おはようございます。りょうきです。
仏様とか空海先生には遠く及びませんが、僭越ながらりょうきが書きます。
般若心経には、何が書いてあるのか。りょうきの解釈です。
カレーライスってありますね。国民食のカレー。
カレーライスは、もともとこの世にあったわけではありません。
カレーライスの木とかがあって、その実を割るとカレーライスが出てくるわけじゃない。
カレーライスを食べたければ、にんじんと玉ねぎと…と、材料が必要です。
かといって、にんじんはカレーライスの一部になるためにこの世に出てきたわけでもない。
つまり、とりあえずこの世にはにんじんとか玉ねぎとか、材料だけがある状態です。
それらを組み合わせて、肉じゃがを作るもよし、カレーを作るもよし。
特定の割合で材料を組み合わせて、それにカレーライスと名前をつけているわけです。
これは、カレーライスに限りません。りょうきだってそうです。
りょうきは、もともとこの世にあったわけではありません。
たんぱく質、カルシウム、水分、脂肪その他の組み合わせでこの肉体ができていて、この肉体にりょうきと名前をつけているにすぎない。
そうすると、世の中のものの大多数がそうでしょう?
今あなたが眺めているパソコンやスマホもそうです。
炭素、金属、ガラス…と星の数ほどある材料が組み合わさって、それになっている。
シャーペンもそう。コップもそう。
この材料の状態のことを「空(くう)」と言います。正確には、色々な原子です。
これからカレーになるかもしれない、肉じゃがになるかもしれない材料たちです。
で、それらを組み合わせて作ったカレーライスの状態を、「色(しき)」と言います。
「空即是色」は、「材料が組み合わさって、料理になる」です。
ところで、カレーライスを食べた後はどうなるのか。
消化し、一部は自分の肉体になります。
つまりさっきのにんじんがあなたの皮膚とかになります。
一部は排泄されます。排泄され、土に帰る。で、その土でまた新しいにんじんになる。
気の遠い話ですが、いずれあなたも土に帰ります。
そうすると数十年前に食べたカレーのにんじんでできた皮膚が、土に帰る。
つまり数十年前のにんじんが、しばらくあなたの皮膚に姿を変え、また土に帰ってきた。
で、これまたその土で新しいにんじんになるわけです。
この時点で、カレーライスは無くなり、また新しい材料に戻りました。
つまり「色(カレーライス)」が「空(にんじんとか)」に戻ったわけです。
「色即是空」は、「料理が時間を経て、材料に戻った」です。
般若心経の要諦である「色即是空・空即是色」は、「材料⇔料理」ということです。
材料は、有限です。地球上に存在する材料は限りがあります。
つまりにんじんは地球上に100本しかない。
だから、誰かがたくさん買い占めて冷凍保存していると、誰かが肉じゃがを作れない。
ということでカレーを作ったら早いこと土に返して、新しいにんじんにして次は別な人が肉じゃがを作れるようにしないといけない。
そうやって、地球上の物質は常に循環しているんだよ、みたいな。
そう考えると、自分の体も面白い見方ができますね。
例えば私の骨の中のカルシウムは、新品じゃないんです。中古です。
このカルシウムは、例えば江戸時代ではナントカ衛門さんの骨を形成していたものかもしれない。
そのナントカ衛門さんが土に帰って、その土で育った野菜を私が食べて、今そのカルシウムはりょうきを構成する一部になっているのかも(笑)。
そう考えると、身の回りのものに対する見方も変わりますね。
世界中に目に見えない材料、つまり粒みたいなのが無数にあって。
それが何らかの条件によってザァッとあなたの近くに集まって、例えばそのパソコンに化けた。
しかしそのパソコンもいずれザァッと粒に戻って、また別なところでザァッと集まり、今度はぬいぐるみに化けるかもしれない。
あなただってそうです。地球上に漂う無数の粒のうち、必要なものがザァッと集まって、あなたに化けた。
似たように粒がザァッと集まって、例えば同じクラスの太郎くんに化けている。そんな粒の塊が40人ほどまた集まって、3年1組とかに化けている。
つまりその粒はあなたの構成要素であり、それが一つでも欠けるとあなたという「色」はなくなるわけで、同様に構成要素が一つでも欠けると3年1組という「色」もなくなるわけで。
この理屈って、地球上どこでも言えるでしょう? だから経なんですね。
良き1日をどうぞ(^^)