りょうきです。おはようございます。

 

昨日の面接の話、フライング投稿したのに、思いの外反響が。

せっかくなんで、もう一つ書きましょうか。

 

圧迫面接の話。

嫌ですね、圧迫面接。なんでわざわざ出向いて、圧迫されるのか(笑)。

 

私が面接官として行った面接は、圧迫面接です。すごく圧迫しました。

 

圧迫面接には、ちゃんと意味があります。

「ストレス耐性」を持ち合わせているかを見ています。

 

面接に来てくれたわけだから、それなりに答えは用意はしているだろう。

しからば、その用意をこちらが否定した場合、どういう反応をするか。

 

私の前職の話。

業務の前にたくさん準備していても、いざ業務開始になると計画通りにいかない。

つまり、「思っていたようにならない」が非常に多い仕事でした。

かといって仕事はしなきゃいけないので、秒単位で流れが変わっても、ちゃんと同じ質の結果は出さないといけない。

 

その時に必要なのが、冷静さと、「真っ白にならない力」です。

 

プランA,B,Cみたいに、複数のプランを用意しておくのは当然として。

AもBもCも潰された場合、その場でプランXを作れるかどうかですね。

そのためには、その場で冷静に計算できないといけません。

 

用意したプランが潰されるのは、大きなストレスです。

ましてやそれが全部潰されると、もう頭が真っ白になるのは当然といえば当然でね。

 

でもね、それだけストレスがかかる状況下で冷静さを保てるかも、実力なんですよ。

それをストレス耐性といいます。私たちは、それを持つ人が欲しかった。

 

面接前には、受験者は当然ながら自分なりの面接の筋道みたいなのを想像しています。

こう聞かれたらこう答えて…みたいに、いろいろ考えている。

 

その道筋通りに進めば理想的で、ストレスなく面接が行われるはずですが。

ところが、こっちがわざとその道をズラす。予定外の道筋を与える。

 

その瞬間、固まってしまったり、突然しどろもどろになる受験生は、ストレス耐性が弱いかなと判断します。

ところが、それでも同じ冷静さで続けられる受験生は、ストレス耐性が強いか、あるいは準備したプランが極端に多い。どちらにしても優秀です。

 

ストレス耐性ありとなると、次はどこまでストレスに強いかも見ます。

つまりこちらからの圧迫がどんどん強くなります。まだ壊れないか。これでもか。

 

ストレスに勝ち抜いた受験生は、最後まで攻められて面接を終えることもあります。

攻められ詰められ、面接室を出る。本人は「あー落ちた」と思っている。

部屋に残る我々は、「あの子すごいねー」と言っている。

 

対して途中でぽきっとなった受験生には、その瞬間から終了まで、優しくします。

で、最終的には機嫌よく面接室を出てもらう。

 

このへんはデリケートにしなければいけません。

面接で攻められても、採用を出されて文句を言う受験生はあまりいない。

だから攻めすぎて嫌われて、内定辞退されないようにだけ、気をつければいい。

 

対して、攻めて攻めて不採用を出した場合、後で何を言われるかわからない。

特にこういう時代なので、あそこは俺を散々いじめて落としやがったとかSNSにでも書かれたら、コンプライアンス的にアレなので(笑)。

 

こういう事情を知っていたんでね、自分の面接は自分でその流れがわかります。

例えば自分の転職時の面接の一つは、受けながら結果が見えました。

 

私を入れて3人の受験生でしたが、最初から私にだけ優しい。他には攻める。

あぁもともと俺を採用するつもりがないんだろうなと思いました。

そりゃそうだろうな。採用するつもりがないなら、俺には機嫌よく帰ってもらわないと。

 

終わってからその3人で喋った時、「あなただけ受かるんじゃないですか」と聞かれたけど。

「いや、むしろ逆です。私だけ落ちると思います」と返しました。

案の定、私だけ落ちてました。

 

まぁこんな風にね、採用するつもりはないんだけど、形だけでも面接をしないといけない場合もあるんですよ(笑)。

 

だからね、もしちゃんとした組織の面接で、いろいろ攻められたら。

チャンスだと思いましょう。攻め返すのは違うけど、喜んでいいです。

冷静に爽やかな笑みを浮かべて、思うところでどんどん切り返しましょう。

 

