Hank JonesのFly Me to The Moonを聴きながらこの記事を書いている。




それまではライブに行ったことがまったくなかった。

友達のバンドとかが演奏するのなら聞いたことはある。クラシックのコンサートもある。ミュージカルもある。でも、ポップスとかジャズとかのプロミュージシャンによる「ライブ」を聞いたことはなかった。


そんな俺の初めての「ライブ」、それがHank Jonesのライブだった。

思いつきで行く気になったはいいけどジャズに関してはそれまでBill Evansにしか興味なかったし、ジャズのライブなんてどんな雰囲気か分からんかったし…ということで一人で行くのは流石にためらわれ、乗ってくれるに違いないと思われたシンを誘って2月22日にBluenoteTokyoに辿り着いた。


座ったのはステージより一段低いアリーナの指定席の一番はじっこ。Hank Jones(p), David Wong(b), Lee Pearson(ds)らはシンの真横を通って行き来した。


演奏した曲目は、(ちなみに「曲」を英語では"tune"と言うことをライブで初めて知った)

A Night in Tunisia
The Summer knows
Fly Me to the Moon
Ricardo Bossa Nova
Stella by Starlight
Don't Explain
Cleopatra's Dream
Someone to Watch Over Me
Blue Minor
Moose the Mooch
In a Sentimental Mood


素人の俺には詳しいことは分からない。でも、面白かった、…いや、なんか面白かったって言ったら淡白な感じがするなぁ…とにかく興奮したね、アレは。自分自身無意識のうちに拍手しながら立ち上がったことに気付いてびっくりした。

Hank Jonesのピアノって強く主張してないように思えるんよね。なんかKeith JarrettとかBill Evansとかだと結構がっつり弾いて「お前らピアノしっかり聞けよ」って感じがする(勝手なイメージ?間違ってたらごめんなさい)けど、Hank Jonesは「The Great Jazz Trioの一員」って感じがするんよね。軽いタッチでポロンポロンって弾いて。それなのに圧倒的な存在感。アレはどうなっとんの???


俺らが行った日はThe Great Jazz Trioの公演最終日で、翌日からBluenoteで演奏予定だったRoy Hargroveが途中でトランペット持ってステージに上がってきたのも感動的だった。Tokuって人も参加してFly Me to the Moonを演ったのは忘れない。



Hank Jones自身がどういう表現をしていたか忘れたが、確かに「来年もここで演る」とのたまった。だってそれを聞いて俺らは「じゃあ来年はダブルデートでHank Jones聴きに来ようw」って言っとったわけだし。
でも、もうそれも叶うことはない。



May Hank Jones's spirit rest in peace.


知っている限りで、今期のMゼミの課題文献を挙げておきますね

福沢諭吉『福翁自伝』

脇圭平『知識人と政治』

マキャベリ『君主論』

加藤周一『羊の歌』・『続 羊の歌』

武田泰淳『政治家の文章』

クリック『デモクラシー』

萩原延壽『陸奥宗光』

まちがってるかも~またわかったら追加しますね

でもよく見ると、だれかが関与してそうなセレクションww


さて、国Ⅰなどありまして、
だいぶ時間が開いてしまいましたが、
リニューアル後二回目のうぃるそん倶楽部開催します!

今回は…
【報告1】
Jervis, Robert. 1976. Perception and Misperception in International Politics. Princeton: Princeton University Press. Chapter 3: Deterrence, the Spiral Model, and the Intentions of the Adversary, pp. 58-113.
(担当:ヨコ)
【報告2】
坂本義和「国際政治における反革命思想」『坂本義和集1 国際政治と保守思想』岩波書店(2004)pp.1-265
(担当:シン)

日時:6月3日(木)15時半~17時半

報告1は予告通り、毎回英語論文を扱います。
配布方法についてはちょっと考えます。
報告2は読んで来て欲しいといいたいところなのですが、
絶版なうえに総合図書館のは佐々木が借りてるので、
紹介中心の報告になるそうです。
場所はいつものとこです。

