りょうきです。おはようございます。

 

メルカリで買ったジャケットをお直しに出して、今で一週間。

あと二週間。待ちますとも。だいぶ自分仕様にアレンジしております。

 

私の根本は、何なんだろう。

つまり、私は何がしたいと思って生きているんだろう。

 

何らかの「〜したい」を抱えて生きていて、私の日々の動作や、時々思いつく望みみたいなものは、すべてその「〜したい」を満たすための手段らしい。

 

例えば、最近私はヤフオクやメルカリをよく覗くんですが。

びっくりするほど程度の良いお洋服が、たくさん出品されています。

 

出品者のコメントを見ると、「買ったけど着る機会がなかったから出品」とか。

買う側としてはありがたいんですけどね。

 

例えばアルマーニのほぼ新品のジャケットを、出品してる人がいるとして。

たぶんね、その人はアルマーニのジャケットが欲しかったわけではないんですよ。

 

その人の根本は、「お買い物をした時の高揚感が欲しい」だったんじゃないかなと。

ところがそれを自分で見えないまま、アルマーニのお店に入った。

ジャケットを買います。ウキウキして、店を出ます。目的が達成されちゃった。

 

ということで、買った後のジャケットを着る必要がなくなってしまった。

だから、買ってすぐにお蔵入りさせてしまう。しばらくして、ヤフオクに出す。

 

ところが、実は「お買い物をした時の高揚感が欲しい」だけの自分に気づかない。

だから、アルマーニを買ったはずが、なんとなく自分の心は満たされない。

そうか、アルマーニじゃなくてグッチだったのかと思う。グッチの店へ行く。

以下ループです。ジャケットだけ、新品のタグ付きで増えていく。

 

自分の根本が見えないのは、誰だってそうなんですが。

アルマーニもグッチも、ただのプランAやBなのに、それを根本だと勘違いするとこうなります。

手段を目的だと思い込んでしまうんですね。だから、いつまでたっても満たされた感がない。

 

異性関係も、こういうことありますよ。

この人だと思ったら、なんか違う。あの人だと思っても、結局違う。

根本は、恋愛のドキドキつまり刺激が欲しいだけだったというオチ。

 

こういう無限ループを断ち切るには、「自分は単に○○がしたいだけじゃないか」と推測することです。

 

アルマーニからグッチへ行こうとする道すがら、「自分は単に買い物の高揚感が欲しいだけじゃないだろうか」。

ある異性から別な異性へ乗り換えようとするとき、「自分は単に恋愛初期の刺激が欲しいだけじゃないだろうか」。

 

その推測が正しいかどうかは証明できないけど、近いものだとなんとなく心に刺さるはずです。

自分で推測して、自分でふっと腑に落ちる。急にグッチに興味がなくなる。

 

これもカルマの一つなんですかね。自分の悪いクセ。

カルマだとして、気づいた時点で8割以上は解決しています。

 

このように、自分の根本は見えないけど、無理矢理にアルマーニが根本だろうとか勘違いすると、エンドレスになります。

だから、自分は根本で何を考えているんだろうってのは、あまり考えても仕方ない。

勘違いして、満たされないループを堂々巡りになるくらいなら、初めから何も考えていない方がよほどマシ、というかリスクが低くて、楽です。

 

「自分探し」という言葉がありますが。

「自分探し」を始める時点で、何かしらのループにはまっている可能性が高い。

つまり自分探しを思い立ったならば、根本を勘違いしているかもしれない。

 

だからインドに行っても自分はいないので、これまでに手に入れては手放してきたアルマーニやグッチを振り返って、「自分は単に買い物の高揚感が欲しかっただけかも」と推測する方が、よほど効果は高いです。

 

人間の思考は、演繹法が基本です。

「中華料理が食べたい」を根本に、「餃子が食べたい」というプランA、「酢豚が食べたい」というプランBとかが出てくる。根本の「中華料理が食べたい」は、自分には見えない。

 

そこをですね、ちょっと逆に考えてみるんです。

 

「餃子が食べたい」というプランAがあって、「酢豚が食べたい」というプランBがあるってことは、もしかして俺の根本は「中華料理が食べたい」ではなかろうか。

 

…みたいに、帰納的に考えてみる。こう考えるとね、意外と根本に近いところまでは行く。

 