最後にもう一つだけ裏話をするとね。

面接官も、緊張しています。上から目線を装わなければいけませんが、初対面の人の人生を左右してしまうプレッシャーはなかなかすごいです。私も面接しながら、早くお家に帰りたいと思ってました。

 

だから偉そうなおやっさんとか、鋭い目のニーチャンが目の前にいてもですね。

どうせ彼らは必要以上に威圧感を出して座ってるはずですが。

というか、もともと必要以上に威圧感のある人物だから面接官に選ばれているはずですが。

 

あーこのおやっさんもニーチャンも、緊張してるんだろうな。

緊張しながらあんな顔作ってお疲れさまです、と思ってあげてくださいな(笑)。

 

潜在意識の話は、来週も続けます。

 

良き週末をどうぞ(^^)

りょうきです。おはようございます。

 

月曜から急に哲学的な話になりましたがね。でもこれも大切な話。

 

どうしてその大学に行きたいのか。

いろいろ理由はあるだろうけど、きっと非合理的なんです。

でもいいんです。神様じゃないんだから、そもそも合理的である必要もない。

理由の合理性は関係ないから、行きたいなら頑張って勉強すればいい。

 

ところで、例えば医学部みたいに面接試験がある場合。

 

「なぜ本学を受験しているか」は、間違いなく聞かれるでしょうね。

そこは、ある程度ちゃんと答えを用意しとかないとダメだよ。

真相は私の潜在意識にございますとか答えたら、きっと最後です。

 

しかし面接官も、実はそのへんはわかっています。理由を突き詰めたいわけではない。

だから面接をする側は、その理由の合理的整合性を大きく評価するわけではない。

 

私も、前の職場で採用の面接官をやったことがあります。

その際、もちろんですが志望理由みたいなのは聞きました。

その質問を通して、私たちは何を問うていたのか。

 

私たちの場合は、入ってからの努力が担保できるかを、見ていました。

 

その職場は特殊なんでね、入ってから辞める人間が多い職場です。

せっかく入ってもらったのに辞められると、こっちも困るので。

なので、「この人は、入ってからギブアップしないだろうか」を重点的に見ます。

 

かといって、「入ってからギブアップしませんか?」とは聞きません。

だって、大丈夫じゃなくても「大丈夫です」と答えるに決まってる。

 

面接時間は20分ほどですが、その20分でいろいろな質問をします。

それこそ、今日はここまで何で来ましたかとか、昨夜は寝れましたかとか。

しかし、それぞれの回答の論理的整合性は、さほど重要ではありません。

 

だから、こちらの質問に、国語的には完璧に答えたとしても、「入ってから大丈夫か」が見えなかったら、残念ながら採用は出せません。

逆に、国語的にはおかしなやり取りになっても、「入ってから大丈夫か」をこちらが見ることができれば、採用を出します。

 

それが証拠に、私が採用された時の面接を思い出せば、立派なやりとりはしていない。

むしろ国語的には、ちょっとチグハグなやりとりをしたと記憶しています。

 

あー落ちたかなと思っていたら、受かってました。

後で私を面接した教官に聞いてみると、チグハグなやりとりの中に、「こいつは大丈夫だろう」と思わせるカケラみたいなのがいくつかあったらしい。だから採用を出したと。

 

私が面接をする立場になった時も、その教官を真似ました。

つまり質問の答えとしての整合性を追及するんじゃなくて、全体の中で、こっちにヒットするかけらを探す。エピソード的なものだと、わかりやすかったですね。

 

あとは、会話力ってやつですか。

つまり相手に配慮して、言葉のやり取りができるかどうか。間の取り方とか。

相手のペースに会話を合わせられるかです。独りよがりな喋り方だと、ちょっとね。

 

これはどちらかというと、こちらの言葉の使い方と似たような使い方をするかを見ます。

つまり球の投げ合いが、時には外れてもいいから、同じリズムで投げ返してくれるかとか。

意味の整合性はさておき、パッパッと質問と応答が進むかです。会話のリズム。

 

