マイナスがプラスに転ずる…② | フォゲットミーノットのブログ

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昨年突然、舅が脳梗塞を患ってからというもの、家族の生活も一変しました。



病院とはあまり縁のなかった舅の、入院生活3ヶ月というのも初めての経験…


しかしながら、舅の病気がなかったら、まさかこんなふうにプラスに変わるなんて…
という体験をさせていただいています。



舅には二人の息子がいます。
長男は私の夫です。
家族で近くに住んでいます。



次男は独身で両親と暮らしています。
義弟といっても、私より9学年年上で、高校までは普通の明るく活発な子供で、頭脳も優秀でトップクラスに近かったそうです。



国立大学の受験に失敗してからというもの…

人生の坂道を転げ落ちて行きました。



実家を離れ、私立の大学に行き始めましたが、遺伝的なコンプレックスのある自分の身体を見た寮生活の友人からからかわれ、よっぽど気に障ったのかそれが原因で学校を辞め、実家に戻ってきました。



それから家業を手伝うようになりました。親子3人で経営しており、昼間は両親が、夜から朝にかけては義弟が従事し、昼間寝て夜から朝にかけては起きているという、昼夜逆転の生活になり、そのまま引きこもったような部屋から出ない、他人にも出会わないという、社会から隔離されたような、家の中と隣の工場だけの往復という狭い世界でしか生きられなくなっていきました。



22年前に嫁いできた私からすれば、最初の頃は凄く違和感があり、両親も夫もあまり触れられたくないような無関心状態で、特に何か対策を考えているわけでもなく、二十歳ぐらいからなので、長年過ぎてしまっているので、その環境が当たり前になってしまっていて、私からすれば変な家族やなぁと思いました。



これまでは、結婚式やら子供を出産して婚家に戻ってきた時ぐらいしか顔を見ていませんでした。



舅が入院してからは、始めは私と姑が主に病院通いをしておりましたが、私も夜勤や早朝のバイトがあったり、用事で都合の悪い日もあったので、義弟にも協力してもらわなあかんと姑に話し、車の運転だけしてくれるようになりました。



それでも、最初の3ヶ月の入院中は、病院の外の駐車場までがやっとで、義弟は駐車場で待ち、姑だけが病室に行っておりました。



一度目の退院後、在宅介護をすることになり、舅はベット生活で、82歳の姑が主に食事やらオムツの世話をし、訪問看護や入浴や、リハビリやらサービスを使いながら、介護の日々を送るようになりました。



私も始めのうちは、下の世話など少しばかり手伝いに通っていましたが、いつしか後方支援というか、食事を持っていったり、食材を購入して持っていったり、病院に連れていったりと、直接介護に携わることも少なくなっていきました。



少しそんな生活にも慣れてきた矢先、尿道にも管を挿入していたので、引っ張ったり抜けたり、出血したり、菌に感染したりして、肺炎を起こし再入院になってしまいました。



そんなこんなで、手がかかることが多くなり、姑も高齢であるし、家族みんな協力せなあかんと姑と話し合い、義弟にも親の一大事なんやからと母の助けになってほしいと言わなあかんと。



私もきついこと言ったかもしれませんが、何も息子に言わない姑に対し、今親孝行しなくて、いつさせてんや?
今までは息子に遠慮して恐れて、言うべきことも言ってこなかった。

親が二人共亡くなった後、どないしてんや?
親の最後の責任やでと何回も言い、



姑もやっと、息子に意見することも少しずつできるようになってきました。



その後病室にも入れるようになり、退院前のカンファレンスの場にも出席し、医師やケアマネさんら数人のおられる前で、

「次男です。」と自己紹介もできるようになり、スーパーへの買い物や、病院の看護師さんから説明を受けたりと、


少しずつ人前に出るというか、行動範囲が広がってきました。







つづく……