戦後教育、捏造、偏向テレビ、新聞マスコミから影響を受けて植え付けられた大東亜戦争自虐史観から解かれたのは、私の場合、20代の頃に目に触れた英霊の遺された一編のメッセージからです。
天皇陛下、神仏から護られている日本という国に生を受けるということは、奇跡の繰り返しであり、選ばれた者にあります。
誇り高き先人たちの崇高な精神には程遠い自分たちではあります。
ともすれば難しい人間関係の中で、日頃の日常生活において愚痴不平不満を言うだけでなく、ちょっとしたことですぐに腹を立てるだけでなく、禅定な広い心を持ちたいものです。
また与えられた自由の中で、国や社会や他人から恩恵を受けるばかりでなく、自分以外の人のために、自分たちには何ができるか…
そして、限られた命の中で、後の世に生きる者たちのために何かしなければいけないことがあるはずです…
市丸中将が、最後の突撃攻撃を行って散華されたのは、1945年3月26日です。
その9日前の3月17日…
中将は地下20メートルの洞窟に、動けるものを全員集めました。
そして副官である間瀬中佐が、一歩前に出て、「ルーズベルトニ与フル書」を読み上げました。
朗読が済むと、この書の和文の方を、通信将校の村上大尉が腹に巻きつけ、英文のものは航戦参謀の赤田中佐が身に付けました。
そして市丸中将は、栗林中将と共に軍服にある一切の肩章を外し、ひとりの皇国臣民
として最後の突撃を行い、散華されています。
「ルーズベルトニ与フル書」は、アメリカ海兵隊員の手で二人の遺体から発見されました。
市丸中将は自らの死を目前として、たとえ硫黄島が奪われ我が身が土に還ったとしても、人が人として生きることの大切さをこの「書」にしたためることで、死して尚日本の描いた壮大な理想、悠久の大義のために戦い続けようとしたのではないでしょうか…
……………………………………………………………………………
『十二月八日』
記憶せよ、十二月八日。
この日世界の歴史改まる。
アングロサクソンの主権、
この日東亜の陸と海に否定さる。
否定するものは彼らのジャパン、
眇「びょう(小さな)」たる東海の国にして、
また神の国なる日本なり。
そ(アングロサクソン)を治「なお(修正)」しめたまふ明津御神「あきつみかみ(人の姿になった神)」なり。
世界の富を壟断「ろうだん(利益独占)」するもの、強豪米英一族の力、我らの国に於いて否定さる。
我らの否定は義による。
東亜を東亜にかヘせといふのみ。
彼らの搾取に隣邦「りんぽう(隣国東亜)」ことごとく痩せたり。
われらまさにその爪牙(そうが)を砕かんとす。
われら自ら力を養ひてひとたび起つ。
老若男女みな兵なり。
大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
世界の歴史を両断する、
十二月八日を記憶せよ。
(高村光太郎59歳の悲愴詩)
……………………………………………………………………………
《ラダビノード・パール博士
極東国際軍事裁判(所謂東京裁判)インド代表判事の言葉》
『子孫のため、歴史を明確に正せ』
「日本人はこの裁判の正体を正しく批判し、彼らの戦時謀略にごまかされてはならぬ。
日本が過去の戦争において、国際法上の罪を犯したという錯覚におちいることは、民族自尊の精神を失うものである。
自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。
日本よ!日本人は連合国から与えられた《戦犯》の観念を頭から一掃せよ。…」
……………………………………………
『大亜細亜悲願之碑』
激動し変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万の想いを抱いて死んでいった
しかし大地深く打ち込まれた
悲願は消えない
抑圧されたアジア解放の
その厳粛なる誓いに
いのち捧げた魂の上に幸あれ
ああ真理よ!