「餃子を食べることが、俺の根本だ」と勘違いすると、なぜか餃子を食べても満足しない。

満足しないというか、中華料理の一つを食べて満足しているはずの自分を、自分で否定してしまうんですね。

 

面倒だねぇ(笑)。

 

要するにね、アルマーニのジャケットを買おうが、餃子を食べようが、「これ自体が根本ではないんだろうけど、とりあえずアルマーニor餃子を通して、俺の根本は満たされたはずだ」と考えるんです。

 

そうすると、「満たされたはずだから、これからグッチに行ってもor酢豚を食べても仕方ない」という発想につながる。無限ループに陥らない。

 

つまり「何がどう満たされたのか知らんけど、これで俺は満たされたらしい」みたいな。

 

変な発想だけどね(笑)。

 

でもね、実際にそうなんですよ。

ここで大事なのがね、日頃の運なんです。

 

229講の医学部と経営学部の神社の話。

この子は日頃から頻繁に参拝していたんでしょう。だから叶えてもらえた。

 

日頃から運のいい人は、やはりそうでない人に比べて、いろいろ叶いやすい。

しかし、それを叶ったと認識するかしないかは、本人の頭なんですね。

 

要するに、日頃から運が良ければ、起きる出来事が全て自分にとって運がいいんです。

自分の目にはどう見えても、それは実は運がいい。

自分で見えない自分の根本を、最短距離で叶えるルートなんですよ。

 

よく言いますね、「置かれた場所で、咲きなさい」とか。

あれね、「諦めてそこで咲け」じゃないです。

 

あなたが不運だと思っているだけで、実はあなたの根本を満たす最高の場所に置かれてることを知りなさい、という意味です。

というか、日頃から運を良くしておいて、まっすぐに生きておいて、そのうえであなたが置かれた場所は、絶対に手放しちゃいけないほどお得な場所なんだよ、と。

 

このプランしかないのでは、という妄想と。

このプランじゃないとダメ、という執着と。

 

邪魔じゃないですかねぇ。なんでわざわざそんな遠回りしようとするのさ。

最短距離で、何かが叶えられようとしてるのに。煩悩は、時に人生を狂わせます。

 

仮に目の前の道が腑に落ちなくてもね、決して捨ててはいけない。

あなたのプラン計算よりよほど合理的でよほど効率的にあなたの根本は満たされるから、その道が出てきてくれたんです。

 

心の底から喜ぶには抵抗があるにしても、でも絶対に捨ててはダメです。

後になってわかります。だから頑張っていらっしゃい。

 

 

…ところで。メルカリのジャケットですが。

 

アルマーニじゃないです。とんでもない。

でも美しい服です。中学生のお年玉くらいの値段で買いました。

 

ボタンを付け替えようかなと思ってね。黒の貝ボタンから、イカリの金ボタンに。

いろいろ考えたんですが、制服仕様に落ち着きました。んんん満足に御座候。

 

良き週末をどうぞ(^^)

 

りょうきです。おはようございます。

 

今日は水曜日じゃないんだけど、雑談。

私の前職の話。ちょいちょい前職と書いたので、気になるという声も。

 

私ね、自衛隊にいました。海上自衛隊です。大卒の、幹部候補生で入りました。

 

意外ですか。同期の中でも、制服は似合う方でした。

顔というか見た目は、それっぽいらしいですよ(笑)。

 

外国語大学から、海上自衛隊の一般幹部候補生に、パイロットとして入りました。

海自だけど、船乗りじゃない。だから飛行機に詳しいです。

最近、海自の飛行機が他国の船から狙われましたが。

もしあのまま海自にいたら、あの飛行機を飛ばしていたかもしれません。

レアな職業だとは思いますけど、別にすごくもなんともないです。

 

でも、予備校の先生をやっている期間の方が、すでにはるかに長いです。

したがって、海上自衛官という身分は、私の中ではもう飾りにもなりません。

制服はまだ持っています。官品は返却しますが、納入業者での自前誂えは返却対象ではないので、制服はタンスにゴンと一緒に実家に保管し、制帽はリビングのオブジェになってます。

 

私は、昔からパイロットになりたくて。

航空会社の、旅客機の機長になりたかった。

だから自社養成も航空大も受けました。全部落ちたけどね(笑)。

 

私に残された空への道は、自衛隊くらいしかありませんでした。

だから国防には一切興味がないまま、受かりやすそうな海自を受けたら、受かりました。

 

