ふつーにいい本だとおもった

アダルトビデオ革命史 (幻冬舎新書)/藤木 TDC
¥861
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とりあえず言っとくけど、何も興奮しないからね

もしかしたら年代が違いすぎるからなのかな

著者は62年生れで、レンタルビデオの店員だったときから、
こういう関係のフリーライターになったみたいだ。
無修正時代のうちらとは全く感覚がちがう
今はもう飯島愛もいない時代なんだぜ?

でもそれを抜きにしても
まあ学術的とはいわないが
興奮するような感じではない

本書は
「ビニール本やAVというポルノ商品は、ハードウェア開発とモデル供給の両立があってはじめて成立した」(p.79)という前提にたって、以下のような章だてを採用している。

 第一章 AV前史
 第二章 AVの誕生
 第三章 AV女優の成立
 第四章 本番AVの時代
 第五章 AVの新しい波
 第六章 無修正へ

筆者は、まず第一章でAVの定義から問題を提起する。曖昧なAVの定義を示しながら、その成立過程へと筆を進めるのである。
第二章は、上記のハードウェア開発の過程にあたる部分だ。そこでビデオの導入とAVの浸透とが語られ、そして第三章でモデル供給のスタイルの構築過程が説明される。
第四章は「村西とおる」による革命であり、第五章は「飯島愛」などに代表される現在への流れである。
第六章では筆者の主張であるモザイクへの問題提起がなされる。

基本的には時系列に沿いながらも、はじめに80年代、90年代の状況を説明してから、時代を遡行していくような手法をとるなど、80年代、90年代に青春を過ごしたおっさんたちには読みやすいものになっているんじゃないだろうか
でも、おっさんじゃないからなー
全然親近感はわかないなー

加えて、そもそもマニアックすぎる

「アートビデオ、シネマジック、スタジオ418の御三家」(p. 120)
とか言われても…知りませんから…

そうはいっても、なんかAV女優の演技の歴史とか、
なんだか静かな筆致ながら、リアリティを感じさせて、
この業界の人たちの積上げてみたものとか、
AVの実験性、芸術性みたいな部分に目を開かれる想いがする。

AVのストーリー性とかに注目しちゃうような、
変な男の子たちにはオススメな本です
親がいれてくれたココアを飲んでいた

なんかミントの香りがするなぁと思ってたら

底にガムが入ってた

なぜだ
勉強会があったので、五年ぶりくらいにニコルソンの『外交』を読んだ。
ほとんど読んだ覚えがないが…

ホントは、他にも書かなきゃいけないことがあるんだけど、
とりあえず今日はその書評(読書感想文?)を書こうっと

外交 (UP選書)/H.ニコルソン
¥2,520
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やっぱり、これまで愛読されてることもあって、
(正確かどうかは知らないが)読みやすい訳で、
スラスラと読めた。

でも、これって巷で言われているほど「古典」に値するんだろうかって、思わなくもない。
もちろん、初版一九三九年の段階で、これだけまとまった外交論は滅多になかったろうし、
その意味で、この著作の意義が大きいのはわからなくもない。

ただ・・・

①独創的な見解がどの程度含まれているのだろう?
はじめにニコルソンが持ち出した「外交とは、交渉による国際関係の処理であり、大公使によってこれらの関係が調整され処理される方法であり、外交官の職務あるいは技術である。」という外交の定義は、OEDからそのまま取られたものに過ぎないし、
ニコルソンは、アーネスト・サトウやカルボン、カリエールといった先達たちの見解をほとんど無批判に羅列している。とくに、「第十章 外交用語」における用語解は、 「与えられた定義は、主としてアーネスト・サトウ卿の古典『外交慣行入門』に拠っている。」と堂々と宣言されたのち、長々と挙げられている。
え~~