だいたいね、たかが20分そこらで、目の前の人物の本質なんかわからないですよ。

20分でわかることといえば、「我々と似たような空気感か」くらいです。

その判断が、会話のリズム。それがズレてる人は、およそ空気感が合ってない。

 

そこに、先ほどの「組織側が譲れない要素」みたいなものを持ち合わせているかを見る。

その要素が何なのかは、組織によりけりです。

 

ちょっとモヤっとした言い方だけど。

でも、面接はそもそも綺麗に割り切れるものではありません。

 

特に採用を出す場合。

譲れない要素さえ持っていたら、それ以外の採用の根拠はさほど重要ではない。

「空気感が合うから」で十分なのが、正直なところです。

 

対して、不採用の場合は、その根拠がちゃんと必要です。

こういう理由で、不採用ですとちゃんと説明できないといけない。

理由は簡単で、後で本人から理由を求められるとすれば、不採用の時だからです。

採用されておいて、「なぜ私を採用したのか、納得のいく説明を!」はいないから。

 

ということで、志望理由はちゃんと考えつつ、国語的隙のなさはあまり追求しない。

心配しなくても、自分に合ったところの面接ならば、自分に合った質問が来るから。

それもまた、ご縁のひとつの形だと思いますよ。

 

良き一日をどうぞ(^^)

おはようございます。英語の先生の、りょうきです。

 

先週の、大阪大英作文。できましたか。

 

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【問】次の文章を、英語で表現しなさい。

 

 いよいよ神様に召されるその時が来て、この世とのお別れの記念にこれまで愛聴してきた数多の名曲の中からただ一曲を聞きながら死んでゆけるとしたら、どの曲を自分は選ぶだろうか。

 一人私に限らず、時間と共に消えてゆくゆえに美しい音楽の愛好者なら一度はこの問いを自らに発して楽しいような切ないような思いに暫し浸ったことがあるのではないか。

 

熊沢雅晴「最期の一曲」

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前半と後半に分けましょう。まずは前半から。

 

 いよいよ神様に召されるその時が来て、この世とのお別れの記念にこれまで愛聴してきた数多の名曲の中からただ一曲を聞きながら死んでゆけるとしたら、どの曲を自分は選ぶだろうか。

 

これは、単純に訳しにくいだけです。「神様に召される」とか「この世とのお別れの記念に」とか。だから、その日本語の空気感を大切にしながら、訳します。

 

What piece of music will it be to celebrate my departure, should I be granted to choose only one to enjoy then among many masterpieces I’ll have loved when He finally wants me back?

 

…とか、どうでしょう。

 

「神様に召される」は、He wants me back. にしました。文中でどこに出ようとも、「私」のIは常に大文字ですが、「神」を指すとき、文中のどこであっても大文字のHでHeにします。ちなみに、どこでもF大文字のFatherも「神」であり、どこでもM大文字のMotherは「聖母マリア」です。

 

「この世とのお別れの記念に」は、いろいろ考えたんですけどね。celebrate my departure にしました。departureは、「出発」「旅立ち」です。そのお祝い。門出を祝うかんじ。

 

文中のshould I be granted to choose only one は、仮定法を倒置しています。

つまり本来はif I should be granted to choose only oneです。

grantは、「与える」「許す」の意味です。ただ、主語が神様に限るという珍しい動詞です。

だから、基本的には受動態で使います。能動態で、しかもI grant…とかは、やりません。

 

ということで、私の英語を、再び日本語に訳してみると、こんなかんじ↓

 

「私の門出のお祝いは、どの曲になるのだろう。神がいよいよ戻ってこいと言うその時にenjoyするために、その時点でたくさん愛しているであろう名曲たちの中から、一つだけ選ぶことを神に許されたなら?」

 

前半終了。後半に行きます。

 

 一人私に限らず、時間と共に消えてゆくゆえに美しい音楽の愛好者なら一度はこの問いを自らに発して楽しいような切ないような思いに暫し浸ったことがあるのではないか。

 

後半が、勝負です。ここで何か見えないといけません。

見えるべきは、「楽しいような切ないような」の「切ないような」です。

ここにピンとくる。切ない?何が切ないのか?

