おはようございます。りょうきです。

 

昨日の続き。UGの話。

 

要するに:

「耳に入れるだけで、自動でその言語を解析して」

「自動でその言語の文法を見出して」

「自動でその文法を使って文を作ってくれる」 装置が、UGです。

 

で、これは誰にでもある、と。

 

 

ウソです。誰にでもある、ではありません。

正確には、誰にでも「あった」です。

 

UGは、期限付きです。一生モノではない。

 

 

生まれた時は、確かに誰にでもあります。

しかし、誰でも必ずそのUGはいずれ機能を停止します。

 

それはいつか。

 

諸説ありますが、私が読んだ論文の中では、一番遅くて13歳くらいだったような。

早いものだと、6歳で機能を停止すると主張する学者もいましたっけ。

 

数字はバラつけど、「UGはいつか停止する」と「大人でUGが機能することはない」は、およそ満場一致の結論のようです。

私の通っていた英会話教室の先生は、「耳が閉じる」と表現していました。

 

ただ、本当に完全に閉じるかは、これまた証明されていません。

私の感覚だと、幼い頃にUGをフル活用した人(一度に数ヶ国語をダウンロードした人とか)なら、ある程度大人になってもうっすらUGが機能を保っているんじゃないかなと思うこともあります。

 

でも、完全に停止すると表現して差し支えないほど、その機能は著しく低下します。

 

ということで、ナントカラーニングとか、「聞き流すだけ!」とか。

「赤ちゃんが言葉を覚えるのと同じ仕組みで!」が謳い文句の教材は多いです。

 

赤ちゃんには、赤ちゃんの仕組みがあります。UGという仕組み。

しかし大人になると、もはやUGは期待できない。仕組みが根本的に違う。

 

だから「赤ちゃんが言葉を覚えるのと同じ仕組みで!」という謳い文句は、外大を出た人間には「大人になったあんた達にはこの教材は向いてねぇよ!」に見えてます(笑)。

 

悲しいですねぇ。

せっかくいいものを持って生まれたのに。

知らないうちに、使用期限が切れちゃいましたね。

 

…人が言語を獲得する仕組みは、だいたいこんな感じです。特に第一言語ね。

 

ということで、大人になってから英語を赤ちゃん的にマスターしようというのは、ちょっと違うかなと。

 

聞いて聞いて覚えて覚えて。しかしそれを応用して、それまでに聞いたことのない文の意味を理解したり、オリジナルの文を自分で作ることは、おそらくもうできない。

 

 

でもまぁそう落ち込まないで。

 

赤ちゃん的に英語をマスターすることはできないけど。

赤ちゃん的じゃないなら、なんとかなるかもしれない。

 

大人には、大人の方法があるんです。

 

ご心配なく。なんか教材を売ったりはしませんので。

 

明日に続く。

 

良き1日をどうぞ(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

最近自分の僧侶化が著しくて。このままだと本当に得度しちまいそうだ。

 

ということで、今週は英語の先生に戻ります。

たまには英語の話も書けというリクエストもあることだし。

 

何を書きましょう。根本的なところを書きましょうか。

 

人間はね、生まれつきUG (Universal Grammar)というものを持ってます。

脳のどこらへんかはわからないけど、とりあえず持って生まれてくる。

 

このUGというのは、パソコンでいうところのドライブです。

でね、その後育つ過程で「○○語」というソフトをインストールする。

 

一般的な日本人で考えます。

 

日本のある場所で、子供が生まれました。お慶び申し上げます。

その子の脳内には、ドライブが入ってます。

 

病院を出て、お母さんや身近な大人が、赤ちゃんに話しかける。

話しかけていないときでも、その辺に飛び交う言葉を赤ちゃんは聞いている。

 

赤ちゃんは、自分の耳から入る大量の文や単語を、実はほとんど記憶します。

脳のすっごく深いところに、大量のデータとして溜めるんですね。

 

で、次のステップに移ります。

 

大量に溜まったデータの中に、何か法則みたいなものはないかを探します。

 

e.g.「この子は本当に可愛くて」「俺やっとくわ」「ソファが届いたよ」

 →赤ちゃんの脳「最初の方に言うのが、どうやら主語らしい」

 

みたいに。他にもたくさん。どんどん見つけていく。

 

そのうち、当の言葉の中に存在する法則を使って、自分で文を作ってみる。

 

「まま きた」とか。

 