本当はね、海自でしばらく飛んで、こっそり辞めて、その後どこかの航空会社に入ることを算段していたんですけど。

普通にやめて、この通り塾の先生をやっています。人生は、わからないものです。

 

海自で身につけたことは、塾の先生では役立ちません。目に見える限りではね。

だから面接を受けるときは、履歴書に自衛隊のことを書くのに抵抗が。

もちろん書きます。嘘は書けないので。でも、だからどうだというわけでもない。

 

で、塾の先生をやることになった時。

なんというか、興味なかったですからね。塾の先生には(笑)。

 

でも生徒はそこにいるので、いい加減な仕事するわけにもいかない。

だから、とりあえず与えられたクラスの仕事をちゃんとしてました。

 

最初は、小中学生相手に塾で理科とか国語とか教えてたけど。

それを横目で見ていた別な先生が、君は予備校でやっていけると言ってくれてね。

その先生は、大学受験と掛け持ちされている方だったんですけどね。

本当かなぁと思いながら履歴書を書いて、私は大学受験業界に入りました。

 

その後も同じです。もともと興味も何もないんだけど、でも仕事はしなきゃ。

そうやっているうちに、解答速報で自分の作った答えが新聞に載るくらいになりました。

 

しかし相変わらず、大学受験業界に対して、熱い興味や野望はありません(笑)。

冷静と的確を心がけて仕事をして、終わったらおよそ違うことを考えてます。

 

私は教育屋ではありません。どちらかというと英語屋です。

だから自分の業務の範囲は、比較的わかりやすく線を引いています。

英語屋の範囲はちゃんとするけど、以外の範囲に口出しすることはしません。

 

でも、まずはこれで十分だと思いますね。

英語屋から拡大する必要が出てくれば、その時にまたちゃんとすればいいだけなので。

 

ジョルジオ・アルマーニというイタリアのデザイナーがいて。

ミラノ大学医学部から、デザイナーになったという異色の経歴ですが。

曰く「私は医学を学んでいたが、このように洋服を作っている。これも、私の人類との関わり方の一つということさ」と。

 

たまたま私は英語屋ですが、何屋さんでも同じです。

保険屋でも、ラーメン屋でも、車屋でも、○○屋の「○○」を通して、誰かの役に立てばいいんです。それが社会からのあなたへの注文、つまり養老先生の仰る「穴」です。

 

それが証拠に、立派なこだわりがあっても、美味しくないラーメン屋は潰れます。

頑固な店主のこだわりなんてなくとも、美味しいラーメン屋は繁盛します。

こだわりの有無ではなく、社会が求めているのは味だからです。

 

私は日本中の英語教育を変えてやろうとか、思ってません。

日本の教育に物申すこともしません。ただ、地味に授業するだけ。

でもね、それだけでも影響されてくれる生徒は十分に多いんですよ。

 

結局ね、予備校の先生というのは、私の中のプランBなのかなと。

プランAがパイロットだったけど、Bに変更になって今に至る。

で、そのAだかBだかその他だか、全ては私の中の何かしら「根本」を満たすための手段であるはずです。つまりパイロットのりょうきも正解で、今のりょうきも正解なんでしょう。

 

しかしその「根本」は、悲しいかな自分では見えないんだけど(笑)。

 

良き一日をどうぞ(^^)

りょうきです。おはようございます。

 

いきなりなんですが、「バカの壁」という本、知ってますか。

養老孟司先生の書かれた、エッセイですね。以降「壁」シリーズになってます。

その「バカの壁」だったか「超バカの壁」だったか。面白いことが書いてあって。

 

養老先生は、東大医学部の解剖学の教授を長年務められました。

そのご自身の「解剖学者」という存在についてです。概ね以下の通り:

 

なぜ私がこんなに辛気臭い仕事をしているのか。幼い頃からの夢でもない。

ただ、大学院を出た時、私の目の前には解剖学という「穴」があった。

仕事というのは、社会という平原に空いた「穴」だと思う。

放っておくと後から来る人が落ちて危ないから、とにかく目の前の穴を埋める。

それが社会のお役に立つということであって、私の場合はたまたま出たところにあった穴が、解剖学だったのだ。

ということで、辛気臭いなぁと思いながらも、真面目にその穴を埋めた。で、今の私がある。

 

私ね、この発想は鳥肌が立つほどかっこいいと思っています。

 