ということで、出席希望者(予定者)は、
シンの携帯まで連絡してくださいまし。

もし仮に、何の関係もないのにこのblogを見てしまい、
しかもこの「うぃるそん倶楽部」ってなんじゃと思い、
ちょっと興味を持ってしまったあなた!
あなたが女性の場合には
blogの管理者まで連絡をとってみてください
参加できるかもしれません
(場所が書いていないのはそういうことです)

でわでわぁアップ
ついでに、今期のIゼミの課題文献と基礎文献も挙げておきますね。

課題文献
高坂正堯『古典外交の成熟と崩壊』
坂本義和「国際政治における反革命思想」『国際政治と保守思想』
Alexander Thompson. 2010. Channels of Power: The UN Security Council and U.S. Statecraft in Iraq. Ithaca: Cornell University Press.

基礎文献
【国際政治学の古典】
E. H. カー(井上茂訳)『危機の20年 1919-1939』
ヘドリー・ブル(臼杵英一訳)『国際社会論――アナーキカル・ソサイエティ』
Waltz, Kenneth N. Man, the State and War: A Theoretical Analysis. New York: Columbia University Press, 1959.
【国際秩序】
吉川元『国際安全保障論――戦争と平和、そして人間の安全保障の軌跡』
ジェームズ・メイヨール(田所真幸訳)『世界政治――進歩と限界』
【外交】
ジョージ・F・ケナン(近藤晋一・飯田藤次・有賀貞訳)『アメリカ外交50年』
ポール・ゴードン・ローレン、ゴードン・クレイグ、アレキサンダー・ジョージ『軍事力と現代外交――現代における外交的課題(原著第四版)』
Iゼミで配られたプリントに掲げられていた
「学部水準の必読文献」リストです。

領域国家間の政治
Herz, John H. 1957. "Rise and Demise of the Territorial State." World Politics. 9(1): 473-494.
外交の失敗としての戦争――価値配分をめぐる紛争の解決手段
Jervis, Robert. 1976. Perception and Misperception in International Politics. Princeton: Princeton University Press. Chapter 3: Deterrence, the Spiral Model, and the Intentions of the Adversary, pp. 58-113.
外交(=意図伝達)の課題――威嚇の信頼性と約束の信頼性
Stein, Janice Gross. 1992. "Deterrence and Reassurance in the Gulf, 1990-1991: A Failed or Impossible Task?" International Security. 17(2): 147-179.
国家の独立と国際秩序
Lyon, Peter. 1973. "New States and International Order." In The Bases of International Order: Essays in Honor of C. A. W. Manning, edited by Alan James. London: Oxford University Press, pp. 24-59.
政治空間の再編と国際政治
Brubaker, Rogers. 1995. "National Minorities, Nationalizing States, and External National Homelands in the New Europe." Daedalus. 124(2): 107-132.
国内少数者の権利をめぐる国際政治
Fearon, James D. 1998. "Commitment Problems and the Spread of Ethnic Conflict." In The International Spread of Ethnic Conflict: Fear, Diffusion, and Escalation. Princeton: Princeton University Press, pp. 107-126.
対外政策の国内起源
Allison, Graham T. 1969. "Conceptual Models and the Cuban Missile Crisis." American Political Science Review. 63(3): 689-718.
国内政治体制と国際紛争
Doyle, Michael. 1986. "Liberalism and World Politics." American Political Science Review. 80(4): 1151-1169.
Owen, John M. , IV. 2002. "The Foreign Imposition of Domestic Institutions." International Organization. 56(2): 375-409.
国際交渉と国内政治
Putnam, Robert D. 1988. "Diplomacy and Domestic Politics: The Logic of Two-Level Games." International Organization. 42(3): 427-460.
国家間の《共通の利益》――国際政治の制度化
Stein, Arthur A. 1982. "Coordination and Collaboration: Regimes in an Anarchic World." International Organization. 36(2): 299-324.
対外経済政策の国内起源
Frieden, Jeffry A. 1988. "Sectoral Conflict and Foreign Economic Policy, 1914-1940." International Organization. 42(1): 59-90.
対外投資と植民地支配
Frieden, Jeffry A. 1994. "International Investment and Colonial Control: A New Interpretation." International Organization. 48(4): 559-593.

