おはようございます。りょうきです。

 

昨日の話。因縁果。

それと、先週のカルマの話。これらはどうつながるのか。

 

自分の行いができるだけそのまま帰ってくるやつから書きましょうか。

 

例えばあなたが誰かをいじめたとする。その時点で「あなたがいずれいじめられる」という「果」を実現するための「因」をあなたが作った。

そしてあなたがいじめられる場面に繋がる数多の「縁」は、勝手に設定されるみたいです。

 

逆も同じ。あなたが誰かを助けたとして。

「あなたがいずれ助けられる」という「果」を実現するための「因」を、あなたが作った。

そしてあなたが助けられる場面に繋がる数多の「縁」も、勝手に設定される。

 

誰が設定を、つまり「一連の縁」を作り上げるのか?

 

上のひとじゃないですかねぇ(笑)。

 

だから、こういうのって意味わかんないほどタイミングがいいでしょう。

最悪のタイミングで一番嫌なことが起きたり。

一番いいタイミングで、最高のことが起きたり。

 

一般的に「神様の方程式」と呼ばれたりしますが、こういうことでしょうね。

とりあえず「因」を作ったが最後、それがどういう「果」になって、そこに至るまでにどういう「縁」があるのかは、我々人間には見えない。「神様にお任せ」という言葉の所以ですね。

 

だから、いいことが起こった時は、その「因」は過去の自分のおかげなので自分を褒める。

そしてそれがそのタイミングで起こったことについては、そのように設定してくれたであろう上のひとのおかげだろうから、彼らにお礼を述べる。

 

悪いことが起こった時は、その「因」は過去の自分が作ったんだから仕方ない。

そしてそれがそのタイミングで起こったことについては、そのように設定たであろう上のひとからのお灸だろうから、もうしませんと反省する。

 

 

ところで、先週の投稿でちょっと質問をいただいて。

 

「誰かをいじめると、誰かにいじめられる」について、相手がその場にいない場合はどうなるのかという質問でした。

例えば、当の本人がいないところで、その人をバカにする発言をするとかね。

 

これね、断言します。

それも、同じように返ってきます。怖い怖い。

 

これ、わかりやすいエピソードがあってね。

私はスポーツクラブに通っていますが、そこでのこと。

 

私はスタッフと仲がいいので、気さくに話します。

そのとある女性スタッフが、とあるお客さんのお顔が面白いと言っていて。

 

「あの人こーんな目してて面白いハハハ」と言いながら、自分の目を横に引っ張って細くする。

もちろん、そのお客さんが直接目の前にいるときは、ちゃんと応対してますけど。

と思ったら、別なお客さんについては「あの人超かっこいい」とも。

 

ある日、その超かっこいい方のお客さんがね、そのスタッフのいないところで「あのスタッフ、こーんなほっぺたで面白いハハハ」と言いながら、ほっぺたを膨らませてみんなで笑う。

 

そこにね、その女性スタッフが来ちゃったんですよ。

 

一瞬で空気が凍りましたね。

横で見てる私はダンベルを上げ下げしながら、思わず「あっ」と言っちゃったけど(笑)。

 

その女性スタッフは、自分のことを言われてるのは認識したみたいで。

しかも自分の推しメンが言っている。みるみるテンションが下がっていく。

以降数ヶ月、そのスタッフは元気がなかったです(笑)。

 

きっついお灸でしたね。目がほっぺたに変わってるけど。

 

一連の流れをだいたい把握している私は、「うわーカルマってすげぇ!」と思う。

同時に、こういうことを知っている私は、「うわー上のひとすげぇ!」とも思う。

 

ということで、こういうことになります(笑)。

 

でもね、これはまだマシじゃないかなと思います。

当の女性スタッフが気づかないまま、ずっと陰で言われ続けているのも酷だし。

本人が気づいてなければいいのかもしれませんけど、それでもなんかねぇ。

 

きっとその女性スタッフの上のひとはちゃんとした方なんですよ。

だからこうやってセッティングしてくれるのかなと。そのスタッフにさらなるご加護を(笑)。

 

私も気をつけようっと。

 

良き1日をどうぞ(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

いよいよ涼しい。私は気温が低いほうが好きなので、喜ばしい。

昨日はなんとなくブログのページを開いたら、おみくじが。

投稿の通りです。喜ばしい(^^)

