曹洞宗大本山永平寺、第78世貫主故宮崎奕保(エキホ)禅師の感銘を受けたお言葉です。
その時はもう終わりやなと思ったな
もう見えないのや
しばらくしたらボーッと天井の板が見えんのや
それぐらい衰弱しておった
「ああ、もうこれこれ死んでもええわ」と思ったな
その時は えらくて(つらくて)主治医やら看護婦さんに ようしかられた
「あんた大病人やのに そんな 坐禅したりしとったら いけません」
そうすると 「はいはい」言うて 寝間にはいりよった
看護婦や主治医がでていったら また坐禅した
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正岡子規の「病牀六尺(ビョウショウロクシャク)」という本には
「人間は いつ死んでもいい と思うのが悟りだと思っておった
ところが それは間違いやった
平気で 生きておること が悟りやった」と
分かるか
平気で生きておることは難しい
死ぬときが来たら死んだらええんやし
平気で生きておれるときは
平気でいきておったらいいのや
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今 あまり タバコ吸わんのや
わたしもタバコやめるのに苦労した
1人でやめられんもんやから 3人組を組んで もし隠れて吸ったら 50銭の罰金や
ところが 明くる日になって もういっぺん吸うたら
同じやないかと言って 元に戻ってもうた
そこで今度は考えて
「わたくしが 今度 タバコを吸ったら わたしの命を 取ってください」
本尊さんに お誓いをした
命が惜しいもんやから 今度はやめれた
それが30歳や だから 人間は命がけやったら なんでもできるな と思った
どうぞみなさん 何かやめたいと思うことがあったら
命がけでやってください
どうぞ お茶 おあがり
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みなさんは 門前でおられるから 優しい上に もう一つ優しい
来る人に優しい心を分けてください
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いわゆる わたくしが 永平寺や
わたしは 宮崎奕保やけども
「永平寺さん」言うたら「はい」言うんや永平寺とわしは一つや
自分ぐらい大事なものはない
自分ぐらい大事なものはええけども
人はどうでもええではなくて
環境もみな自分だから
わたしが永平寺やから
永平寺を大事にすることは
自分を大事にしておる
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自然は立派やね
わたしは日記をつけておるけれども
何月何日に花が咲いた
何月何日に虫が鳴いた
ほとんど違わない 規則正しい
そういうのが 法だ
法にかなったのが 大自然だ
法にかなっておる
だから 自然の法則をまねて人間が暮らす
人間の欲望に従っては 迷いの世界だ
真理を黙って実行するというのが 大自然だ
誰に褒められるということも思わんし
これだけのことをしたら これだけの報酬がもらえるということもない
時が来たならば ちゃんと花が咲き
そして黙って 褒められても 褒められんでも すべきことをして 黙って去っていく
そういうのが 実行であり 教えであり 真理だ