ナグです。
タイトルの
『箱の中身は、開けてみるまでわからない。』
と、聞いて何を思い浮かべますか?
映画の『フォレスト・ガンプ 一期一会』を思い出す人もいるでしょうし、
知的な人なら「シュレーディンガーの猫」を思い浮かべるかもしれませんね。
(フォレスト・ガンプのコピーは、「人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみるまでわからない。」でした。
「シュレーディンガーの猫」は、箱を開けるまでは、箱の中で猫が死んでいる世界と、猫が生きている世界が
”二重になって”存在している。という話です。)
先日の記事を、思い出してくれる方もおられるでしょう。
『サイレント期間』という、箱に入れてしまったがゆえに、
それぞれの”サイレント”になるプロセスを見失う、ってことないですか?
という投げかけだったわけです。
プリマリアが、「ツインソウル概念」にこだわりすぎるといけない。というのも、
この『プロセスの喪失』を言いたいんですよね。
”サイレント期間”になった。でも、なぜ、なったのか?がわからない。
ツインソウルの概念を見てみると、「そういうステップがある」というふうに書いてある。
問題は、ここからなんです。
「ツインソウルは、そのように進んでいくというのだから、これは通るステップなんだ。」と、
自分を安心させてしまうのか?
「“サイレント”になった、ということは、
私には気づけていない何か(彼なりの理由)があるんだ。
いったい、自分の側で取り組めることは何だろうか?」と、
自分の問題として、向き合うのか?
この違いはとても大きなものではないでしょうか?
『相手の側の理由』
これに、手を触れようと、あなたが手を伸ばしている時、あなたは自分の状態をしっかりと
見つめておく必要があります。
おぼれた人を助けよう、と、川岸からあなたがロープを投げるなら、
あなたが自身が引きずり込まれて流されてしまわないようにしておく必要があります。