②外交官の七要件
ニコルソンの『外交』といえば。みたいな感じで、よく引かれるものに外交官の七要件がある。
「第五章 理想的な外交官」において、誠実、正確、平静、よい機嫌、忍耐、謙虚、忠誠が外交上の美徳とされているわけだ。
けれど、この章の末尾には、驚くべき一段落がついているのだ。
「「しかし、それでは、外交官の資質として、知性、知識、眼識、分別、愛想、魅力、勤勉、勇気、さらには機転が大切なことを忘れてしまっている」と読者は異議を挟まれるかもしれない。私はそれらを忘れてしまったのではない。私はそれらは外交官の資質として当然のことであり、いまさら言及する必要はないと思ったまでである。」
いやいやいや!!!
そんなこと言ったら、七要件も当然じゃない!?
誠実とか、正確とか、平静とか、よい機嫌とか、忍耐とか、謙虚とか、忠誠とか、どれも見るからに必要そうだよ!

③情報収集の意義
ニコルソンは第一章の中で、繰り返し「政策(立法的側面)」と「交渉(執行的側面)」とを混同してはならないこと、外交はもっぱら後者の方を指すのであり、それは外交官に任せられるべきであることを強調している。
一方、あとの章では、大使や公使といった外交官は赴任地の状況に精通することができること、すなわち彼らが情報を仕入れてくることの意義が強調されている。
ところで、このような情報を仕入れてくるという役割は、立法的側面、執行的側面のどちらであろうか?
それは何らかの法律や指示によってなされる役割ではないし、むしろ新たな立法に資する役割なのだから、おそらく政策立案という過程に位置づけられるべき役割だろう。むりやりニコルソンの図式に当てはめるなら、どちらかといえば立法的側面の方なんじゃないか。
そうすると、外交官がもっぱら執行的側面を担うべきという主張はよくわからなくなってしまう。
あとの章に行くに従って、「政策」と「交渉」とを分けるべきという主張が消えていくのには、そうした矛盾があったからなんじゃないか。

④整理しきれてない
「政策」と「交渉」に関する矛盾は他にもある。
例えば、この著は民主的外交について、一章を割いて説明しているけれど、はじめの「政策」と「交渉」という二分法をそのまま用いれば、政策立案においてはそれを民主的統制のもとに付す一方、交渉過程は外交官に一任し、ある種の秘密外交に付す方が、得策であり、現実的である、とするべきである。
ところが、ニコルソンはどうやら「交渉」においてだけではなく、「政策」について公開することには肯定的ではない。ニコルソンは国民の無責任とか、無知とかを例に挙げながら、国民が外交に関わること、それ自体に否定的であるように見えるのである。
ニコルソンはいろいろ釈明を試みているけれど、結局は自分が提示した「政策」と「交渉」という二分法が自分の首を締めているとい印象しか受けないのである。

こうした『外交』に対する違和感は、あくまでニコルソンの時代の外交を前提とした場合の違和感だけである。
現在の外交について学ぼうとして、この本を手に取れば、まして違和感は増すことになるだろう。
現代の外交官における立法的側面は、執行的側面に比してはるかに肥大化してるであろうし、
ニコルソンのヨーロッパを前提としたような狭い世界の外交は違和感を惹起する。

しかし、それでも学ぶところがないわけではない。
ニコルソンの考えていた外交と、現在の外交と、何が違うのだろうと検討してみることで、逆に歴史的に存在してきた外交の本質的な部分というのが明らかになるかもしれないのである。
今日の勉強会での結論部分だけ抜き出せば、いくら外交官のかたちが変化しても、外交官と他の行政官から特徴づけるものは、道徳的誠実であり、連帯感であり、コミュニケーションなのだ、ということなのである。

ということで、まともな書評にならなかったわけだけど、最近面白かった書評といえば、朝日の書評委員の横尾忠則さんの書評!
朝日の記者さんに文句つけられるのかなぁ、ときどき面白くないのがあるんだけど、こないだの日曜の書評は面白かったなぁ~もはや書評としてじゃなく、横尾さんの文章として面白いね

 
こんなスゴイ文章を書くがいたんだ!!