※今期の「うぃるそん」ではこれらを扱います。



缶ジュース買った後にパチンコ的なノリで「数字がそろったらもう一本!」っていう自販機。ウチの近くの自販機があのタイプなんじゃけど、あれって数字が表示される間コイン入れても受け付けてくれなくてホントめんどうなんですよ。

普段120円のセブンアップが100円だったので買えるだけ買おうと思って1000円札入れた。タバコ吸い吸い、自販機が受け付けようが受け付けまいがお構いなしにお釣りのコインを次々投入していった。それでとりあえず5本買った。

手元には600円あった。
B型H系の「エチトモ」について「セフレ」ではないことを指摘された時には「なるほど、そうかも」と思って何も言えなかったので、一応ちょっと調べてみた。



まず、大前提として…
B型H系のストーリーは「妄想処女の実は初心な主人公山田が、同じく初心なチェリー君小須田を100人のエチトモ(セクフレ)の1人目にしようと奮闘する 中で小須田がエッチ目的の為だけの男ではなくなってくるという話」である。



指摘すべき点として…
マンガ(原作)で「セクフレ」なのがアニメで「エチトモ」に変更されているらしい。「らしい」ってのも、俺wikiとヤンジャンのホームページとアニメのホームページ見ただけでまだ原作で直接確認できてねーから。今日このためだけにネカフェに行ったらB型H系なかったorz お陰で「ついで」のつもりでつい要らんモン読んだじゃんか…OTZ

B型H系は作者(1970年生まれの女性)が自身をモデルとして書いたらしい。(wiki情報。単行本に明記してあるらしい) 作者にとっては「セクフレ」という表現が自然だったのだろうか。

それがなぜアニメで変更されたのかは不明。



…が、少なくともアニメには「エチトモ」の方がしっくりくるように思う。

というのも、
主な視聴者はある種のコアな人々である。
「セクフレ100人できるかな」は単に読むには構わないかもしれないが、音声として聞くと非常に生々しく響く。(だって「エチトモ」でもびっくり したんだよぼかぁ。)「エチトモ100人できるかな」だとそうした生々しさから一定の(あくまで「一定の」ではあるが)距離を感じられることによる安心感があって、 そういう営みから距離感があるだろうその種の視聴者にも相対的には受け入れられやすいのではないか。だって「スイーツ」を「スイーツ(笑)」っていう人種だからな。セフレのほうが自然だが、それを自然に聞けない人々が主な視聴者と考えられるからその表現を使えない。そこに視聴者がアニメの世界に入り込みやすくなるような配慮があるように思う。そういう緊張関係があるんじゃなかろうか。


ところで、この作品の主人公は「山田」。日本人の名前としては非常に平凡な名前。そして下の名前は不明。他の登場人物からは「山田」と呼ばれ、設定としても公表されていない。妹には山田千夏という名前があるにもかかわらず、である。これにより、名字が平凡であるにもかかわらず、否応なく主人公の存在とその特殊性は際立つ。山田という日常的に目にする名字の人間が主人公であるにもかかわらず、というよりだからこそ名前が無いという非日常的要素が活きて、読者・視聴者は一定のリアリティーがあるけどあくまでバーチャルな話として安心してこの世界に入っていける。リアルとバーチャルの緊張関係がここにもあるように思う。




以下は原作を読んでない上に勝手な推測で間違っとる可能性大いにあるけど、「B型H系」のタイトルの「B」には主人公の胸(Bカップ)といわゆる 「ABC」のBの意味が込められているのではないかと推測され、Hはエッチの意だろうと思われる。では、なぜ「BH」なのか。「B型」といわれると普通血液型を思い浮かべるが、どうやらB型人間=変人・周りに流されない・ユニーク…などのイメージが流布しているらしい。主人公の血液型がB型かどうかは知らんけど、そんなことはどうでもよくて、B型という言葉が変人のイメージを喚起させるということが重要。このイメージを背景に「どのように変なのか?」の方向性を示すのが「H系」という言葉なのではないだろうか。

なお、「B」という言葉にABCのBの意味が込められているとすれば、B以上の進展なしフラグがはじめから立っている。原作が4コマというストーリー上大きな変化が生じにくい韻文的な形式であることからも、そういう風に予想はできる。まぁオタクの勝手な妄想ですがね。




