女神と勇者 | 過去生ツインソウル・メソッド®︎&ツインソウル・ヒーリング®︎ Primaria☆Stone

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“魂のメッセージ”を読み解く過去生ツインソウル・メソッド®︎、“魂の絆”を深めていくツインソウル・ヒーリング®︎のナグ&プリマリア【Primaria☆Stone】

ツインソウルに関連する話の中で、ずっと前から違和感に感じていて・・・。

 

そして、僕自身が今このように在ることができるに至った、心の中にある実感について

書いてみたいと思います。

 

 恋愛感情の最初の段階って、自分の中の「不足感」を誰かによって、埋め合わせようという試みが隠れていますよね。そして、自分自身で自分の不足感を理解し、解放し、自分自身の責任において、自分を満たしていくようになってきて、本当の意味での“パートナーシップ”が成立するものだと、実感しています。

 

 よく「自分軸」という言葉を、ツインソウル関連のブログを見ていると目にします。

 

 確かに「自分をしっかりと持つこと」「自分の価値を自分が認めること」は、良好な人間関係を築いていくうえでは、重要なことです。

 

 この、「自分軸」という言葉の響きが、どうしても僕は好きではないんですよね。

 相手の表現、状況、反応、そのほかいろいろなものに影響を受け、振り回されてしまっていたことに気付き、大切なのは自分の思いや意思(意志)だということがわかってきた段階で、『自分軸』というふうになるんだろうけれど、その「相手軸から“自分軸”へ」という、移っていく段階で本当にたくさんの女性がどこか“レジスタンス”のようになってしまうことを、僕は残念に思うのです。

 

「男性そのもの」に対する、敵意のようなものすら、男性である僕は感じますね。
(たとえば○○男子、とか、わかりやすいのかもしれないけれど、そんなもので「言葉の概念」のなかに、大切な人を押し込んでしまっていいのだろうか?って、感じてしまいます。)

 

 いろいろな言葉が生み出され、使い古され、変遷していきますが、その言葉の響きに女性の側の男性に対する、憤りや恨み(これは個人的体験というよりも、「女性」として生を受け、生きた時代の魂の記憶の傷の名残のようなもの)が隠れているのではないでしょうか?

 

 女性が、自分自身の価値や魅力を外の評価で測るのではなく、自己の内面において確立することができるようになると、その人の「女神性」が目覚めてくるわけですが、男性も同じように精神的に、良い意味で安定した形で自分を持つことができるようになると目覚めていくわけです。

 女神に付き従う「従者」ではなく、互いに深い敬意をもち、彼自身の意志と選択において歩んでいく

『勇者』となるのです。

女神の後ろについていく、従者ではなく、

ともに並び歩んでいく、勇者なのです。

 

その彼の進む道は、孤独な一人旅ではなく、たとえ物理的に一人であったとしても、

心の思いは常に女神と共にあるのです。

 

 

『自分軸』を確立しようとする中で、相手を、男性を気づかないうちに見下してしまうことが無いように。

 

男性って、そういうの敏感ですよ、意外に。

 

お互いの尊敬と、

今はまだ表面に現れていないかもしれない、

その人の内なる光が最高の輝きを放つ時が来ることを、

祈り、信じるような、そんな思いがあればこそ。

 

だと、僕は思っているのです。

 

僕の目の前にいる、その人は

僕以上に僕のことを信じてくれた人だからです。