いまさら気付いて興奮したことが恥ずかしいが、東大出版会のPR誌『UP』今月号の須藤靖「サクサクでパリパリ」を読んだ。
「注文の多い雑文」という連載で、すでに「その十」だというのだけど、なぜ今まで気付かなかったんだろう。


この「注文の多い雑文」というのは、須藤氏のエッセーである。
「サクサクとパリパリ」の冒頭は、姫路駅前のバス乗り場にて、整列していながら「関西名物、割り込み」に会って、五〇分近く立ちっぱなしでバスにゆられる破目となった」須藤一家のエピソードから始まる。

「そのような体験が下の娘の人生観に何か訴えかけたのであろう。その日の夜、ホテルのベッドでごろ寝をしていた私に向かって、彼女は「私は今日から関西人になることにした」と突然宣言した。さらに「ここら辺の人はみんな関西語をしゃべっているけど、いつ勉強したの?」と詰問してくる。いつもながら場所をわきまえずいきなり本質的な問いかけをする奴である。君だって知らないうちに日本語が使えているじゃないか。人間がなぜ言語を容易に習得できるかは、チョムスキーによる普遍文法、言語生得説をはじめとする言語学における大問題なのだよ、と思いつつも「お父さんとお母さんが関西人やったからにきまっとるやん」といなすことで、潜在的に教養の高い議論に発展したはずの親子の会話をむげに打ち切ってしまった。」

なんと流暢にして、洒脱な文章!
そしてチョムスキー!

気になる著者、須藤靖氏は、宇宙物理学専攻のれっきとした東大教授だ。

んん、東大教授おそるべし。


この人(教授とわかったので以降先生と呼ぶ←こういうのは権威主義的で嫌いだ。けれど、この先生に関しては文章に一目ぼれしてしまったんだから、先生と呼んでも許されるだろう)の専門はもちろん文章にも生きている。

高知弁における「ぐっすり飲む」、「びっしり忘れる」というような用例について考察し始めた須藤先生は言う。
「「ぐっすり眠る」と同じく奥行きの深さを表現するのが「ぐっすり」、「びっしりと詰め込まれた」とは空間的な密集度を表すが、それを時間軸に沿った密集度に置き換えたものが上述の「びっしり忘れる」である。
 読者のなかに天文学の素養を持つ方がいらっしゃるならば、銀河をどっさり観測するのが三次元分光サーベイ、べったり観測するのが二次元撮像サーベイ、ぐっすり観察するのがペンシルビームサーベイである、といえばすっきりと理解して頂けるはずだ。」

んんん、まったくわからない。
ペンシルビームサーベイってなんかカッコイイな、くらいしかわからない。
けれど、すっきり理解してしまったような、しなきゃいけないような、
なんかそんな不思議に心地よい気分にいざなわれる。

この男、ただものではない・・・


しかし、敢えて言おう。
今の時代、読ませる文章が書ける学者なんていくらでも(とはいわないが)いるのだ。
ほら、芸人だってみんな本出す時代じゃない。

じゃ、なんでこんなに感激しているのか。
それは、この人の文章が新しいからだ。

じゃ、なにが新しいのか。
ぶっちゃければ、注の使い方なのだ。

注・・・普通こむずかしい引用文献が引いてあったり、
法学部の学生なら、そこでめんどくさい議論が行われることがあるのも知っているだろう。
けど、この先生の注の使い方は違う。


姫路のエピソードと高知弁のエピソードで二ページ半を使った須藤先生は、本題に入る。
「ずいぶんお待たせしたが、今回のタイトルの謎がいよいよ解き明かされるときが来たのだ。一層気を引き締めて読み進めて頂きたい。」
そしてここに注(3)が付いている。

さっそく注(3)を見てみる・・・
「しかしいつものこととはいえ、イントロの部分が長すぎですなあ・・・・・・。」

いやいやいや!!
そんな無駄な注つけてるから、イントロがますます長くなってるんじゃない!