にしても、B型H系についてちゃんと考えようと思うなら、ヤンマガの『暴想処女』、マガジン『生徒会役員共』あたりときちんと読み比べた上で考える必要があるように思うなぁ。


けいおん厨待望のけいおん!!2期がついに放送開始。オープニングを見て、京都アニメーションはやはりすごい、そう思わされた。


俺は専門的なことはよく知らんけど、数多くアニメを見てきて、アニメの表現の中でもアニメ制作における技術力が最も問われる表現の一つが「まわりこみ」じゃないかと勝手に思っている。

「まわりこみ」は別に専門用語とかじゃないだろうし勝手に俺が呼んでいるだけだが、アイドルを映すカメラが定位置にいるアイドルの周りを360度ぐるっと一回りして映すごとく、キャラクターを中心に視点を360度動かしてキャラを描くことを指して言っている。(説明が難しい!見ればすぐわかる!!↓↓)
このように描かれることによって平面の上に表現されるキャラクターに奥行きが出る。そして視聴者はぐっとアニメの世界観に引き込まれる。



http://www.youtube.com/watch?v=yL9fXYjrpWQ

「まわりこみ」の成功例の最たるものがサクラ大戦3のオープニングだって確信がある。そもそもサクラ大戦というゲーム自体が、アニメ映像でプレイヤーをグッとその世界観に引き込んでくれることに特長があるゲーム。しかし、3のOPの特筆すべき点は、何度も完成度の高いまわりこみを使ってキャラクターや事物を描き出すことで、プレイヤーをさらに深く「サクラ大戦」の世界へと誘ってくれることだと思う。まわりこみの部分については3Dを使った上でキャラを書いているのではないだろうか。オープニングだけで億単位の金がかかっているらしい。メカのCGも素晴らしい。Production I.G.という会社を初めて意識したのはこの映像を見てからだった。



http://www.youtube.com/watch?v=n6Paa8f5rjc&feature=topvideos


そして、今クールで最も注目されるアニメのひとつ「けいおん!!」のオープニングのまわりこみも、素晴らしい。崩れない。違和感がない。サクラ大戦3に劣らない…ってもちろん、サクラ大戦3が2001年に出たゲームだってことは重々わかっとるけど。CGも上手く使われた完成度の高いオープニングだと思う。それにしてもホントよく動くなコレ。



「違和感」というときに頭の片隅にあるのが、「ひだまりスケッチ×☆☆☆」のオープニングとエンディング。いや、本当にいいOPEDなんですよ、ホント。でもやっぱりどこか不自然さが残るのよ…。上の二つとの間には、映像のなめらかさに歴然とした差があってそれによる「不自然さ」が指摘されるべきだろうけど、やっぱりどこかキャラクターを捉えきれてないような感触が残る。シャフトはこういう表現を使って奥行きを表現しようとするよりも、去年の「化物語」や今クールの「荒川アンダーザブリッジ」みたいな形のアニメの方が実力を発揮できると思うんだ。「シャフトいじめ」ってよく言われるけど、俺には作画が崩れることとかを批判する気持ちはあんまりなくて、ただ単に、シャフトは「まわりこみ」とは別の表現力を活かしてくれた方がいいんじゃないかな、と思うのです。(アニメ「アニメーション制作進行くろみちゃん」を見てアニメ会社を批判しにくい気持ちになってるってのも多少ありますが。)



今期は見たいアニメいっぱいあるなぁ……はぁ。






春がなかなか来ませんね。気づいたらもうそろそろ葉桜の季節。下の歌を歌ってもらえる人が素直にうらやましい。

葉桜を見に行くならば雨あがり私でなくてはいけない人と (俵万智『とれたての短歌です』)
最近とにかくよく見かけるこの人
基本的にこういう類の人は嫌いなんだけど
この人は例外的に好きだ

というのは、別にこの人の思想がすごいってわけじゃなくて
この人の「かみくだく力」っていうか、
それこそ「わかりやすく伝える技術」がもの凄いと思うから


オレとおんなじくらいの年(もうちょい上も?)の人にとっては
この人はこどもニュースの「お父さん」であったはずだ

ときどきふと思う
オレって、毎週こどもニュースを見てるこどもより賢いだろうか
って

確かにこちとら大学生だ
専門的な知識も負ける自信はないし、
一般的な知識だって説明できる自信はある

けど
本当にわかってるのかって言われたらどうか
高速増殖炉ってどういう仕組みかわかるか?
在宅起訴ってどういうことかわかるか?
株って何かわかるか?

