りょうきです。おはようございます。
メルカリで買ったジャケットをお直しに出して、今で一週間。
あと二週間。待ちますとも。だいぶ自分仕様にアレンジしております。
私の根本は、何なんだろう。
つまり、私は何がしたいと思って生きているんだろう。
何らかの「〜したい」を抱えて生きていて、私の日々の動作や、時々思いつく望みみたいなものは、すべてその「〜したい」を満たすための手段らしい。
例えば、最近私はヤフオクやメルカリをよく覗くんですが。
びっくりするほど程度の良いお洋服が、たくさん出品されています。
出品者のコメントを見ると、「買ったけど着る機会がなかったから出品」とか。
買う側としてはありがたいんですけどね。
例えばアルマーニのほぼ新品のジャケットを、出品してる人がいるとして。
たぶんね、その人はアルマーニのジャケットが欲しかったわけではないんですよ。
その人の根本は、「お買い物をした時の高揚感が欲しい」だったんじゃないかなと。
ところがそれを自分で見えないまま、アルマーニのお店に入った。
ジャケットを買います。ウキウキして、店を出ます。目的が達成されちゃった。
ということで、買った後のジャケットを着る必要がなくなってしまった。
だから、買ってすぐにお蔵入りさせてしまう。しばらくして、ヤフオクに出す。
ところが、実は「お買い物をした時の高揚感が欲しい」だけの自分に気づかない。
だから、アルマーニを買ったはずが、なんとなく自分の心は満たされない。
そうか、アルマーニじゃなくてグッチだったのかと思う。グッチの店へ行く。
以下ループです。ジャケットだけ、新品のタグ付きで増えていく。
自分の根本が見えないのは、誰だってそうなんですが。
アルマーニもグッチも、ただのプランAやBなのに、それを根本だと勘違いするとこうなります。
手段を目的だと思い込んでしまうんですね。だから、いつまでたっても満たされた感がない。
異性関係も、こういうことありますよ。
この人だと思ったら、なんか違う。あの人だと思っても、結局違う。
根本は、恋愛のドキドキつまり刺激が欲しいだけだったというオチ。
こういう無限ループを断ち切るには、「自分は単に○○がしたいだけじゃないか」と推測することです。
アルマーニからグッチへ行こうとする道すがら、「自分は単に買い物の高揚感が欲しいだけじゃないだろうか」。
ある異性から別な異性へ乗り換えようとするとき、「自分は単に恋愛初期の刺激が欲しいだけじゃないだろうか」。
その推測が正しいかどうかは証明できないけど、近いものだとなんとなく心に刺さるはずです。
自分で推測して、自分でふっと腑に落ちる。急にグッチに興味がなくなる。
これもカルマの一つなんですかね。自分の悪いクセ。
カルマだとして、気づいた時点で8割以上は解決しています。
このように、自分の根本は見えないけど、無理矢理にアルマーニが根本だろうとか勘違いすると、エンドレスになります。
だから、自分は根本で何を考えているんだろうってのは、あまり考えても仕方ない。
勘違いして、満たされないループを堂々巡りになるくらいなら、初めから何も考えていない方がよほどマシ、というかリスクが低くて、楽です。
「自分探し」という言葉がありますが。
「自分探し」を始める時点で、何かしらのループにはまっている可能性が高い。
つまり自分探しを思い立ったならば、根本を勘違いしているかもしれない。
だからインドに行っても自分はいないので、これまでに手に入れては手放してきたアルマーニやグッチを振り返って、「自分は単に買い物の高揚感が欲しかっただけかも」と推測する方が、よほど効果は高いです。
人間の思考は、演繹法が基本です。
「中華料理が食べたい」を根本に、「餃子が食べたい」というプランA、「酢豚が食べたい」というプランBとかが出てくる。根本の「中華料理が食べたい」は、自分には見えない。
そこをですね、ちょっと逆に考えてみるんです。
「餃子が食べたい」というプランAがあって、「酢豚が食べたい」というプランBがあるってことは、もしかして俺の根本は「中華料理が食べたい」ではなかろうか。
…みたいに、帰納的に考えてみる。こう考えるとね、意外と根本に近いところまでは行く。
「餃子を食べることが、俺の根本だ」と勘違いすると、なぜか餃子を食べても満足しない。
満足しないというか、中華料理の一つを食べて満足しているはずの自分を、自分で否定してしまうんですね。
面倒だねぇ(笑)。
要するにね、アルマーニのジャケットを買おうが、餃子を食べようが、「これ自体が根本ではないんだろうけど、とりあえずアルマーニor餃子を通して、俺の根本は満たされたはずだ」と考えるんです。
そうすると、「満たされたはずだから、これからグッチに行ってもor酢豚を食べても仕方ない」という発想につながる。無限ループに陥らない。
つまり「何がどう満たされたのか知らんけど、これで俺は満たされたらしい」みたいな。
変な発想だけどね(笑)。
でもね、実際にそうなんですよ。
ここで大事なのがね、日頃の運なんです。
第229講の医学部と経営学部の神社の話。
この子は日頃から頻繁に参拝していたんでしょう。だから叶えてもらえた。
日頃から運のいい人は、やはりそうでない人に比べて、いろいろ叶いやすい。
しかし、それを叶ったと認識するかしないかは、本人の頭なんですね。
要するに、日頃から運が良ければ、起きる出来事が全て自分にとって運がいいんです。
自分の目にはどう見えても、それは実は運がいい。
自分で見えない自分の根本を、最短距離で叶えるルートなんですよ。
よく言いますね、「置かれた場所で、咲きなさい」とか。
あれね、「諦めてそこで咲け」じゃないです。
あなたが不運だと思っているだけで、実はあなたの根本を満たす最高の場所に置かれてることを知りなさい、という意味です。
というか、日頃から運を良くしておいて、まっすぐに生きておいて、そのうえであなたが置かれた場所は、絶対に手放しちゃいけないほどお得な場所なんだよ、と。
このプランしかないのでは、という妄想と。
このプランじゃないとダメ、という執着と。
邪魔じゃないですかねぇ。なんでわざわざそんな遠回りしようとするのさ。
最短距離で、何かが叶えられようとしてるのに。煩悩は、時に人生を狂わせます。
仮に目の前の道が腑に落ちなくてもね、決して捨ててはいけない。
あなたのプラン計算よりよほど合理的でよほど効率的にあなたの根本は満たされるから、その道が出てきてくれたんです。
心の底から喜ぶには抵抗があるにしても、でも絶対に捨ててはダメです。
後になってわかります。だから頑張っていらっしゃい。
…ところで。メルカリのジャケットですが。
アルマーニじゃないです。とんでもない。
でも美しい服です。中学生のお年玉くらいの値段で買いました。
ボタンを付け替えようかなと思ってね。黒の貝ボタンから、イカリの金ボタンに。
いろいろ考えたんですが、制服仕様に落ち着きました。んんん満足に御座候。
良き週末をどうぞ(^^)