと自体は善じゃないし
「多少迷惑かけるけど大きな善をとりましたテヘペロ☆」
って言ったって
それは、あなたがたの間でしか通じない。
世間一般から
「だから新興宗教は・・・」
とネガティブな視線マシマシになってしまうことに
なぜ気づかないんだろう・・・
「批判されても大きな善として多くの人を救うほうを取る」
っていうのも自由だけど、
宗教者として生きる人が
これから救える(と思い込んでいる)人の数と
宗教者として生きるために迷惑をかけたり悲しませたりした人の数と
どちらが多いか。
考えてみたことはあるのでしょうか。
これから人を救おうとしている人は、
これまでお世話になった人、そして今自分のために駆けずり回ったり涙を流したりしてくれている人のこと、
忘れちゃうのかな。
パラダイス思想も似ているなと思います。
楽園になったら神様がいやなことはなかったことにしてくれる。
でもそれで、
なかったことになっちゃえばそれでいいのか。
それまでの歴史、人間関係は、リセットされちゃってそれでいいのか。
それでもいい、神様がくれたものだから・・・
と言い切れる人は
本当に人に対する情愛があるのかどうか
神様が愛したように人を愛することができているのかどうか、
疑問です。
そういう人は
利他!愛他!って言いながら
していることはあまりに利己的な気がします。
・・・さて、
今回のニュースに戻りますと、。
一番気の毒だなと思うのは、
引用された釈尊(お釈迦様)。
ブッダさん、
あなたのお言葉、
言い訳にされてますよ。
蜘蛛の糸ぷっつり切っちゃいたくなる気持ちわかりますよ。
イエスもブッダも大変だね・・・(しみじみ)
それではまた。
臨床心理士M
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