 

なぜ切ないかのヒントが、ちゃんと書いてあります。

「時間と共に消えてゆくゆえに美しい」です。ここが、最大のヒントです。

 

仮に音楽の価値そのものが、時代で変わるとしても、それは関係ないはずです。

だって自分で好きな曲を選べるので、世間で時代遅れだとされていようが、関係ない。

ところが、完全に自分の好みの話だけをしていいのに、それでも「時間と共に消えてゆく」。

 

ここで、自分に置き換えて考えます。

 

例えばあなたが中学生の時、一番聴いた曲はなんですか。

もう毎日それを聴いて、それを基準にマイベストみたいな編集までしたんじゃないんですか。

 

あるでしょう、そういう曲。どハマりした曲。

 

そのうえでもう一つ聞きますが、当時と同じだけ、今もその曲好きですか。

当時のどハマりと同じテンションで、今日今からその曲を聴けますか。

 

どハマり曲は、というかそのどハマりは、一時的なんです。

その曲を嫌いになったわけじゃないけど、当時のテンションは、今はない。

 

そうやって、その時その時で、どハマりは変わっていくんです。

それが音楽の楽しいところなんですね。音楽にハマるって、そういうことだと。

 

そうすると、これから天に召されるまでの期間で、どんな曲にハマるのかはわからない。

30年後に召されるとして、その時にハマっている曲は、今は見えない。

でもきっと何かにはハマっている。それはそれで楽しみであって、だから「楽しいような」があります。

 

そうすると、例えば今とある曲にハマっているとします。

「これを聞いて死んでいくんだ」と今は思っていても、30年後はわからないでしょう。

ていうか、きっと違う曲だと思います。音楽って、そういうものだから。

 

その時、今のその曲は、おそらく選ばれないんですね。こんなに好きなのに。

 

そう考えると、今こんなに好きでも、その時になると多分選ばれない。

何か切ないですね。寂しいですね。それが「切ないような」です。

 

この感覚が見えたかが、問われています。

「楽しいような切ないような」だけで、以上を全て理解しないといけない。

 

で、それが見えたなら、そのように英語で表現しないといけません。

 

こんなのできました↓

 

Seeking the answer in the self for a while, I am not the only one that should be happy with the one but missing all the rest, for I know the climax of favor has been temporary so that music can be enjoyed.

 

「自身の中で答えを探すと、選ぶ曲にご満悦であろうと同時に、選ばなかった残り全てをmissingしているであろうは、私だけではない。なぜなら、贔屓(ひいき)のclimaxは無常であり、だから音楽はenjoyされることを、私はわかっているから」

 

うちの校長(国語)曰く、「切ない」は「切々な」つまり「切るような」気持ちであると。

 

昔大好きだったぬいぐるみを、ふと今の目線で眺めたときのような。

そしてひょっとしてそれを処分しないといけない時に感じるであろう気持ちのような。

 

想像するだけで、キュッと心が切られるでしょう。それです。

それに近い英語を探すんです。sadは近いけど、ちょっと違う。

私はmissingにしました。「いなくなって、自分の心にぽっかり穴が」みたいな。

他には、hurtとかも近いと思います。要は心がキュッと切られたらいいんです。

 

だからここらへんの英語にこだわっていない解答は、おそらく気づくべきに気づいていない。

したがって、点は下がります。要求していることに答えてないから。

 

日本語通りの英語じゃない、つまり意訳しすぎじゃないかって?

大丈夫です。問題の指示が「訳せ」じゃなくて「英語で表現しなさい」でしょ。

その指示すらも、大きなヒントです。

 

<解答例>

 What piece of music will it be to celebrate my departure, should I be granted to choose only one to enjoy then among many masterpieces I’ll have loved when He finally wants me back?

 Seeking the answer in the self for a while, I am not the only one that should be happy with the one but missing all the rest, for I know the climax of favor has been temporary so that music can be enjoyed.

 

難しいですねぃ(笑)。

 

でも、よく考えさせられます。こうやって、言葉に対する感性は磨かれていく。

 

提出してくれたみなさんは、お疲れ様でした!