これは実はすごいことなんですよ。

周囲の大人が実際に「ママ、来た」と発して、赤ちゃんがそれをそのまま九官鳥したわけではない。

 

つまり、自分の脳内のデータにない文を、自分で作ったんです。

しかも文法的に、だいたい合ってる。だからすごい進歩です。

 

ここまでをおさらいします。

 

STEP 1 とにかく大量の単語や文を、脳内に取り入れて溜める

 

STEP 2 相変わらず溜めながら、溜まったデータの中に法則を探す

 

STEP 3 その法則を使って、オリジナルの文を作ってみる

 

…の、繰り返し。だんだん言葉が達者になっていきます。

 

これを全自動でやってくれるのが、脳内のUGなんですよ。

言い換えれば、UGがあるから、STEP1〜3を全自動でできてしまう。

 

つまり。

 

生まれたての状態では、UGというドライブしかなくて。

 

そこに、例えば日本語なら日本語の文や単語というソフトを読ませる。(STEP 1)

 

UGは、オートマチックにそのソフトを解析して、「要するにこういうことでしょ」的に脳の中に日本語の文法を噛み砕いて落ち着かせてくれる。(STEP 2)

 

そして、必要な場面で「こんな感じで単語を並べればいいんじゃね?」的に、ぱぱっと単語を並べて文を作り、口から出してくれる。(STEP 3)

 

です。

 

だから、英語というソフトをインストールした人は、英語の文法が脳内にできます。

ドイツ語ならドイツ語。何語でも、必ず文法を見出して、脳内に落ち着かせてくれる。一度に複数の言語をインストールしても、中ではちゃんと仕切られていく。

で、何語であろうと、ある程度文法が脳内に落ち着いたら、今度は文としてアウトプットできる。

 

素晴らしきかな、Universal Grammar。

 

誰にでも。何語でも。だからUniversal。

 

明日に続きます。

 

 

どうぞ良き1日を(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

仕事の話。向き不向きの話。最後にすっごく眉唾。

 

YouTubeでね、江原啓之さんの動画を見つけて。

タイトルしか見ていませんが、「仕事も守護霊さんが決めている」みたいな。

 

私の認識はちょっと違うんですが、そうとも解釈できるかなと。

 

守護霊、先祖霊、なんとか霊。要するに上のひと。

 

人間一人あたり、何人かおられます。だそうです。

そのうちリーダーみたいなのが、一般的に守護霊と呼ばれます。

それ以外の方々は、それぞれに役割のようなものがあって。

その中で、指導霊と呼ばれる存在もいるようです。

 

平たく言うと、いいお医者さんについている指導霊さんは、いいお医者さんです。

正確に言うと、「生身の人間だったときは、いいお医者さんをしていた立派なひと」です。

そういうひとが、その人の職業面を伸ばす存在です。

 

まぁ要するに、その職業で第一線の人には、見えないけど強い味方がついてると。

 

どのタイミングでついてくれるのかは、わかりません。

生まれつき付いてくれているのか、大人になってからついてくれるのか。

 

ところが。

 

ついてくれた/くれていたとしても、指導霊さんが発動するかは別問題で。

 

医者として働き始めた時、ふと気づくと自分の後ろにお医者さんの指導霊さんがいたりする。

その指導霊さんがいつからそこにいるのかは、わからない。

 

しかも、その指導霊さんはまだ発動していない。つまりそこにいるだけ。

ひたすらに医者をしているあなたを眺めています。仏頂面で。

 

でね、あなたがお医者さんをしていく中でね、あなたが努力して、時には苦しんで、ひょっとしてあぁもう医者をやめようかと思ったあたりで、やっと指導霊さんは発動します。

 

発動するとどうなるか。

 

医者としてのあなたが、なんとなく神がかります。

医者としての才能というか、いろいろ開花して伸びる。

アイデアが湧いたり、活躍の場がたくさん与えられたり。

 

指導霊さんは、「その職業へのあなたの本気度」を見ているんですかね。

で、あなたの本気度に納得した瞬間、何かしてくれるんでしょう。

 

そうすると、指導霊さんが発動しているひとって、実は少数派かもしれません。

どの分野でも、神がかっているひとって、あんまり多くない。

 

でもね、本当にちゃんと真面目に頑張っていれば、必ず発動してくれます。

 

蛇足ですが、上のひと、後ろのひとの存在が変わったり発動したりすると、自分の思考なども変わります。

あるいは自分の思考が変わったから、彼らが変わった/発動したのか。

やはり相互に影響が大きいんでしょうね。

 

