色々な事柄に対し、疑問に思うことはよくあります。
自分に専門の知識が無ければ、その道のプロなり、有識者の言われるままに従うことが普通です。
ましてや、葬儀などの行事や作法などは、
一般大衆、凡人は教えていただかないと解らないことばかりです。
しかしながら、何が正しいのかそうでないかは宗旨宗派によっても、僧侶の人間性によっても違いますし、本当のことは完全にはわかりません。
人によって言われることが違うからです。
何故なら…
人間は因縁業障を持つ身、顔が違うように
過去世のしてきた行いが違います。
善いこともしますが悪いこともします。
誤り、間違いも犯します。
癖や性格も千差万別…
悟り方も違います。10聞いて1しか悟れない人、1聞いて10悟れる人様々です。
仏さまに近い魂の人もありますが、遠~い魂の人もあり幅が広いです。
。
真実を見抜く力がある人も無い人も…
人間の魂は完全ではないということです。
ですから、この宇宙を司る神仏に勝る人間など誰一人としてありません。
一方仏さまは完全無欠です。
その時代その時代に、世を救い、人を救い助け幸せにする、魂を教化育成するために出現される仏さまの名前は変わります。
正式名称は名前の後に、○○如来・應供・正偏知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・佛・世尊と名付けられています。
如来ニョライとは…
真如(根本的な真理)から来た人という意味で、真如を体現した人
應供オウグとは…
供養を受けるに相応しい人という意味で、あらゆる意味で尊敬に値する人
正偏知ショウヘンチとは…
この世にあまねくゆきわたる正しい智慧を備えた人
明行足ミョウギョウソクとは…
明は智慧、行は実践で、それが満ち足りている人
善逝ゼンゼイとは…
迷いを善く(完全に)逝った(除きさった)人
世間解セケンゲとは…
それぞれの人が抱え持つ境遇
(世間)を、はっきりと見分けて理解する智慧の持ち主
無上士ムジョウジとは…
この上もなく立派(無上)な人格者
調御丈夫ジョウゴジョウブとは…
上手な調教師が動物をよく馴らすように、どんな人でも上手に教化して仏道に導ける人
天人師テンニンシとは…
天人と人間の導師
佛ブツとは…
悟った人
世尊セソンとは…
世の中で尊重される人
私たちの知っている実在されたとされる仏さまは、三千年昔の釈迦牟尼世尊、お釈迦さまであります。
正しくは、
『久遠實成大恩教主釈迦牟尼世尊』
~クオンジツジョウダイオンキョウシュシャカムニセソン~
久遠の仏、本仏は永遠の命、魂であるので、必要な時代、時代に姿形を変え、名前を変え、衆生の魂を教化育成、済度する為に世の中に出現されると言われます。
仏の位は魂の最高位(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上<六道輪廻>、聲聞“ショウモン”、縁覚“エンガク”、菩薩、仏)であるので、仏の教えは完全無欠です。
人を救い、助け、幸せにする…
業障深き者に仏の心大慈大悲を与え、備わるように、成仏できるように、教化育成されるのが仏さまの教えです。
このように、本当の人間の師と言えるものは、仏そして仏の説き残された経典なのであります。
いくら時代が変わろうとも、人の道(仏の道)が説いてありますし、今の時代に生きる者に十分通用します。
むしろ悪世末法に生きる人間には必要不可欠な教えであると思いますね…
しかしながら、仏さまが滅度された後の時代は、だんだんと伝えられ方が曲がっていきます。
正法ショウホウとは…
正しい佛の教法または言葉、
ある佛が入滅された後、その遺法が、正しく伝承される期間で、正法千年といわれます。
像法ゾウホウとは…
正法の後、正法の形骸のみが伝承される期間で、像法千年といわれます。
末法マッポウとは…
最後の時であり、佛の正しい教法が破壊さるべき時期で、末法万年といわれます。
今は悪世末法の加速した時代…
仏さまの教えを悟り実践すれば、皆幸せになれるというのに、仏教と言えど宗旨宗派があり、葬式仏教になっています。
また、新興宗教が乱立、はびこり、仏さまの教えが人間によって都合よく、曲がってきています。
使われる経典もバラバラで、いまだに方便の教えが真実の教えを押しのけている寺院も多々あります。
数々ある仏の教えの中でも、法華経のみが仏の真実の教えであると見抜かれた、鎌倉時代の僧侶日蓮大聖人が、日本で初めて法華経を広められました。
真実を広めるとしても、その時代にはまだまだ受け入れられず、何回にも渡る命を狙われる大きな法難、小さな法難は数知れず…
命がけで法華経を広められ、弟子を育成され、そのお陰で今生きる私たちの元にも法華経を手にすることができるのですね…
以前にNHKの番組でたまたま見ましたが、日蓮大聖人の遺志を受け継いだ後の世の弟子たちが、法華経を広めるにあたり、別の宗派の僧侶たちに仏の教えの真実は法華経にあるんだ…一般大衆を救えるのはこの法華経のみであるんだ…と法論の末、改宗されたお寺がたくさんあったようです。
今のお寺では考えられないことです。
日蓮大聖人が『立正安国論』の中に述べておられましたが、
……寺社が多く僧侶が多くても、釈尊の真実を失っていれば意味はないのである。
念仏の法然の徳が高く人々に尊敬されていようと、仏法を広める者は本仏の心に従って広めねばならない。
その心に背くならば、世俗的に立派でも説くことは正しいとはいえない…
私の実家は真言宗、“南無大師遍上金剛”を唱えられます。
嫁ぎ先は天台宗、当初は法華経であったのに、今は念仏の“南無阿弥陀佛”を唱えられます。
先祖供養といえば、簡単な般若心経のみ朝夕のお勤めをされる家も多いでしょう…
法華経の中に…四十余年未だ真実をあらわさず…と説かれている箇所があります。
お釈迦さまは数々教えを説かれてきましたが、四十余年説いてきた教えは方便の教えであって、これから説く法華経こそが真実の教えであると…
いまだに念仏が日本の寺院の大多数を占めていますが、簡単に例えると、お経の段階でいえば小学校レベル…
法華経は大学院レベル…
法華経を学び、悟り、実践することは難解難入、とても難しいことですが、ご先祖さまのご供養としては最高最上の経典なのであります。
自分がおかげをもらいたい…
家族一同守ってもらいたい…
悩みから逃れたい、解決したい…が為にご先祖にお願いをすることは、所詮我が身供養と同じです。
このブログで縁があった“自由詩人松尾多聞”先生も法華経の真実をよく記事にされています。
また一度覗いてみて下さいね…
続く……