本題に入って、標題の「サクサクでパリパリ」にみられるような二音反復語について考え始めた須藤先生は言う。
「「夜のお菓子うなぎパイ」はサクサク、「草加せんべい」はパリパリ、という形容に異論を唱える日本人は想像できない。柿の種はポリポリ、ベーコンはカリカリ、お茶漬けはサラサラ、サイダーはシュワシュワ、ビールはプハプハ、ブランデーはチビチビ、とほぼ即時に答えられる。」
なんでもない例の羅列なのだが、この「ビールはプハプハ」のところに注(5)が付いている。

そこで、注(5)を見てみると・・・
「この箇所に担当のT嬢から「ビールはグビグビでしょう」というクレームがつけられた。これはビールはなぜおいしいかという本質を突いた質問であり、今回のテーマについても重要な視点を提供してくれる。恐らく彼女に代表される「グビグビ」派は、飲んでいる最中に喉を通過する際ののどごしの良さを重視しているのであろう。一方、私の場合、一気に飲みほした瞬間の喉の解放感というか大量炭酸摂取からくる一種の酸欠状態による苦痛の果ての快感がビールの醍醐味だと考えているらしい(T嬢の指摘をうけて熟考する過程で気がついた)。したがってプハプハとなるのである(しかしながら別の友人の語感では、あくまでプッハーであり、反復する使用法は受け入れられないとのこと。(・・・後略・・・)」

「大量炭酸摂取からくる一種の酸欠状態による苦痛の果ての快感」!!
そんなん知るかーー

なんてくだらなく、また楽しいんだ!


こんな注を繰るのが楽しい文章がかつてあったろうか。。。

いや、もしかしたら、寡聞なだけで、こういう文章のスタイルは昔からあったのかもしれない。
けど、そんなん構わない。
これが面白い。
それだけで満足だ。


ん・・・

と思って、もう一度連載タイトルを確認してみる。

「注文」の上には、「ちゅうぶん」の文字。


あ~~なるほど。。。
オレは完全に須藤先生の思うつぼだったのだ。


※こんな長い記事を読んでるヒマがあったら、原文を読むことをオススメする。今月号の『UP』を手に入れたなら、当然渡辺大先生の巻頭論文も読んでくださいね。藤原先生批判です。『UP』おそろしや。
夕ご飯食べた後だし~♪って思っていつも通りネットサーフィンしてたら、なぜか初美容院に関するスレを発見。
教えてgooとかYahoo知恵袋では中学生が美容院行ったことないんですけどって書いてたり、脱オタとして美容院に初めて行くって人が多いみたい。


初めて美容院行くときって確かに緊張したな~w 勝手分かんないしね。上記スレには「美容師と何話せばいいの?」っていうカキコがけっこうあったけど、美容師さんって引き出し多いから何でも話せるよね。 美容師さんの年代にもよるっちゃよるけど、鉄板はドラゴンボール、スラムダンクあたりじゃない?アレは男女関係なく絶対に盛り上がれるw というか両方ともむかしアニメ少し見てマンガ少し読んだだけだから美容師さんについていけないことが多くて困るw


かく言うボクは初めて行った美容院で初めて縮毛矯正をしたのではじめてのダブルパンチw 翌日学校に行ったときは普段そんなに話さんヤツらもめちゃめちゃ驚いてたw

そんな初心だったボクもいまや美容院に行っては「nonno持ってきてください」って言うようになってしまった。(地元では何も言わなくても持ってきてくれるw)