さらに蛇足ですが、趣味嗜好まで変わる場合もあります。

ある時突然コーヒー派から紅茶派に、海派から山派に変わったり(笑)。

急にお酒が飲めなくなったりね。不思議なほど、好みが大きく変わる。

 

 

しかしまぁ、これも眉唾。

 

この話が嘘でもまことでも、要するに個人の意思と、努力が大事なんです。それは真理。

 

そこに、真面目に生きてりゃ上のひともちゃんと配慮してくれるという推測を少し。

 

 

良き週末をどうぞ(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

昨日の話を書きながら、私の今の得意分野は何かなと考えてました。

 

一つは、文章を書くことですかね。

例えば昨日の投稿は1750字ほどありますが、毎日コンスタントに書く。

つまり原稿用紙4枚以上を、毎朝サクッと書いています。

 

今日で174講ですか。

単純計算で、毎日1750字×173回なので、ここまで実に30万2750字。

本3冊分弱ですね。原稿用紙約756枚。それを35週間つまり9ヶ月です。

それを毎日、思いつくままに涼しい顔して書きます。すごい?

 

私は、すごいとは思ってません。たぶん、私の得意分野だからです。

得意分野だから、すごいと思わない。かといって、誰でもできるよとも思わない。

 

あと、英語ですけど。

「どちらも自分たちが正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」とか。

ドラえもんの名言です。これを訳して遊んだりしてました。

 

“Either side has its own justice. That’s what a war should be.” とか。

 

美しいとかどうかはさておき、独特なようです。少なくともそのように言われる。

これもまた、私の中では普通です。

 

当然ながら、自分が逆立ちしてもできないだろうなと思うこともあります。

化学の計算、中国史、パソコンの中をいじるetc.

 

思うんですけど。

 

その得意分野を行動にする時って、大きな後押しが発生するのかなと思います。

文章、英語、教えることを例えば仕事とかにする時、確かに後押しがありました。

大学のN先生しかり、今の予備校の採用試験しかり。

 

で、例えばその得意分野を仕事にすると、いい意味で楽なんです。

 

例えば英作文の先生をするためには、英語ができないといけない。

ネイティブの感覚というか、そういうものを理解しないといけない。

そこに加えて、先生なので、それをわかりやすく使えないといけない。

 

私の場合、前者はどうやら知らない間に持っていたのかもしれません。

そうすると、後者だけを努力して身につければいい。労力は半分です。

 

遺伝子レベルで得意なことに見当をつけて、それを仕事にすると、捗ります。

スタートラインで、下駄を履いていることになるので。

 

ここから先は眉唾ですけど。

 

たぶん、前世をいい形でなぞってるんでしょうね。

前世で得意だったことは、今世でも必ず得意だから。

 

そうやって、輪廻レベルの経験値を持っている時点で、すごく有利なんですよ。

そうすると、私は前世が坊さんか何かで、前々世がイギリス人の作家か(笑)。

 

この前世からの記憶みたいな経験値も、カルマの一つです。いいカルマ。

 

もちろん、手放しでうまくいくわけではないです。

スタートラインで下駄を履いているだけなので、以降の努力は別物です。

 

でもそう考えると、林先生の「自分が勝てる場所で、努力しなきゃ。」の意味が見える。

 

いいカルマの通りに生きなきゃいけないわけでもありません。

一応武器として持ってはいるけれど、必ず使わないといけないものでもない。

それが証拠に、仮に前世の私が僧侶だったとして、その前の…と考えれば「僧侶でない世」から「僧侶になった世」があったはずだから。その時は、持っていた武器を使ったか使わなかったか、新しい世界にチャレンジして僧侶になっているはずです。

 

で、そうだとして、きっと今はその余韻的経験値に乗っかって生きている。

 

「好きを仕事にする」とよく言われますが、私はちょっと違いますね。

「好き」という自分の感情は、実はあてにならないのでね。諸行無常。

じゃなくて、「なぜか自分にできることを仕事にする」方が賢いと思います。

 

ということで、ちょっと将来にお悩みの皆さんは。

 

ご自身の中の、「なぜか自分にできること」を見つけてみてはどうですか。

「好きなこと」「やりたいこと」じゃなくてさ。そんなものあてにならない。

周囲を見て、自分の「こんな簡単なことなのに、なぜみんなできないの?」を見つける。

 

それをね、磨くんです。そういう方面に進む。いろいろ捗るよ。

 

