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今日の新聞の、大東亜戦争末期の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)での政府の遺骨収容事業で、旧日本軍が最後の組織的な攻撃を前に、大本営宛ての電報を打ったとみられる発信所と無線機を、地下壕で発見したことが分かったという記事が目に飛び込んできました。



電報は総指揮官の栗林忠道中将が、

「国の為重きつとめを果し得で
矢弾尽き果て散るぞ悲しき」

などとした決別の電文として知られ、重要な史料となりそうだ。


と書いてありました。



以前にニュース番組で、独立総合研究所の青山繁晴氏が硫黄島のことを、滑走路を剥がして、我々の為に戦って下さった先輩の遺骨を、早く故郷にお戻りいただきたいと涙流してお話されていたのを見て、心揺れ動いた無知な私は、
梯久美子さんの「散るぞ悲しき」という本を読みました。
そしてその硫黄島総指揮官・栗林忠道氏の心に打たれました。




硫黄島は東京の南約1250キロにあり、現在は海上、航空両自衛隊の基地が置かれ、一般住民はいないそうです。



1945年2月に米軍が上陸し、旧日本軍は総延長18キロに及ぶとみられる地下壕を島中に張り巡らし、要塞として使用。



短期間で攻略できるとの米側の予想を覆し、約1ヶ月間にわたり激戦が続きました。



厚労省によると、日本兵約2万1900人、米兵約7千人が死亡。日本兵の遺骨収容は52年に始まり、これまでに約1万柱が収容されたということです。


現地は地熱や地下からのガスで土や壕の中にある遺骨が劣化しやすく、関係者には「残された時間は多くない」との焦りが募っているそうです。




つづく………