 

どうぞ良き一日を(^^)

りょうきです。おはようございます。

 

人間のあらゆる行動の、その根本的理由は見えないもの。

それは他人からも見えないし、自分の目ですら見えない。

 

だから、私が今日やろうとしていることの根源的理由は、実は私には見えてない。

したがって、私の今日の行動のすべては、見えない根源的理由を満たすための手段ばかりであって、それによって私の見えないところで私の最初の望みは満たされている。

 

あああああ難しい(笑)。

 

こんな話があります。

医学部志望のある受験生が、神社に行って「医大に合格しますように」と祈りました。

それを聞いた神様が、その子の願いを叶えることにしました。

その結果、その子は医大ではなく、別な大学の経営学部に合格しました。

その子は悲しんでいるけれど、実は願いは叶っているらしい。どういうこっちゃ。

 

まず、その子がなぜ医大に行きたいと思っていたのか。

下世話だけど、お医者さんになって、高い年収と高い社会的地位を得たいと思っていたからだとします。

 

その場合、「お医者さんになる」は、そのために彼が選んだ手段です。

そして「医大に合格する」は、そのまたそのための手段です。

で、医大に合格するための手段が、また別に発生して…。

 

つまり:

① 高収入と社会的に高い地位が欲しい

② ①のためにお医者さんになりたい

③ ②のために医大に行きたい

④ ③のために数学の成績を上げたいetc.

 

ところが、①が実は本人の潜在意識の中にあるので、本人は自分で①が見えてない。

つまり本人の意識は、「②僕は医者になりたい」以降しか見えていません。だから「僕は医学部に入って医者になるんだ」で頭がいっぱいです。

 

でも、神社の神様には①が見えています。ていうか、神様は①だけを見ます。

で、叶えるとすれば①を叶えます。ということで、神様は①を叶えました。

 

なぜ医学部でなくて経営学部だったのか。試練か何かか。

 

試練の可能性もあるけれど、おそらく違います。

例えばその子の場合、お医者さんの才能よりも経営の才能があった。

だから高収入と高い地位ならば、医学部に進むよりも、経営者になった方がよほど手っ取り早く手に入ります。

そこを計算して、神様はその子の願いを叶える手段として、経営学部を与えたと。

 

それなら医学部を叶えてあげてもよかったじゃないかと思うかもしれません。

 

でもこの子に医学部はダメですね。理由は簡単、人生は限られているからです。

時間の限られた人生だから、最短で、最も合理的に叶える必要があるからです。

 

収入と地位が目標なら、医学部経由だと10年かかって遠回りです。

ところが経営の才能がある子ならば、経営学部経由だと5年で叶う。

 

神の思考は、合理的です。だからこの子の場合、医学部だと時間のムダになる。

 

ただ、本人は納得しないでしょうね(笑)。

そもそも自分の①が見えてないしね。実は高収入と地位が欲しいだけの自分を、自分で見えてない。

だから、経営学部に受かった時、自分の願いが叶わなかったと思ってしまう。

 

ところで別件ですが、この学生のように、人間は非合理的な生き物です。

非合理的なことを、わかっていてもやるのが人間なんですね。つまり何らかの願いを叶えるために、わざわざ遠回りをしがちな生き物です。

 

例えば、人間は宝くじを買います。

要するにお金が欲しい。それが根本的な願望です。

 

お金を手に入れるための合理的手段は、山ほどあるはずです。

働いて、投資して、そしてそのために勉強した方が、はるかにお金は手に入る。

 

なのに、なんだかんだと理由をつけて宝くじを買う。遠回りにお金を手に入れようとする。

数学的に考えれば、「当たりませんよ」くらい明確な解は出ています。でも買う。

開運グッズも買って、運気とか当たる店とか調べて、買う。

 

その開運グッズを買うお金を貯めて、運気やらの勉強をしている間にでも働けば、宝くじに当たる確率の数千万倍の確率で、お金が手に入る。でも買う。非合理的な生き物だ(笑)。

 

人間の行動、特にゴールに向けての道筋は、実はわざわざ遠回りだったりするんですね。その遠回りの道筋というか非合理性に、何かしら魅力を感じてしまうからなんだけど。

ところがね、神の思考は、極めて合理的です。遠回りや非合理性を許さない。

 

