自分であること | 過去生ツインソウル・メソッド®︎&ツインソウル・ヒーリング®︎ Primaria☆Stone

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“魂のメッセージ”を読み解く過去生ツインソウル・メソッド®︎、“魂の絆”を深めていくツインソウル・ヒーリング®︎のナグ&プリマリア【Primaria☆Stone】

 久しぶりの更新になります。

 

 

https://ameblo.jp/primaria/entry-12553612293.html

少し前のプリマリアのブログに、こう書いてありました。
 
 
アメブロにブログを書き始めて8年位が経ちます。
 
ツインと歩いてきた11年間の体験の中から、
振り返った視点で、ツインソウルのこと、ツインソウルとの出会いをきっかけとして、自分から始まる人間関係や様々なことに繋がる体験をいろんな角度から書いてます。
 
 
初めてお越しの方はこちらの記事をご覧下さい。
 
今は声のブログとかもあるので、伝えた意図が伝わりやすくなっている世の中だなぁと感じます。
 
 

ネットの世界でのブログは顔を公にしなくてもブログを出せるし、逆に自分の本名を明かさずブログを出せたりコメントができるので、他人を中傷する材料にもなってしまうこともありますね。

 

 

何らかの問題が起こって、心機一転とかでブログを退会して、名前を変えて違う名前でブログを再開する方もいます。

 

名前を変えて出せるのもブログの特徴でもありますよね。

 

 

例えば、ネット上で人のことを中傷とか攻撃してしまう人って、自分には与えられないという傷があって、自分の魅力を知らなかったり、他人がやっていることが羨ましいかったりするんですよね。

 

 

人を中傷したり、批判するよりもっと自分の価値を見るといいのにって個人的に思います。

 

 

逆に、勝手に攻撃されたと受け取ってしまう場合もあるので、自分の価値を自分で受け入れることが出来ると、凄く楽になります。

 

 

ブログを書き続けているといろんなことも発見します。

言われのないことを言ってくる人もいます。

そういう人は稀にですが!!

 

 

文章や言葉って捉え方次第で受け取り方が違うので、先に体験した体験談を読んで、自分が先に考えたことだとか、言う人がいるけど、それっておかしいんですよ。

 

考えと、体験談は違いますし。

 

なので、それぞれの人の体験談には違いがありますし、似ている体験もあるでしょう。だから、誰が先に発信したとか、後も先もないわけで。

 

 

中傷するなら、人を絡めないで、自分のブログで自分の考えや体験として書いたら良いだけでしょう。

 

 

文章の捉え方は本人次第で変わるので、初めてお越しの方はこちらの記事をご覧下さいという感じでトップページに出しています。

 

 

それから、ブログでの繋がりから素晴らしい出会いのキッカケのチャンスにも恵まれます。

 

 

 

ブログは素晴らしい表現の場であり、マイナス面も分かっていることで、プラスにもいきる。

自分がどう在るのか?在りたいのか自分の思いが大切ですね。

 

↑↑↑

(上記、プリマリア☆のブログより)

と言う内容。

 

実際にこういうことってあるんです。

 

ブログで発信していて、何かしらのトラブルや、自分にとって都合の悪い出来事が起こってしまった方が、
一旦ブログを退会して、また新たにハンドルネームを変えて再びブログを書き始めるということ。


もちろん、他の理由でブログを引っ越す場合もあると思います。


前者の場合、名前を変えたとしても、文章から伝わるエネルギーは変わらないんですよね。
その人の作風というか、味というか、言葉の表現はいろいろあると思いますが・・・。

別の名前で登録をし直したとしてもブログから放たれているエネルギーは同じ人だから、やはり同じものなんです。

 

そういった雰囲気や空気というのでしょうか、気づく人は気がつくわけです。

別人のようになってブログを書いてもわかる人には分かるようになっているわけです。

 

僕がビックリしたのは、僕の知り合いに読者登録の申請があったのだそうです。

彼女は、どんな方が申請を下さったのかな?と申請者のブログを見に行ったんだそうです。

 

 

すると、知らない名前だったそうです。

 

でも、よく見ていくと名前こそ違うけれど、以前、知り合ったけど向こうから離れていったある方だと直ぐにわかったんだそうです。

 

その方は自ら離れていったのに、僕の知り合いに読者登録を申請する程、実は気になっていたのでしょうね。

 

 

名前を変えて新たにブログを始めたその方を僕たちも実際に知っているのですが…。

 

 

名前を変えてはいますが、確かにその人でした。

 

 

ブログに顔は出していなくても、わかるものなんですよ。

 

 

なんだか、名前を変えて違う自分になって、ブログを書いているということに、ある種の悲しみとやり切れない違和感を感じました。

 

それは、僕の内側での感情ですが、自分として表に出られない時ってあるんですよね。

 

 

名前を変えてブログを書くことについては、その人の自由だし、僕はそのことについてとやかく言いたいわけではないんですよ。

 

 

自分の内にある悲しみや、自信のなさに自分で気づけたら反対側を体験できるし、そしてどんなに今が楽にしあわせな気持ちになれるのか?ということも体験できるんです。

 

自分が自分で在ること。

 

自分に気づく機会が与えられ続けていること。

 

そのことに気づき続けることができる自分で在りたいと感じた出来事でした。