ある人からこんなお話を聞いたことがあります。
~自分の置かれた環境、人間関係全ては、自分を磨くのに必要な環境。
人を羨ましい、又は自分はしにくい、これさえ無かったら…
ということも、全て自分には自分を磨く十分な環境や状況。
その中でないと、自分の強情な癖や醜い根性は正せないから与えられた全ての状況や環境、人間関係なんだ…と、
置かれた環境に不足言わず、こんな中でしか自分を磨けないから与えられたんだと悟り、頑張っていくように…。
人と比べる必要は全くない!~
昨年7月に舅が脳梗塞を発症しました。84歳でした。
それまではほとんど病院に行くこともなく、年齢の割りには元気で、畑仕事をするぐらいで家族3人細々と暮しておりました。
私が夜勤めから帰宅して、息子がおじいちゃんの様子がおかしいと言ったので、近くの舅宅にすぐかけつけると、台所の椅子に座っていましたが、よだれを垂らして言葉がアーアー、ウーウーだけで確かにいつもと違っておりました。
早速消防に連絡して、近くの当直の総合病院に救急外来で運びました。
まさかその症状が脳梗塞だったとも判らず、昼間姑は救急車も呼ばず、私たちの職場に連絡もよこさず、結局私たちが帰宅するまでオロオロしながら待っていたのです。
病院に着いて処置室に入っていき、私たちは外で待っていましたが、検査検査で脳梗塞の疑いだと判りました。
言語のところが詰まっていると。
入院することになりましたが、院内移動中私は割と冷静で落ち着いていました。
不安でたまらない姑の手を握り、
「お母さん、このたびのことは大変なことやけど、マイナスのことかもしれないけど、意味があることなんやと思う。
半年前に、お父さんが脳梗塞で亡くなる夢を私見ていたし、お父さん亡くならず生きとってや!
これを絶対プラスに変えよな!」
そう言ったことを覚えています。
3ヶ月の入院になりました。
その間、肺炎や呼吸困難、酸素吸入、痰の吸引、胴や手首のベルト拘束、リハビリ等色々ありましたが、すっかりお父さんがお爺ちゃんになってしまいました。
会話も言葉が聞き取れず、何を言われているか解らず、食事も嚥下障害でトロミをつけての離乳食っぽい柔らかいものだけで、不自由な晩年になってしまいました。
嫁に来て22年…
いよいよ『親の介護』という、人生の修行が始まりました……
つづく……