事実、私の読み損ないでなければ、養老先生が医学部に入られた理由も、大学院に入られた理由も、「世界の人々を助ける!」とか「女にモテる!」とかじゃなかったと思います。

もうちょっと、なんというか、地味な理由でしたかね。気になる方は、書籍をどうぞ(笑)。

 

私が養老先生を好きなのは、あまり熱いテンションにあらずとも、目の前のお仕事を真面目に、ちゃんと、しかも高いクオリティでなさることです。

そうやって、周囲からの信頼を得ていく。新しい仕事もやってくる。

 

かといって、ちゃんと自分の軸みたいなのは持っていて、言うべき場面では自分の意見をしっかりと言う。学者としての鋼の筋が、すごくかっこいい。

 

誤解を恐れずに言えば、養老先生は、昨日の投稿で言うところの「やりたいことが見つからない」に近いのかなと。

少なくとも、ご本人の「社会の穴」の発想は、本当にそれだと思います。

 

先ほどの続きは以下のとおり:

 

目の前にあった穴が気に入らないという連中は、どこかに自分に合った穴があると思っている。

自分に合った穴とかはなく、他の穴はいわば「他の誰かが埋めるためにある穴」である。

そこを見ないで、この穴も違う、あの穴も違うと繰り返す。どの穴も永久に埋まらない。

 

あるいは、人物が変わって斎藤一人さん曰く:

 

子供に将来の夢を見つけさせるよりね、「こうしなさい」って言われたら「はいっ」て返事して、ちゃんと最後までやるっていう習慣をつけさせたほうがいいんだよ。

人様に言われたこと、頼まれたことを、「はいっ」て引き受けて、それを途中で投げ出さないクセをつけないとダメなんだな。

なんでかっていうとね、そうやって育った子は、大きくなったら仕事の方からやってくるんだよ。どんどん仕事を任されるようになって、どこだろうと絶対に捨てられない存在になるんだよね。

 

…以上を社畜と言うなかれ。

 

本当に搾取するタイプの悪徳上司は、搾取する相手を実は慎重に選びます。

つまり誰を搾取すると自分が損をするかを、よく分かっています。

以上のような人物を搾取したら、搾取した自分が悪者になるので、こういう人物には悪徳上司であるほど近づけません。

 

搾取する対象としては、そうですね、やる気がないのにやる気があるように見せる社員ですね。

全部バレてます。だから狙って搾取します。

このようなハンパ社員の「根本」は、「上司に好かれること」です。「仕事をやり遂げること」ではありません。

だから、悪徳上司は「可愛がってるふり」を餌にすれば、ハンパ社員を釣るのは簡単です。

したがって、本当に仕事をしてほしい場合は、「仕事をやり遂げること」が根本な社員を選びます。

 

つまりハンパ社員には悪徳上司が寄り、地味でもちゃんとした社員にはちゃんとした上司が付き、頑固社員は頑固上司とくっつく。

私は社会人歴が何十年というわけではありませんが、働いた先を思い起こせば、どこもこういう構図が見えた気がします。

 

意外といいことばっかりでしょう。「目の前のことを、真面目にやるだけ」って。

 

その上で、時期が来ればそういう人から順番に、誰かの上に立っていく。

人を引っ張る立場になっていく人物になるべく、周囲に育てられたからです。

 

ということでですね、もしも周囲の子がやりたいことや野望に溢れて勉強していて。

対してあなたは特にやりたいことが見えずにお悩みなら。

 

きっとあなたはやりたいことを見つけて頑張るタイプじゃないんですよ。

養老先生や一人さんのような、そういうタイプなんじゃないですか。

 

それ、むしろチャンスですよ。しかも最短距離の。

だから安心して、目の前の問題集おやりなさい(笑)。

 

良き一日をどうぞ(^^)

りょうきです。おはようございます。

 

タイトルの通り。こういうお悩みも多いですね。

やりたいことを見つけましょう、とよく言われますが。

 

それは必ずしも必要ないと、私は思っています。

 

まず、昨日までの通り、やりたいことの「根本」は、決して見えない。

だからそれを探しましょうというのは、物理的に不可能かなと。

 

そうすると、いわゆる「やりたいことを見つけましょう」は、つまりプランAとかBとかを見つけろという意味なんでしょうかね。

 