あなたはわが心の中にある
その啓示に従ってわれは進む
(1952年11月5日広島市本照寺へ碑文寄贈)
……………………………………………
『誤られた歴史は書きかえられねばならぬ』
私は1928年から45年までの18年間の歴史を2年8カ月かかつて調べた。
とても普通では求められないような各方面の貴重な資料を集めて研究した。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。
それを私は判決文の中に綴つた。
この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。
しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。
そして自分らの子弟に
“日本は犯罪を犯したのだ”
“日本は侵略の暴挙をあえてしたのだ”
と教えている。
満州事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して充分に研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪観を背負つて、卑屈、頽廃に流れてゆくのを私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。
誤られた彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。
誤られた歴史は書きかえられねばならぬ。
(昭和二十七年十一月六日広島高等裁判所に於ての講演録から抜粋)
…………………………………………
「時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するあろう
……………………………………………………
『務めは何ぞ、死ぬことなり』
昭和二十年二月二十二日、元山航空隊にて遂に特別攻撃隊神風特攻隊員となる。
来るべき三十日間、余の真の人生なるか。
時機到る。
死ぬる為の訓練が待っている。
美しく死ぬる為の猛訓練が。
悲壮なる祖國の姿を眺めつつ余は行く。
全青春を三十日間にこめて、人生駆け足に入る。
われらは喜んで國家の苦難の真ツ只中に飛込むであらう。
われらは常に偉大な祖國、美しい故郷、強い日本女性、美しい友情のみ存在する日本を、理想の中に堅持して敵艦に粉砕する。
今日の務めは何ぞ、戦ふことなり。
明日の務めは何ぞ、勝つことなり。
すべての日の務めは何ぞ、死ぬことなり。
われらが黙って死んで行くやうに、科学者も黙って科学戦線に死んで戴きたい。
その時はじめて日本は戦争に勝ち得るであらう。
若し万一日本が今ただちに戦争に勝ったら、それは民族にとつて致命的な不幸といはねばならない。
生易しい試練では民族は弱められるばかりである。
~国民の遺書「泣かずにほめて下さい」靖國の言之葉100選より~
昭和二十年四月十二日
南西諸島方面にて戦死された二十二歳の海軍大尉
……………………………………………………………………………
『書き遺す言の葉』
物質と精神は後者を尊しとす。
今次大戦は、物質に破れたりと考へらるるも物質のみにあらず。
我が國は物質乏しきが上に、愛國心の崩壊しかけた國民はなかりしや、疑ふなり。
如何に物量多くとも、精神のともなはざるはも人造人間の如し、之に反して物量に加へて精神さへそなはれば鬼に金棒と云ふベし。
人の和も亦、物質によりて結ばれしものは弱く、心と心の結びは強し。
物質上の結合は物質なくなる時は解け易く、心と心の結合は、例へ物質を欠くとも解ける事なし。
此の事拘留所に来りてより、全く金もなくなりて後に於て、心と心の結合せし人の和の強き事つくづく感じたり。
心の誠といふことは、最も大切なるを知る。
二十二年三月三十日
~英霊の言乃葉(3)より~
昭和二十二年四月二十一日
広東流花橋にて法務死された三十五歳の陸軍大尉
……………………………………………………………………………
『武名に非ず』
本日八分隊の○○名が転勤して行つた。
送る送られる、別離の様式は至つて清らかである。
声をかけるでもなく、手を取り合ふでもない。
人が去つて行くのは己がやがて去るのであらう事を示し、人が死するのはやがて己も死ぬるを知る。
極めて当然なことである。
当然なりと自殺するのではない。
今日の友の立場は明日の己の事である。
国を思ふ心に結ばれて同じ隊に生活したものにとつては、或る深い感懐が「淡々」といふ言葉の中に湧き出づる。
征く友よ、散る友よ、御身等の願ふところは武名に非ず、功名に非ず、征けば必ず散り、散つた後に、大日本帝國が厳たる雄姿を、硝煙の中から現はれ出づる事を願ふのみである。
國なくして何の人間ぞ、人間として生活は國家故にである。
~英霊の言乃葉(4)より~
昭和二十年四月六日
沖縄附近にて戦死された二十三歳の海軍大尉
……………………………………………………………………………
『偉大なる歴史の創造』
父上様
今日も亦(また)爽やかな薫風にアカシアの若々しい香りを肌近く感じる五月の美しい晴天です。
窓から見る物みなみどりに萌える南満の風物をながめていると、思ひがけなくも寒かつたチチハルの訓練、苦しかつた冬季演習などが想出されて来て、白衣に不遇をかこつ現在が夢の様に思はれてなりません。
世の中は併(しか)し眇(すがめ)たる一見習い士官の負傷などと云ふ事には何の関心もなく、何物にも妨げられぬ巨大な歴史の歩みをつづけて居ます。
世界は此の偉大なる審判者の血みどろの努力をつづけているのです。
そして私は、今日ほど世界各國が、とりわけ我日本が此の歴史に対し、敬けんな崇高に近いあり方をしている時はありえなかつたと思つています。
静に欧大陸を想ひ、米州内部の諸事情をわきまへ、翻つて我日本に当面せる現実に到達する時、私は偉大なる歴史を創造している私達自身の姿をいやでも見出さねばならないのです。
