昨日は、二人の父に対して自分の思いを自分に問うてみました。
82歳になる実家の父は、狭心症の治療の為先月から入院中です。
心臓カテーテルの検査があり、後に年末バルーンの治療が2回予定されていましたが、1回目は医師の体調不良の為、2回目は機械の不良の為、2回とも延期になり年を越しました。
昨日、経皮的冠動脈形成術という、バルーンの治療を予定通り2時間半で行われました。
無事終了したと家族からメールはもらっていました。
一方88歳になる舅ですが、4年半前に脳梗塞を患い、言語障害、嚥下障害などの後遺症を持ち、要介護4の状態で在宅介護中です。
肺気腫の持病も有り、常に痰は絡み、ひとりで歩行するには危なっかしく、オムツ、食事、歩行全てにおいて周囲の介助、保護がなければひとりでは生活できない状態です。
そんな舅ですが、年末年始から熱が続き、食事も少ししか受けつけず、弱っていた状態で様子を見ていましたが、昨日夜勤明けの娘が病院に連れて行ってくれました。
私は一日用事で外出していましたが、娘からのメールで、「おじいちゃん肺炎かもしれない…。まだ検査中だけど、今日はとりあえず入院になる…」とのことでした。
書類の記入や色々な検査が長くかかり、ずっと付き添ってくれていました。
夕方帰宅してから病院に走り、観察室に横たわっていた舅を見ると、赤いホッペをし、手には大きな手袋をはめられ、管をつけられて、不自由な手袋が気持ち悪いのかのか、聞き取れない声で「おーいおーい」と叫んでいました。
娘と交代し、舅の傍で背中を撫でたり、声をかけたりして暫くおりましたが、年老いてから苦しい状態で長患いしてかろうじて生きている舅の顔を見ると、哀れでなりません。
自分が受ける苦悩というものは、自分の前世、過去世においてしてきた悪の行為の因果によって受けなければならないものです。前世と今世積んできた悪の行いによって報いがくるわけです。
私たち人間は生まれる前から皆、多かれ少なかれ因縁業障という目には見えない重い荷物を自分が作り、それを背負って生まれてきます。
舅は今世も家族を含め、親戚知人多くの人に迷惑をかけて生きてきた実相があります。
大きな声を出し、威圧感のある傲慢な人ではありませんが、むしろおとなしく気弱なお人好しですね。
浅はかな知恵で借金を重ね、口先だけは上手ですが、不誠実な態度で周りの者にどれだけ不快な情けない思いをさせてきたか…
私も嫁いできてからどれだけ嫌な思いをし、実家の親に心配かけてきたかわかりません。
口調もきつく、言いたいこと何度も吐き出したことあります。
色んな思いを抱きながらも、借金の肩代わりもしてきました。
続く…