 

今週は、因縁因果の話を。

不思議な言葉です。因縁、因果。私もよくわかりませんでした。

仏教用語なんでしょうけどね。考えるほどに深い。

でもその実は、驚くほど単純。

 

要するに先週のカルマの話です。

カルマの仕組みを、まるっと包括的に表現した言葉が因縁とか因果です。

ただ、この言葉の使い方は人それぞれなのでね。そこがややこしい。

 

ということで、りょうきの理解で書きます。

 

先週のカルマの話。

善玉悪玉と問わず、自分の行いは必ず帰ってくるというやつ。

これを、因果の法則と呼ぶことが多いです。

 

例えば自分に何か出来事があった場合、その事象を「果」と呼びます。

それが起きるまでの経緯全てを、「縁」と呼びます。

そもそもそれが起きるには何らかの理由があるはずなので、それを「因」と呼びます。

 

何か出来事が起こったら、それには原因(因)が必ずある。

事故で起こった場合は、事故という原因(これも因)がある。

その原因が存在するところに、条件(縁)が整った。

だから、結果(果)が出た。

 

当たり前のことです。

 

ただ、「果」は目に見えても、「因」と「縁」は見えるとは限らない。

 

例えば、スマホのSNSグループでいじめに遭っている子がいるとします。

 

因:不明

縁A:いじめっ子と同じクラス

縁B:不明

縁C:不明

縁D:不明

縁E:被害者が、SNSの使えるスマホを持っていた

果:被害者が、SNSでいじめに遭っている

 

この場合、因+縁A×縁B×縁C×縁D×縁E = 果 が成り立ちます。

 

そして、AからEまで5つ縁があっても、目に見えているのはEだけだったり。

そうすると、「スマホ(=E)がいじめの元凶だ」という理屈になったりもします。

 

余談ですが、こういう短絡的な理屈って多いですよね。

ちょっとした「因」に、数多くの「縁」の掛け算によって、「果」が出るわけですが。

その目に見えているものが「果」と「縁の一つ」だけなのに、「その結果の原因はそれだ!」というインスタント思考になりがちです。

 

「○○ダイエット」もそう。

痩せるにはたくさんの「縁」があるはずで、そのうちのひとつが例えばバナナだっただけです。

もちろん、縁は大小がありますけど。

 

そう考えてみると、世の中の事象を眺める目が変わりませんか。

 

100円拾った、同期が昇進した、同級生が現役で受かったetc.

これらの「果」全てに、もともと小さな「因」があり、そこに数多の「縁」が掛け算され、その「果」としてその事象があるんです。

そしてとりあえず自分の目にわかりやすく見えているのは「果」とごく一部の「縁」であって、「因」やその他の「縁」は必ずしも見えているとは限らない。

 

わかりやすい例を一つ。

 

どう見ても遊んでいるようにしか見えない奴が、現役でサクッと大学に入った。

おかしい。同じように遊んでる俺は浪人しているのに、みたいな。

 

おかしくない(笑)。

 

現役でサクッと大学に入ったという「果」は、よく見える。

しかしそこに至るまでの「因」や「縁」は、本当に全部見えているのか。

 

そいつは合格に必要な条件をちゃんと揃えたから、合格してるんです。

つまり合格に必要な係数が揃ってる。そのうち数個しかあなたは見えていないだけ。

 

こういう意味では、誰かの真似をしたり誰かを参考にしたりするのは、意味があることでもあり、意味がないことでもあります。

 

因+縁A×縁B・・・×縁Y×縁Z = 東大合格(果) という人がいたとして。

 

周囲に見えるのは、合格したという「果」と、ごく一部の「縁」くらいです。

だから縁Pと縁Wしか見えてないのに、「PとWがあれば東大に行けるんだ!」とか思うのはまことに短絡的でしょうね(笑)。

しかしPとWがないと東大に行けないことも事実なので、「少なくともPとWが必要だとわかった」と認識するのは賢いと思います。

 

この時期になると、合格しそうな人っていよいよわかると思います。

逆も然り。どちらもいるでしょう、身の回りに。

 

彼らをよーく観察してみると、合格に必要な係数をいろいろ持っている。

しかし具体的にはよく見えないから、とりあえず出来る範囲で全部を真似てみる。

 

そうすると、もしかしてあなたの持ち合わせていなかった係数が、知らないうちに手に入るかもね。で、あなたも合格に一歩近づく。

 

どうぞ良き1日を(^^)

こんばんは。
 
ちょっとやってみた。
 
んんん抜かりない(笑)。ありがたや(^^)
 
 
残り100日の運勢は・・・
紅葉2018年ラストスパート!紅葉
あと100日でしたいことは?
 