(中略)
國事、家事共に多端の折から皆様の一層の御自愛をお願ひ致します。
五月二十二日
この身いま白衣にありて國思ふ
薫風に白衣をかこち國思ふ
~国民の遺書「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選より~
昭和十九年九月二十八日
西カロリン諸島パラオにて戦死された二十五歳の陸軍中尉
……………………………………………………………………………
『つつましく』
野道の路傍に人に踏まれ、人にも見られず咲いている花、それは人目を惹く程美しくはない。
そしてあでやかでもない。
名なぞももつていない野花、つつましく咲いては散り、散つては咲く野花、香りなぞも人の注意を喚起させる程の事はない野花、独り咲いては独り散る野花、なんといぢらしい可愛いつつましい花であらう。
私はこんな花に云ひ知れぬ心の惹きつけられるのを覚える。
名もない戦場で誰にも知られず、天皇陛下万歳を絶唱して死んで行つた戦友の事を思ひ出す。
報道や宣伝に浮かび上つた英雄ではない。
一無名のインテリ兵士の友を思ふ時、私はこの名もない路傍の野草を思ひ出す。
これでよいのだ。
これが最高の美と云はなくて、なにを美と云ふべきか。
匂ひなき清香をかぐ思ひがする。
このつつましきものに無限の涙をそそぐと共に、無限の尊い慟哭を覚えずには居られない。
~英霊の言乃葉(6)より~
昭和二十一年八月十二日
上海にて殉難死された三十四歳の陸軍憲兵軍曹
……………………………………………………………………………
『出発の朝「入隊に際して」』
二十二年の生
全て個人の力にあらず
母の恩偉大なり
しかもその母の恩の中に
また亡き父の魂魄は宿せり
我が平安の二十二年
祖国の無形の力に依る
今にして国家の危機に殉ぜざれば
我が愛する平和はくることなし
我はこのうえもなく平和を愛するなり
平和を愛するが故に
戦ひの切実を知るや
戦争を憎むが故に戦争に参加せんとする
我等若き者の純真なる気持を
知る人の多きを祈る
二十二年の生
ただ感謝の一言に尽きる
全ては自然のままに動く
全ては必然なり
~英霊の言乃葉(6)より~
昭和二十年五月二十九日
沖縄近海にて戦死された二十四歳の海軍少佐
……………………………………………………………………………
『ルーズベルトニ与フル書』
日本海軍市丸少将が、フランクリン・ルーズベルト君にこの手紙を送ります。
私は今、この硫黄島での戦いを終わらせるにあたり、一言あなたに告げたいのです。
日本がペリー提督の下田入港を機として、世界と広く国交を結ぶようになっておよそ百年、この間日本国の歩みとは難儀を極め、自らが望んでいるわけでもないのに、日清、日露、第一次世界大戦、満州事変、支那事変を経て、不幸なことに貴国と交戦するに至りました。
これについてあなたがたは、日本人は好戦的であるとか、これは黄色人種の禍いである、あるいは日本の軍閥の専断等としています。
けれどそれは、思いもかけない的外れなものといわざるをえません。
あなたは真珠湾の不意打ちを、対日戦争開戦の唯一の宣伝材料としていますが、日本が自滅から逃れるため、このような戦争を始めるところまで追い詰められたら事情は、あなた自身が最もよく知っているところです。
恐れ多くも日本の天皇は、皇祖皇宗建国の大詔タイショウに明らかなように、養正ヨウセイ(正義)、重暉チョウキ(明智)、積慶セッケイ(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される国家統治計画に基づき、地球上のあらゆる人々はその自らの分に従って、それぞれの郷土でむつまじく暮らし、恒久的な世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。
このことはかつて
「四方ヨモの海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」
という明治天皇の御製が、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト閣下の感嘆を招いたことで、あなたもまた良く知っていることです。
私たち日本人にはいろいろな階級の人がいます。
けれど私たち日本人は、様々な職業につきながら、この天業を助けるために生きています。
私たち軍人もまた干かをもって、この天業を広く推し進める助けをさせて頂いています。
私たちは今、豊富な物量をたのみとした貴下の空軍の爆撃や艦砲射撃のもと、外形的には圧倒されていますが、精神的には充実し心地ますます明朗で歓喜に溢れています。
なぜならそれは、天業を助ける信念に燃える日本国民共通の心理だからです。
けれどその心理は、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。
私たちはそんなあなた方の心の弱さを悲しく思い、一言したいのです。
あなた方のすることは、白人特にアングロサクソンによつて世界の利益を独り占めにしようとし、有色人種をもつてその野望の前に奴隷としようとするものに他なりません。
そのためにあなた方は、奸策カンサクをもつて有色人種を騙し、いわゆる「悪意ある善政」によつて彼らから考える力を奪い、無力にしようとしてきました。
近世になって、日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種ことに東洋民族をしてあなた方の束縛から解放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、ひたすら日本を有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、公然と日本人種の絶滅を口にするようになりました。
それはあなた方の神の意向に叶うものなのですか?