①が見えない、非合理的思考の生き物の求めることと

①しか見えない、合理的思考の存在が与えること

 

どっちかが間違ってるわけじゃないんだけどね。

そりゃ時には話もかみ合わんって(笑)。

 

良き一日をどうぞ(^^)

りょうきです。おはようございます。

標準仕様に戻りました。いつも通り。

 

12月に通常授業が終わって以降、冬期講習からの直前講習が続いてますが。

その中で扱った文章に、面白いのがありました。

 

内容を端的に表現すると:

 

「自分の考えていることが、自分で一番わかってない」みたいな。

 

William B. Irvineの、“On Desire: Why We Want What We Want” からです。

もうちょっと掘り下げると、以下の通り。

 

例えば、お寿司を食べようと思ったので、寿司屋に車で向かうとします。

この時、運転している理由は「寿司屋へ行くため」です。

そして、寿司屋へ行く理由は「お寿司を食べたいから」です。

ところが、お寿司を食べたい理由は…ええっと、あれ?食べたいから?

 

もちろん、お寿司を食べたい理由は、ちゃんとあるはずです。

ただ、それは実は自分では見えてない。というか見えない。

 

それこそ、心の奥底からポンと「お寿司食べたい」が出てきたんです。

で、その最初のお望みを達成するために、手段として寿司屋へ向かう、運転をする。

 

このように、人間の行動や望みの最初の理由は、実は自分では見えません。

 

「なぜ勉強しているの?」の答えは、「○大に行きたいから」と、明確に答えられる。

「なぜその大学に行きたいの?」の答えも、とりあえず答えられるでしょう。

 

ところが、「じゃあ、それはなぜ?」を繰り返していくと、どこかで答えに困る。

それが「心の奥底のフタ」に当たった瞬間でしょうね。

答えはあるけれど、それはフタの中の深いところにあるから、ここから先は自分でも届かなくなった。だから急に答えに困った。

これは人間の標準仕様です。誰だって、必ずこうなります。

 

ところが人間は、なんであれ「理由がわからない」を非常に嫌います。

逆に、理由がわかるとすっきりするので、なんでもいいから理由を探す。

 

ましてや「なぜ俺はお寿司を食べたいと思ったのか?」みたいに、自分のことなのに自分でわからないのが、一番嫌だそうです。

 

だから、ウソでもいいからもっともらしい理由をつけて、とにかく納得したい。

 

だからそこで、「最近肉ばっかり食べていて、魚を欲していたから」とか、「昨日テレビで寿司屋の特集があったから」とか、いろんな理由を述べる。

ただ、それは自分でとりあえず納得するための表向きの理由であって、心の奥底からポンと出てきた「お寿司食べたい」の理由とは、きっと別物です。

だって、「テレビで見たから食べたい」ならば、テレビで特集される食べ物すべてに同じ反応をするはずでしょう?なぜお寿司に反応したの?

 

ほらね。人間は、自分に関して自分でも覗けない部分を、自分の中に持っているんだよ。

 

…という話でした。

 

うううううううううむ深い。

 

このね、「自分に関して自分でも見えない部分」のことが、一般的にいうところの潜在意識ってやつですかね。

自分でも覗けない、自分の心の深いところ。

自分で覗ける範囲内の自分の心は、顕在(けんざい)意識と言われますね。

今のところ、人間が自分の潜在意識を正確に覗く手段はなさそうです。

 

潜在意識といえば、スピ系で人気ですね。自分の潜在意識をどうのこうの。

あれらをウソとは言えません。かといって、マコトであるとも言えません。

つまりウソともマコトとも証明できない次元の話だからです。

だから馬鹿にすることはないけれど、鵜呑みにするのも危険かなと思います。

 

ということで聞きますが、皆さんの今朝の朝ごはんは、なぜそれですか。

私はミルクティーですが、紅茶派で、ミルクティーが好きだからです。

好きなものが朝から出ると、嬉しい。

では、私はなぜミルクティーが好きなのか。なぜ朝でないといけないのか。

 

…もうめんどくせぇ、俺。

 

とりあえず、この紅茶はおいしいです。それで十分ではないですか(笑)。

 

良き一日をどうぞ(^^)