グッドラックレストランりょうき の新メニュー開発
もうちょっと徳を積む
仏壇と神棚の設計図を描き終える
 
 
良き一週間をどうぞ(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

昨日までの投稿を自分で読み返しながら、自分のカルマを考える。

 

とってもたくさん。考えるほどに自分が情けない(笑)。

 

でもね、ここで大事なのはその原因ではないんです。

 

例えばスピ系の人って、その原因を探るのが好きですよね。

過去世で○○だったからどうのこうのらしい、とか。

占星術で、霊視で、あるいはヒーリングセッションで判明したとか。

本当かどうかはさておき、ここまでは別にいいと思うんです。

 

ただね、「なるほど、だから今の私は○○なのか」で終わることが多い。

それってつまり、今お持ちのカルマを理解するという目的のはずが、いつの間にかそのカルマに甘んじる結果になってるでしょう。

下手をすると、そのカルマを可愛がって育てることにもなっている。

 

それはどうかなと思います(笑)。

 

例えば今お腹が痛いとして、お医者さんに行って原因が判明した。

なるほど、それで私はお腹が痛いのか。…ここまではいい。

ところがその腹痛を持つ自分を、ならば腹痛ごと愛で包みましょうってのは(笑)。

 

お腹が痛いのを治したくて医者に行ったんでしょう。

だったら原因を聞いて満足しないで、治さなきゃ。

なんなら原因を教えてもらえずとも、治るお薬をくれるならいいじゃないか。

 

カルマはね、治すためにあるんです。

 

治すのにあたって、原因を知ることは必ずしも必要ではありません。

むしろ生半可に原因を知ると、治さない言い訳になってしまう。

 

だからよほどのことがない限り、人の前世って具体的には見えないんです。

前世やカルマは、本来は誰かが見るものではありません。

 

理屈みたいなものを自分で知っておくのは大変望ましくて。

そこから自分で考え、もしやこうなのかという推測のもとに、今世を洗練させることに意味があります。

 

予備校で言えば、そうですねー。

 

例えば睡眠障害の子がいましたね。それこそ授業中ずっと寝てる。

つまみ出してもいいんでしょうが、あまりにも極端なんで逆に事情を深く聞く。

そしたらペロッと診断書を出してくる。「僕は睡眠障害なんです」と。

 

「じゃ治してからおいで」と告げると、なんかごねる。

いろいろ理由をつけて、教室にはいたいとのこと。

 

その子が本当に睡眠障害かはさておき。きっとそうなんでしょうけど。

この場合はしかし、その診断書がもう免罪符みたいになってるでしょう。

 

睡眠障害なのは仕方ない。それは否定しない。

ところで受験勉強をしないといけないなら、寝ていると合格できない。

そうすると順番としては、それを治すのが先です。その上で来てくれたらいい。

 

その診断書が本当だとして、要するに勉強が面倒なのか。

あるいはそうでなくとも、本当に大学に行きたいならそれはハンデになるわけだから、まずはなんとかしてハンデをなくそうという発想がないのか。

 

前者は論外として、後者が問題です。

どうしようもないハンデは別ですが、どうにかしようと足掻かないところも問題で。

 

これって、そのハンデに甘んじてるでしょう。

つまり彼の場合、これから先は全て睡眠障害とやらに人生を支配されるわけです。

睡眠障害を条件に、それを満たす学校や仕事にしか縁がなくなる。

本人がそれでいいならいいと思うんだけど。

 

カルマもそうです。個人のカルマも家系のカルマも。

そのままだと、あなたの人生をところどころ、しかも大事な場面を邪魔する。

それを嫌だと思うか、それでもいいと思うか。

 