子どもに聞かれて返答に窮したら
親のメンツは丸つぶれだ

もし自分にその年齢の子どもができたら
あたかも子どもに付き合っているフリをして
こどもニュースを見ることにしよう



話はだいぶ脱線したけれど
この人はとにかくエライと思う

最近最も感心している企画は
朝日新聞の夕刊に連載している
「池上彰の新聞ななめ読み」である

書いていることは大したことないといえばないのだが
朝日新聞も躊躇せず斬る
(しかも鋭くもなく、鈍くもなく、
ちょーどいい歯切れ良さで)

そのスタイルはなかなか見もので、
この記事のためだけに夕刊をとってるといっても
過言ではない

いや
それはさすがに過言だが

まぁそれくらいすごいということだ


それでそれで
この人の文章術はぜひ知りたいと思っていたのだが
非常に残念なことに
これまで書かれた彼の文章指南はいずれもヒドイ出来だ

ビジネスマン向けに書かれていたりするから
その人たちにはいいのかもしれないが
彼の得意とする「わかりやすさ」とはちょっと違う

いや、もっとも全てを読んだわけじゃないよ
だってものすごい数なんだもん
同じく講談社現代新書の
『相手に「伝わる」話し方』も読んでない
一応断っとく。


それで、この本

わかりやすく〈伝える〉技術 (講談社現代新書)/池上 彰
¥777
Amazon.co.jp

これは非常にイイ本だ

なにより、ところどころに見える
著者の知的謙抑がいい

あれ
こういうのって知的謙抑っていうのかな
わかんないけど
とにかく謙虚だってことだ

無知であることを恥じない
むしろそれを誇りとしている向きさえある

「一九九四年に始まった一回目の放送で、いちばんわかりにくい重要なニュースは、「高速増殖炉『もんじゅ』が運転開始」でした。
「高速増殖炉ってなに?」
子どもにはわからないですよね。いや、大人だってわかっている人はあまりいません。これをどう説明すればいいか。そのためには、まず私が勉強です。」(p.83)

この「まず私が勉強です」という爽快さ!!

もんじゅと聞けば、小学生でも
ちょっとはわかったような気になるものだ
それを自分をさっさとわからない側に位置付け、学ぶ
これこそ真に効率的な知的作業だと思える

時には、チクチクと痛い文句もある

「余談ですが、民放のニュースの場合、キャスターやリポーターが、「こちらのフリップをご覧ください」というシーンがありますね。「フリップ」というのは業界用語。業界に詳しくない一般の視聴者に対して、専門用語を使ってはいけないのです。「こちらの図をご覧ください」「この地図で見ると」と言えばいいだけのことです。」(p.64)

別に「フリップ」くらい一般人だってわかるだろう
そう反論したくもなる
しかし、著者は
「だからといって、なぜ使うの」
と問い返すに違いない

言われてみれば、その通りなのだ
確かに難しい専門用語を使う風潮が
まだ青二才の大学生にさえある
社会人ならいわずもがな

しかし著者はそれを知的怠慢と斬る
いや、そう言っているわけじゃないんだが
それをヒシヒシと感じさせる


この本は、わかりやすい言葉で
訥々と自省させてくれる本なのである


思うに、これは編集者の堀沢女史のおかげに違いない
オレはこの堀沢女史が大好きだ
だから、最後のこの文はこの本の玉に傷

「この本を担当した編集者の堀沢加奈さんは、「自分は話が下手だ」といつも落ち込んでいるそうです。でも、第10章の最後で書いたように、「自分はどうして話が下手なのだろう」という自問自答、謙虚な気持ちを忘れないことで、相手の心をつかむ能力を身につけました。その証拠が、この本です。嫌がる私に、いつしかこんな本を書かせていたのですから。」(p.238)

なんか堀沢女史に対して上から目線なのが気に食わんw