確かに、プランAやBが設定できていれば、努力はしやすいです。

志望校が決まっていれば、勉強もしやすい。

 

かといって、例えば昨日の「三井物産に入るために、東大に入る」の話。

 

妙な話ですが、「三井物産に入るために」を自分で見えていないとすると。

「東大に入る」が、「根本」だと勘違いしてしまう懸念がありますね。

 

これはなかなか強力な勘違いのようで、東大に対して極端な執着を生みます。

それこそ東大に落ちると、人生が終わったかのような気分になる。

実はプランが変わっただけで、自分で見えない「根本」は影響ないのにね。

 

こういう理由があるので、「やりたいことを見つけなさい」は、時に危険です。

 

やりたいことを「見つける」時点で、きっとそれは「根本」じゃない。

なぜなら、根本はいつまでたっても見えないはずだから、「見つかる」ことがおかしい。

 

ということで、私は「やりたいことを見つけましょう」は、ちょっとね。

 

じゃ、いわゆる「やりたいことが見つからない」でお悩みの子は、どうすべきなのか。

 

どうもしなくていいんじゃないですかね。

少なくとも、それを探すこと自体が、時間の無駄です。

 

その代わり、昨日の話。ご縁があるものは、自然と選択肢になるというね。

根本やプランAが見えずとも、「やるべきこと」は目の前に出てくるはずです。

それは、用事もないのに目の前に出てきているわけではないんですよ。

 

それこそ目の前のテキスト、明日の予習、こないだの模試の復習。

 

それらはね、あなたが自分でも見えない「根本」に向かう、道筋なんですよ。

どんな根本があるのかを知ることはできないけど、道は目の前にある。

それをね、先が見えないから進まないというのは、贅沢でしょう?

 

こういう場合は、私はむしろラッキーかなと思っています。

だって、自分の勝手な想像で作ったプランを介せず、道だけがある。

何も考えずにそれを進めていけば、行くべきところには行くはずです。

 

むしろ自分で勝手に遠回りなプランを作って、途中でうまくいかなくなって泣くよりも、よほど楽に進めるというものじゃないですかね。

 

この歳になって思うのはね、「必ずこうなるんだ」「絶対に○○になってやる」という意気込みも大切なんですが、それは必要条件ではなさそうだということです。

それが証拠に、特にそういう希望や野望みたいなのはなくとも、目の前に与えられた仕事や課題をちゃんとこなしていく人物の方が、圧倒的に成長も出世も早い。素直さってやつです。

 

さらに興味深いことに、そういう経路で特定の職やポジションについた人物ほど、その職やポジションに適任だったりするんです。すごくいい上司になったりする。

もちろん、やる気がないわけではありません。

与えられたものは、責任を持って必ずこなす性格であることが条件です。

 

こういう「責任感のある、柔軟な人」は、集団の中ではすごく素敵で、一番評価されますよ。

逆に、「俺は○○でなければならん」という発想に固執すると、一歩間違うとただの頑固野郎です。

 

・「やりたいことがないから、宿題やらない」

→ 0点。根本には一生届かない。

・「やりたいことはわからないけど、とりあえず宿題やろう」

→ 100点。根本まで最短距離。

・「俺はこうなりたいから、そのために宿題やろう」

→ 50点。根本まで回り道をしている可能性大。

 

0点であっても、「とりあえず宿題やろう」の一つだけで、一気に100点になります。

 

だからね、やりたいこととか、必ずしも見えなくていい。

仮に見えたところで、どうせ遠回りなプランの一つであって、根本ではない。

その代わり、作業みたいに目の前のことやってごらんなさい。

そうするだけで、きっとあなたは「根本」に一番乗りできるから(笑)。

 

良き一日をどうぞ(^^)

 

おはようございます。りょうきです。

 

先週の後半はややズレて面接の話になっちゃったけど。

まぁそういう時期なのでね。ああいった話も必要かなと。

 

…ところで、なんとなく御察しの方もいるかもしれませんが。

 

当ブログの運の話は、実はもう終わりが近いです。つまり最終講が近い。

最後の最後は、運やら気やらのその先で、自分と向き合わないといけません。

 

あ、運の話が終わっても、ブログを終えるつもりはないですよ。

コメントやらメッセージやらを頂くのが楽しみなのと、毎日文章を書く日々を実に1年も続けたら、ある日を境に何も書かなくなるのは、逆に難しい(笑)。

 