慣れとは恐ろしいモノですね。初心忘るべからず、ですか。
みんなみた!?
『華麗なるペテン師(原題:HUSTLE)シリーズ3』ビックリマーク

今日で最終回が終わりました。
いや、マジでおもしろかったわ~
シリーズ3から見始めたから、
前のも見てみたいな~

何がおもしろいって、ストーリーの完成度が高過ぎ!
今回の最終回も(以下、ネタバレ注意)
はじめに主人公の詐欺師集団が詐欺を成功させるところからはじまって、
アジトに帰ってきたところで、サツにハメられて捕まり、人質も取られて、
大泥棒を捕まえるのに協力させられそうになるんだけど、
大泥棒を騙すのと同時にハメたサツもハメてやろうと考えるわけ。
ところがそんなこと見越してるサツは盗聴器を。
ところがどっこい、その裏をかいてサツをハメることに成功するっていう・・・
裏のかきあいが凄すぎるから、マジで。

日本の探偵ものとか、推理ものとか、何でもいいけど、
正直、だいたいははじめの時点で筋書き読めるでしょ。
はじめで読めなくても、半分見りゃ読めるでしょ。
でもね、これは最後まで、イヤイヤどーすんのよ、って思わせる。
しかも、そのダマシをサラッとやってのけるのが、
なんかイギリスって感じ音譜でかっこいいんだ。
(しかも、第三話とか第四話とか、必ずしも主人公たちの
思い通りにはいかないってのが、またイイよね)

気になったでしょ?
気になったでしょ?
たぶん明日再放送あるから、気になった人は是非見てくださいな

てか、思うに、BBC神王冠1
第五話とか、皇室スクープをでっちあげる話なんだけど、
皇太后とか、カミラとか、ふつーに出てくるからね。
それを実は本物じゃないとか、浮気相手がいたとか、
そういうセリフふつーに出てくるからね。
BBCっていえば、OCEANSも公開中だけど、やっぱすごいよね。
公共放送って何なんだろうって、もう一度問い直されるべきなんだろうね。

で、その前にこの番組を見よう!!

ちなみに、BBCでは今シリーズ6やってるらしい
ホームページで公開されてるんだけど、イギリス国内でしか視聴できないぽいダウン
はやく日本で放送されないかなぁ~
ぽにょ初めて観た!!
ちょーおもしろかった
てかなんかいやされるぅ~
なんで海にいたぽにょが水道水で
生きられるのかがわかんないけど宇宙人

そりゃともかく、朝青龍引退びっくりしたね。
正直、相撲なんか一度も見たことないし、
見ようと思ったこともないし、どうこう言う立場にないけど、
相撲ってこのまま消えゆくんじゃないかって気がする。

朝青龍の言動がどうこうはどうでもいいんだけど、
自分の周りには意外と彼が好きって人も多いし、
少なくとも白鵬や他の力士に比べると
彼が相撲に関する一般的関心を惹いてきたのは疑いがない。

そんなとき、彼を引退させる相撲界ってどうなんだろう。
そもそも横綱審議委員会が引退勧告を出したって話だけど、
横審はその名の通り横綱について意見するのが役割なんであって、
横綱引退を求めることはできても、角界引退を勧告するってのは道理が通らない。

もちろん朝青龍の行動が非難されるのは当然だし、
横綱としての彼に対して何らかの勧告を出すのは構わない。
けれど、相撲界を引退させるってのはどうなんだろうか。
相撲界は自らの生き残りってことを考えていないんだろうか。
観客動員数が順調に減り続けている中で、
果たして単純に伝統、伝統って主張し続けることだけが正しいんだろうか。

確かに伝統を崩すことでいなくなるファンもいるに違いない。
けれど、伝統を守っているゆえに近づけない潜在的ファンもいるかもしれない。
それを比較衡量して、どうにか相撲の生き抜く道を探っていく、
それがいま理事会のやらなきゃならないことなはずだ。
それなのに、横審に諮問して、伝統に照らせば許されない、なんて、あほくさ。

伝統芸能っていうのは、どの世界だって変わろうとしてる。
昔歌舞伎は時事ネタを取り入れ、新たな演目を次々生み出して大衆を魅了していた。
今ではすっかり古くなり伝統に固執するようになっているけれど、
それでも海外公演など新たな企画をさまざましているようだ。
歌舞伎でいえば、昔は芸のためと称して、女遊びは当然の世界だったらしいけれど、
今では海老蔵の結婚のように、マジメなお付き合いが称賛される。
そうして、伝統を守ること=正しいことではない。

