久々に書評らしきものをしてみようかなーと思い
その辺にあった本を手にとってみた
偶然もらった本だったから
別に買ったわけでもないし
はじめっから期待してたわけじゃないんだけど
それにしてもヒドイ本だ
ということで、なんでこの本がひどいかってことを書く
ただ人の本をけなすだけに書評するってのはどうかとも思うが
まあamazonのreviewだとかなり評価高いみたいだから
この辺りでちょこちょこけなしてても怒られないだろう
えっと、まぁ個人的に落語のことは興味なかったんだけど
別に本読んでも落語に興味は出なかったなあ
しかもね、当たり前のこと書き過ぎな気がする
いろんなことを落語から見つけていこうとしてるんだけど
そんなことは落語からじゃなくてもわかることばっか
例えば章を見ると
第一章 数え年のほうがわかりやすい
第二章 昼と夜とで時間はちがう
第十二章 早く結婚しないといけない
第十五章 三十日には月は出ない
とか、別に落語なんて見なくたってわかる
それから、いつのまにか本末転倒して
理論に合わせるために落語から例を探してるふしもある
それに誤った記述も多い気がする
第四章 名前は個人のものではない
W大先生の講義を聞いたあとってこともあるけど、
家とか家業とかいう概念も使わずに名前を説明しよう
としてるのがなんだかイライラする
それに
「千家の当主は、家を継いだときに、名前も正式に変わるのだ。
ぼくらんときのPTAだったお父さんは、いま千玄室さんです。
正式に、というのはつまり戸籍の名前も変わる、ということだ。
(あ、本当に戸籍も変えてるのかどうか、先輩に確認してないや。
でも多分そうだとおもう)。」
そんなわけあるか。
と、こっちも確認もせずに書いてるわけだけど、
仮に千家がそうだったとしても、それで名前を変えるという
理論を導くという発想がまったく幼稚だと思う。
例えば、大相撲の力士さんたちは本名としこ名を持ってるじゃない。
第五章 ゼニとカネは別のものである
「ゼニじゃないよ。おカネだよ」という文句の説明をしている。
ゼニは銅で、カネは金と銀であるそうだ。
それで金と銀と銅を両替するという発想はなかったと書いている。
後ろの参考文献を見ると、一冊も参考文献が挙がっていない。
別に誤ってるのかわからないけど、少なくとも1ミリたりとも信用できん。
第七章 みんな走るように歩いてる
これは別に間違ってるわけじゃないんだけど、
自分が東海道を歩いてみた感じではというのが前提になってて
自慢なの?っていう感じもするし
実証性もくそもない
第十四章 左利きのサムライはいなかった
「「左利きのサムライはいただろ」。そうかな。
落ち着いて想像するとわかる。そんなものはいなかったはずだ。」
宮本武蔵が左利きって有名な話じゃないっけか?
なんて傲慢なものいい。
こういう本がせっかく知識を得ようと本を手にとった
人々をダメにしてるんだなぁと思う
まあ、コラムニストなのだ
おもしろおかしく書くのがなりわいなのだ
上のようにいろいろ批判したって
ぼくはどうせコラムニストですからって言うか
コラムニストらしくスルスルッとかわすんだろうから
まぁ別にいいっちゃ別にいい
そういう人はそういう人でそれでいいわけで
むしろ個人的に問題だなぁと思うのは
講談社現代新書がこんなのを入れちゃったかってこと
講談社現代新書ってもっとしっかりした新書だと
思ってたのに残念だなぁ
しっかりしてほしい。
とはいえ、講談社現代新書を批判したいわけではないので、
次回は講談社現代新書のイイ本を紹介します
その辺にあった本を手にとってみた
- 落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)/堀井 憲一郎
- ¥777
- Amazon.co.jp
偶然もらった本だったから
別に買ったわけでもないし
はじめっから期待してたわけじゃないんだけど
それにしてもヒドイ本だ
ということで、なんでこの本がひどいかってことを書く
ただ人の本をけなすだけに書評するってのはどうかとも思うが
まあamazonのreviewだとかなり評価高いみたいだから
この辺りでちょこちょこけなしてても怒られないだろう
えっと、まぁ個人的に落語のことは興味なかったんだけど
別に本読んでも落語に興味は出なかったなあ
しかもね、当たり前のこと書き過ぎな気がする
いろんなことを落語から見つけていこうとしてるんだけど
そんなことは落語からじゃなくてもわかることばっか
例えば章を見ると
第一章 数え年のほうがわかりやすい
第二章 昼と夜とで時間はちがう
第十二章 早く結婚しないといけない
第十五章 三十日には月は出ない
とか、別に落語なんて見なくたってわかる
それから、いつのまにか本末転倒して
理論に合わせるために落語から例を探してるふしもある
それに誤った記述も多い気がする
第四章 名前は個人のものではない
W大先生の講義を聞いたあとってこともあるけど、
家とか家業とかいう概念も使わずに名前を説明しよう
としてるのがなんだかイライラする
それに
「千家の当主は、家を継いだときに、名前も正式に変わるのだ。
ぼくらんときのPTAだったお父さんは、いま千玄室さんです。
正式に、というのはつまり戸籍の名前も変わる、ということだ。
(あ、本当に戸籍も変えてるのかどうか、先輩に確認してないや。
でも多分そうだとおもう)。」
そんなわけあるか。
と、こっちも確認もせずに書いてるわけだけど、
仮に千家がそうだったとしても、それで名前を変えるという
理論を導くという発想がまったく幼稚だと思う。
例えば、大相撲の力士さんたちは本名としこ名を持ってるじゃない。
第五章 ゼニとカネは別のものである
「ゼニじゃないよ。おカネだよ」という文句の説明をしている。
ゼニは銅で、カネは金と銀であるそうだ。
それで金と銀と銅を両替するという発想はなかったと書いている。
後ろの参考文献を見ると、一冊も参考文献が挙がっていない。
別に誤ってるのかわからないけど、少なくとも1ミリたりとも信用できん。
第七章 みんな走るように歩いてる
これは別に間違ってるわけじゃないんだけど、
自分が東海道を歩いてみた感じではというのが前提になってて
自慢なの?っていう感じもするし
実証性もくそもない
第十四章 左利きのサムライはいなかった
「「左利きのサムライはいただろ」。そうかな。
落ち着いて想像するとわかる。そんなものはいなかったはずだ。」
宮本武蔵が左利きって有名な話じゃないっけか?
なんて傲慢なものいい。
こういう本がせっかく知識を得ようと本を手にとった
人々をダメにしてるんだなぁと思う
まあ、コラムニストなのだ
おもしろおかしく書くのがなりわいなのだ
上のようにいろいろ批判したって
ぼくはどうせコラムニストですからって言うか
コラムニストらしくスルスルッとかわすんだろうから
まぁ別にいいっちゃ別にいい
そういう人はそういう人でそれでいいわけで
むしろ個人的に問題だなぁと思うのは
講談社現代新書がこんなのを入れちゃったかってこと
講談社現代新書ってもっとしっかりした新書だと
思ってたのに残念だなぁ
しっかりしてほしい。
とはいえ、講談社現代新書を批判したいわけではないので、
次回は講談社現代新書のイイ本を紹介します