せっかく何十万字も書いたブログなのでね、十分に愛着もあって。

なので、今後も少しずつ育てていく所存に御座候(^^)

 

次の方向性は、何にしましょうね。毎日ではないとして、もっと普通のブログ的な。

お料理とか。英語とか。引き出しは比較的多い男かと思うので。

 

閑話休題。自分の中にある、自分では見えない宇宙の話。

 

自分の中の宇宙で、なんらかの事情で「〜したい」が発生した。

それを満足させるための手段は、例えばこれとこれと。

ただ、その手段が最も合理的な手段かどうかは、また別問題。

で、医学部じゃなくて経営学部に合格した子のたとえ話でした。

 

このように人間は、非常に回り道で、非合理的な生き物であることよ。

だから人間は時に苦しみ、しかしその苦しみから学ぶこともできる。

かくも矛盾でいっぱいの、ところが面白い生き物かな。

 

この時期なのでね、生徒はみんな志望校も決め、願書はすでに出しています。

思いもよらないところに出願することになった子も、いるものです。

 

でもね、仮に斜め上の学校に出願することになったとしてもですね。

それはきっと勝っても負けてもないんじゃないですか。

 

自分で見えない「〜したい」が、最初にあってさ。

それを満足させる手段で、例えばプランAとして、あなたはA大に行きたかった。

 

ところがそれを満足させるためには、そもそもプランBもCもあるんです。

その上で、自分としてはプランAが良かったんでしょうが、それはあなたの都合による計算にすぎないわけでね。本当にプランAが最上で最短である保証はないんですよ。

 

そこに、受験という土俵と点数という条件で、AからCに変更になった。

もしここで落ち込むならば、それは当初の「〜したい」が満足させられないんじゃないかという不安で落ち込んでいるということでもあります。

 

136講の話、覚えてますか。

 

目の前の彼女と別れるのが極端に怖い場合、自分は何に怖がってるのか。

結局、根本は「結婚したい」とか、そういうもののはずです。自分で見えてないけど。

 

その「結婚したい」を満たすために、あなたはプランAとしてその子を設定している。

つまりAさんと別れると、「結婚したい」が満たされないんじゃないかと恐れている。

 

A以外に女性はいない、みたいな視野狭窄になっているんでしょうね。

つまりAとじゃないと、自分の幸せは実現できないと考える。これを妄想といいます。

ゆえにAを離すことは幸せを離すことだと考え、Aを離さない。これを執着といいます。

 

どちらも、煩悩です。つまり自分で自分を苦しめている。

 

そしてその原因が、自分の無知です。いろいろと知らないから、煩悩になっている。

 

例えば、A以外にBもCもDもいることを知れば、「A以外に女性はいない」はウソだとわかります。

それに、Aは何かを満たすための手段の一つにすぎないと知れば、「AだろうがBだろうが、要するに最初の条件を満たせればいい」という発想になります。

 

もっと端的に言えば、「ゆくゆくは三井物産に入るために、東大に入る」と思っていたけど、X大に入ってしまった。

ところが、就活で三井物産に内定がもらえた。この時あなたは、X大の4年間を嘆きますか。

 

東大じゃないと三井物産には入れないと、あなたが勝手に思っていただけです。

しかし現実として、X大から入れた。東大以外から入れることを、あなたが知らなかっただけ。

 

で、三井物産に入れて満足しませんか。むしろラッキーとか、思いませんか。

要するに、根本は「三井物産に入る」を望んでいたと。それをプランAの東大から、プランXのX大で、目的を達成した。

 

結局ね、大学は大事ですが、何かに向かっての数あるルートの一つです。

だからご心配なく。ちゃんと勉強した結果で、ちゃんと考えて選んだなら、どこだろうとあなたの根本は満たせますので。

 

それにね、AだろうがBだろうがXだろうが、選択肢にある時点でご縁なんですよ。

本当にご縁がないなら、そもそも選択肢に入らないはずです。

 

大学じゃなくても同じです。人間だって、就職先だってそう。

「根本」に辿り着かない選択肢は、そもそも選択肢自体が発生しません。

だから何であろうと、発生した選択肢は、すべて「根本」へのチャンスです。

 

ただね、その肝心の「根本」を自分で見えないのがちょっとね。

そのもどかしさは、私も同意します(笑)。

 

良き一日をどうぞ(^^)