私は、嫌でしたね。こんなくだらないことに、人生を支配されるとか。

だからさっさと消すことを考える。じゃないと、一生カルマに振り回される。

 

しかし自分のカルマは他人には見えない。自分で気づくしかない。

治すのも、誰かにお金を払うことでは解決しない。

だから、自分や自分の家族をよく知ることが大事なんです。

その上で、自分で足掻くことに大いに意味があるわけだから。

 

私は、カルマごときに人生を振り回されるのはごめんです。

「血が出るなら、殺せる」と同様、「カルマであるなら、治せる」なので。

とりあえず、明日は昼まで寝ちゃう悪癖を克服しないといけない(笑)。

 

どうぞ良き週末を(^^)

りょうきです。おはようございます。

 

カルマの話。その3。家系のカルマ。これも不思議な話。

 

例えば私の家系で言いますとね。

 

うちの家系は、2輪に乗ると必ず事故ります。

あと、中退グセがあります。うちは私も含めみんな中退してます。

大学なり何なりを「卒業」したのは、実は私が最初です。

他にもいろいろ。クセの多い家庭です。

 

そういうの、ありませんか。

 

毒になるもの、毒にも薬にもならないもの、薬になるもの、いろいろ。

これの特徴は、「なぜか連鎖する」ことです。正の連鎖も負の連鎖も。

 

特にうちの二輪の件。意味わかんないでしょう(笑)。

これね、私が小さい時に叔父が二輪で事故ってね。

その時の祖父の一言が「うちは二輪でみんな事故りよるな」と。

 

なぜか私はそれが真理な気がして。

「うちの人間は、二輪に乗っちゃいけない」と思ったものです。

もちろん、私は今まで1度も二輪に乗ったことはありません。

 

こういうの、あなたの家庭というか家系にもありませんか。

何かあるはずです。いいものも悪いものも。

 

中退グセ、借金グセ、○○グセetc.

そんな悪いものでなくとも、よーく見ると親族に共通する変なクセ。

「うちは皆、○○と相性がいい/悪い」みたいなのね。

 

家庭環境なのかもしれないけど、二輪の件は家庭環境じゃない気が(笑)。

つまりその原因は、わからない。でも、あるにはある。不思議です。

 

これもね、カルマの一つです。

ご先祖から託された、家系として解消すべき変なカルマ。

 

これはね、まず家系の誰かが気付くんですよ。私は2つ気付いた。

で、気付いたらそれに注意して生きるんです。下に持ち越させない。

それをね、何代も続けるんです。そうするとね、この変なカルマは消えます。

 

うちの二輪の件と中退の件は、りょうきが気づきました。

この負のクセは、私の子孫の代には持ち越させません。

よって、自分の子供にはよーく言って聞かせないと(笑)。

 

こうすると、その血筋が洗練されてくるでしょう。

だからね、こういうカルマを一つ消すと、というか消すように努めると、ご先祖が泣いて喜ぶんですよ。

 

昨日の話もそうですけど。

 

個人のカルマも家系のカルマも、まずは気づくことです。

 

カルマというのは、気付いた時点で8割くらいは解消されたも同じです。

後の2割は、個人の努力によるもの。個人の行動によるもの。

 

それがためには、自分を、自分の家系を、よく観察しないといけない。

意外と見えてないものですよ。特にこういう目線を持つまでは、見えにくい。

 

ここで、ご自身の失敗方程式とか家系の妙なクセみたいなのを、一度冷静に客観的に眺めてみると、興味深いかもしれません。

 

なぜそんなクセがあるのかは、どうでもいいんです。

あることを自覚して、消そうと努めることに意味があるんです。

 

一つでもいいので、消してみる。あなたが、家系が、一つ洗練される。

特に家系を一つ洗練させることは、立派な先祖供養でもあります。

 

自分のカルマは何なのか。

 

それはね、人に聞いてもわかりません。お金でどうにか消えるものでもない。

自分で気づいて、自分で動かないと消えないものです。

 

「まったく、俺は!」「まったく、俺ん家は!」とか言ってもいいんです。

言ってる時点で、8割の解決。残る2割は、あなたの頭と心と筋肉で解決。

 

いつか星に帰る時、錦を掲げて帰った方がいいじゃないですか。

 

 

どうぞ良き一日を(^^)