大東亜戦争によって、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれの民族が善政を謳歌します。
あなた方がこれを破壊さえしなければ、全世界が恒久的平和を招くことができる。
それは決して遠い未来のことではないのです。
あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているではありませんか!
数百年来、あなた方の搾取から逃れようとしてきた哀れな人類の希望の芽を、どうしてあなた方は若葉のうちに摘み取ってしまおうとするのでしょうか?
ただ東洋のものを東洋に返すということに、過ぎないではありませんか!
あなた方はどうしてそうも貪欲で狭量なのでしょうか!
大東亜共栄圏の存在は、いささかもあなた方の存在を否定しません。
むしろ世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものなのです。
日本天皇の神意はその外にはない。
たったそれだけのことを、あなたに理解する雅量を示してもらいたいと、私たちは希望しているに過ぎないのです。
翻って欧州の情勢をみても、相互の無理解による人類の闘争が、どれだけ悲惨なものか痛嘆せざるを得ません。
今ここで、ヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、第一次大戦終結に際して、その開戦の責任一切を敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に対する反動であることは、看過することのできない事実です。
あなた方が善戦してヒトラーを倒したとしても、その後どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するおつもりなのですか?
およそ世界が強者の独占するものであるならば、その闘争は永遠に繰り返され、いつまでたっても世界の人類に安寧幸福の日は来ることはありません。
あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしています。
あなた方はきっと得意になっていることでしょう。
けれどあなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。
願わくば私の言外の意を汲んでいただき、その轍を踏むことがないようにしていただきたいと願います。
市丸海軍少将(後に中将)
(この「書」は米国内の様々なメディアで紹介され、「書」に書かれた理想は形を変えて米国の理想となり、いまや世界人類の常識とまでなっているのです。
そしてこの「書」は、アメリカ海軍兵学校内アナポリス博物館に今でも大切に保管されています。
優しさ、思いやり、潔さ、努力、忍耐…日本を訪れる外国の人々は、日本人とのふれあいに喜びと賞賛の声を贈ってくれます。
しかし日本人の多くはそんな自分に、日本という国に誇りを持てないでいます。
特にやむにやまれず、日本人はアジアを侵略した…
今を生きる大人たちが、日本の歴史の「真実」を伝え、日本という気高い国に生まれたことに誇りを持ち、勇気と希望を持っていただきたい…)
~戦後70年に向けて「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」ー未来を創る子供たちのためにーより~
……………………………………………………………………………
戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国に委ねるは、身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、われらの子孫は必ず再起三起するであろう
(永野修身海軍大将 御前会議に於いての発言)
……………………………………………………………………………
先人たちの努力の上に今がある。
そのことに手を合わせ、受け継がれてきた自分の命を命ある限り、輝かし生きていく。
それが何よりの供養であり、感謝になる。
『善きことのみを念ぜよ。
必ず善きことくる。
命よりも大切なものがある。
それは徳を貫くこと…』
~鹿児島県知覧、多くの特攻隊員を見送った富屋食堂女将鳥浜トメ~
……………………………………………………………………………
もし玉砕して、そのことによって祖国の人達が、少しでも生を楽しむことができればと、せつに祈るのみである
遠い祖国の若き男よ
強く逞しく、朗らかであれ
なつかしい遠い祖国の若き女たちよ
清く美しく、健康であれ……