伝統は常にゆるやかに変革していなければならない。
そうでなければただの絶滅危惧種だ。
貴乃花親方の話も話題になったけれど、当選前理事長が指摘したように、
あの親方にも、確たる改革案があるわけじゃないらしい。
そうすると、相撲はおそらく変わらないだろう。
そして、もしそうならば、今年はきっと、
「すもう」という伝統が事実上終わった年として位置づけられるようになるだろう。

ま、個人的には興味ないから、どうでもいいんだけどね。
今日(正確には昨日)は起きるの昼過ぎだったので学校に昼飯食べに行けず…サーセン。明日は豆まき行くぜ!


テスト勉強、終わりが見えず。また信長やって気づいたら天下統一しちまった…orz 次はどこの大名でやろうかな。


ニコニコは成人式DVDでまだ盛り上がってるらしい。確かにネ申曲には違いない。

今日見つけたモノサシのレビュー にも吹いたw
ありえないよ。

日付変わったし、
今日から試験ですよ。

ありえます?

いやいやいや、ありえないよねー

何なら一昨日友だちのノートを見始めましたけどなにか?

昨日はワンピース見てから図書館行ったら、
ぐっすり寝ちゃいましたけどなにか?

いやいや、わかってるよ。

たしかにブログもね、
始めたときは毎日更新しようと思ってたよ。

ネタなかったわけじゃなかったんだよ。

先週はアバター見たし、
木曜は岩手行って、
金曜はあのW大先生の最終講義でしたよ。

でもね、たいていそういうもんでしょ。

日記だって初めの日だけちゃんと書いて終わっちゃうんだよ。
あんた、どうせ三日坊主で終わるわよ、とか親に言われて、
一日坊主で終わるもんなんだよ。

ノートは初めの一ページだけキレイに書いちゃうんだよ。
友だちに、ああ、あの授業のノートだったらいつでも貸すよ、とか言っといて、
いざ学期末に貸す時には、ほとんど読めない字になってるもんなんだよ。
んでもって、友だちとかすごいさわやかに、ありがとぅ、とか言うけど、
内心、やべ、他のノート探さなきゃ、って思ってるんだよ。絶対。

いやいやいや、いやいやいや。
そうだよ、こんなん書いてる場合じゃないんだよ。
いまからShevardnadzeからSaakashiviliに至るグルジアの歴史を勉強しなきゃならないんだよ。
だれだよ。こいつら。まじで。

ま、がんばろーねーみんな。

内容についてはほとんど何も決めないままこうしてブログを始めることになりました。
快くサーバーの容量を無駄にするサイバーエージェントに全俺が泣きました。



M理論をcooperする君に会いたい

30分遊びながら悩んで(?)決めたというだけですが、こうしてブログのタイトルとして登録してみると、頭からこびりついて離れないほどの魅力と愛着を感じさせるこの上ないタイトルだとしか思えません。

しかもcooperって動詞あるし…。





最近、人生どうしようって悩むことが多くて色んな人に迷惑かけることが多いんです。夜寝られず→朝起きれず→遅刻→生活崩壊→無限ループ、の悪循環。
それなのにみんな親身になってくれてホントに感謝してます。今日とかもう泣きそうになりました。とりあえず生活立て直しから始めます。






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ヒント:(alcホームページ、英辞郎より)

M-theory
【名】
M理論◆《狭義》type IIA超弦理論のS双対性によって得られる、11次元時空の理論。《広義》狭義のM理論も含めた、すべての可能な超弦理論を統一的に記述する理論

cooper
【名】
1.樽類製造者{たるるい せいぞう しゃ}、桶屋{おけや}、酒屋{さかや}
2.混合黒ビール
【自動】
桶屋{おけや}をする
【他動】

~をたるに詰める、作る、修理{しゅうり}する、修繕{しゅうぜん}する