壕の入り口近くでは日本兵とみられる遺骨1柱も見つかり、栗林中将の指示で打電をした無線班員の可能性もある…
発信所の壁はコンクリート製で他の壕と比べ頑丈に造られていた。
………
との記事でありました。
栗林氏は激戦地・硫黄島の総指揮官として、2万余の兵を率い、かつてない出血持久戦を展開、
周到で合理的な戦いぶりで、上陸してきた米軍に大きな損害を与え、最後はゲリラ戦に転じ、
「5日で落ちる」
と言われた硫黄島を36日間にわたって持ちこたえた。
「史上最悪の戦闘」
「地獄の中の地獄」
と震えあがらせた凄惨な戦場。
はじめから絶望的な戦場であり、飛行機も戦艦もなく、海上・航空戦力はゼロに等しく、陸上戦力においても、日本軍約2万に対し、上陸してきた米軍は約6万、後方には10万ともいわれる支援部隊がいて…
日本軍の玉砕は自明のことであり、少しでも長く持ちこたえて、
「米軍の本土侵攻を、遅らせること」が、
たったひとつの使命でありました。
故郷から遠く離れた絶海の孤島で死んでいった男たちの戦いぶりを伝えんと、
自分の部下たちが、死者の魂や天地の神々をも慟哭させずにおかないような、すさまじくも哀切な戦いぶりを見せたことを、
「予は常に諸子の先頭に在り」と、
自らも死を目前とした指揮官は、せめて最後に真実を国民に伝えようとした電文であるそうです。
死んでゆく兵士たちを
「悲しき」とうたうことが、指揮官にとっては大きなタブーであったようです。
エリート軍人たる栗林氏。
いたずらに将兵を死地に追いやった軍中枢部への、ぎりぎりの抗議ともいうべき辞世の句であり、決別電報であったようです。
その大本営に宛てた電報が、朝日新聞、読売報知新聞(他はわかりません)では、
決別電文と、辞世の句の都合の悪い部分が、改変されていたそうです。
決別文は長いので省略しますが、
辞世の句の一つ、
「~散るぞ 悲しき」が、
「~散るぞ 口惜し」に…
大本営がしたのか、新聞がしたのかわかりませんが、
今現在もそうですが、政府、テレビ、新聞、マスコミは、
都合の悪いことは、情報操作し、捏造し、隠蔽し、圧力をかけるそんな存在のようですね。
韓国、中国、北朝鮮、ロシアとも領土問題や戦後処理の問題で連日色々なニュースがあります。
戦後70年近く経っても、まだ私たちのおじいちゃんたち、先祖を地面に閉じこめたままで……
忘れられようとしています。
まだ戦争は完全に終わっていないのです。
今はアイディンティティーウオーは続いています。
テレビは韓流ドラマ垂れ流し、ミーハーなおばちゃん達、若者もKポップ大好き、韓国行きたい病……
命をかけて人のために、世の中のために働いて下さった方に、冷たいんですね。そんな人に、後ろ足で砂をかけるんですね。
国民には真実を知らしていただけないんですね。
そんなこともだんだん分かってきました。
今こうして過去の歴史の真実がうやむやにされていることが、神仏の計らいで日の目を見れるようになっているんかなと感じます。
関心のない人もたくさんあります。
知らない人もたくさんあります。
私もその一人でしたから…
でも今関心を持っている若者もたくさんおられます。
先人が私たち後世に生きる者たちに、残して下さったメッセージはたくさんあります。
命をかけて、よくぞ戦って下さった…と
泣けてきます。
私は受け止めていきたい…
無関心はあかん…