今日は1626字(笑)。

 

良き1日をどうぞ(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

昨日の投稿で、ご自身の得意不得意を考えた方は多いかなと。

不得意はわかりやすいんですけどね。得意分野は意外と見えにくい。

 

なぜなら、「あなただけが得意とする」だからです。

 

一生懸命勉強して数学の偏差値が70だからといって、それが昨日の意味での得意とは限りません。

汗かいて勉強して偏差値70よりも、何も勉強せずに偏差値50の科目の方が「遺伝子レベルで得意」だと言えます。

汗かいて勉強して偏差値50の科目は、明らかに不得意としていいと思うけど。

 

遺伝子レベルの得意不得意は、相対的なものです。

つまり自分の感覚だとよくわからないんですよ。

 

誰か周囲にいて、彼らの動きと結果を、自分のと比べるんですね。

それこそ自分が寝ていても60点取れる科目を、誰かは徹夜で勉強して60点取る。

あるいは自分が徹夜で勉強して60点の科目を、誰かは寝ていても60点取る。

 

「誰かと比べる」のは、こういう見方をする時に限り、役立ちます。

そこで初めて、「あ、たぶん俺にはこの科目の才能があるぞ/ないぞ」が見える。

そういう意味で、誰かと比べるのは非常に大切です。

 

そして何れにしても大切なのが、とりあえず精一杯やることです。

 

私の場合、中学生の時からなんとなく英語が得意なのは自分でわかってました。

周囲を見て、「なんでみんなこんな間違いをするの?」とか思う。

そのうち、「たぶん英語に限っては、僕はみんなと思考回路が違う」と思うように。

 

ところが大学を再受験する時。理系のくせに、化学が非常に苦手で。

でも理系の受験なので、化学が苦手というのは致命傷です。

必死で勉強しました。9月までは、化学しかやっていません。

 

で、他の科目を全て犠牲にして出た9月の模試の結果は、偏差値50。

「たぶん化学に限っては、みんなは俺と思考回路が違う」と思うように。

 

このへんから、向き不向きってやっぱりあるんだなと思うようになりました。

 

ただね、勘違いしてはいけないのは、簡単に不向き認定を出さないことです。

 

本当に不向き認定を出す時、それは全ての努力が終わった後です。

つまりあらゆることをやり尽くしたうえで、それでもできなかった時。

そこで初めて、「俺はこれに向いてない」とわかる。

 

ちょこっと勉強して低い点数だと、もっと勉強したら上がるかもしれないでしょう?

その場合は不向きじゃないのでね。

誰よりも勉強して、誰よりも出来ないなら、堂々と不向きと言っていい。

 

そこから作戦を考えるわけです。

受験までの残る時間は、皆同じ。試験はトータルの点数勝負である。

 

今から1時間勉強するとして、それが最大のリターンになるように。

私の場合、英語は1時間勉強すれば20点くらいになります。

数学と物理は、1時間勉強すれば10点と15点くらいか。

ところが化学は1時間勉強しても、きっと1点ほどにしかならない。

 

そうすると、秋以降になれば化学を猛烈に勉強するのは猛烈な自殺行為です。

したがって、化学に向いてないとわかったからこそ、化学を勉強しませんでした。

もちろん、足切り点くらいまでは勉強しますけど。

 

こういうことを自分で知るとね、人に優しくなりますよ(笑)。

 

自分に不向きがあるように、誰かには必ず不向きがあるんです。

自分と比べて、あるいはまた他の誰かと比べて、「なんでオマエはこんなことができないんだ!」とか言わなくなる。

 

目の付け所が変わるんです。とりあえずちゃんと努力してるかどうかだけを見るようになる。

その上で出来ないなら、「これはこの子には不向きなんだろう」と認識するんですね。

で、次は「じゃあこの子の得意分野は何か」という発想になるのかなと。

 

時々いますね。「努力すればなんでもできる」主義の人。

私ね、こういう人って、ご自身でご自身の向き不向きを見極めるほどに、何かに関して集中的な努力したことがない人なんじゃないかなって思います。

 

全てに薄い努力で、全てを薄く仕上げた人だと、努力で全てが賄われると思いがちです。

ところが誰よりも深い努力をしてもなお何かを達成できなかった人は、努力云々じゃない何かがあると身をもって知っているので、冷静で深い判断ができる。

 

いい先生って、そういう人じゃないですかね。

 

でも単語は覚えろよ!

 

良き1日をどうぞ(^^)